こないだwikipediaを見てたら、
日本語の「エニアグラム」のページがえらく充実したページになっていて、
ゐちゃソ氏という、かなりイッちゃってるスピリチュアルなお方が
教祖となって誕生したものであることが詳しく書かれてあった。
そして私が以前から言っていた、エニアのオカルト性の真骨頂である
「1÷7を計算すると0.142857 142857…の循環小数になるでしょ?
だから人間も1-4-2-8-5-7の順で分裂しますねん。
え? なんで7で割るのかって?
そりゃもちろん、7は神の数字だからですよ。そんなん常識ですやん。」
というトンデモ屁理屈が、
どうやら初代か2代目あたりの教祖が心底から本気で言っていたものである
といういきさつも、けっこう詳しく書かれていた。
おそらく今では大半の弟子達も「いやいや、その理屈は無理だって!」とか
思ってそうだけど、これは2代目教祖のアイデンティティみたいなものだから、
弟子達としてはどうしても無下にはできないのかもしれんな。
ということで、神の国ニッポン(by元首相)の住民としては、
このようなオカルトはたいへんよくないと思うので、
このアホブログに私の主張を整理して記しておきたいと思う。
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とりあえず、私の言いたいことは、下のたった1つの絵にまとめられる。
右の絵の意味はすでに書いてきたとおりなのだが、どうやら外国のほうで
「俺って5w4でも5w6でもなく、5w8のような気がするんだけど?」
みたいなことを言ってる人が結構いるみたいなので、
ひょっとして外人が検索で引っかかって見に来るかもしれないということで、
あらためて英語で主張しておくことにする。
暇な人はグーグル翻訳して読んでくれ。(書くのもおおむねそれでやった)
An ancient spiritual man said:
"1/7=0.142857 142857...
So 1-4-2-8-5-7 is the order of human repetition.”
Why? ? ?
This is a strange belief in the number "7".
Biological brains may be more simple, and may not be programmed to cycle in a strange complex order.
And why did the old guru treat the type 369 specially?
It is said that the old spiritual peoples considered the number "3" as a sacred and special number, and they thought the 369 group should have special changing order.
But I think it's more natural to assume that the 9 types have the same simple triangular symmetry. How do you think?
If you don't spiritually believe in the special lucky numbers,
or if you don't blindly believe in the 1/7 recurring decimals theory,
you will naturally find that the old guru misplaced 5 and 7.
If we assume that there are triangular symmetrical relationships in 258-369-147,
・The alignment position of type 7 (Extroverted/Sexual)
is naturally after type 4(Introversion/Self-preservation).
・The alignment position of type 5 (Introversion/Self-preservation)
is naturally before type 8(Extroverted/Sexual).
(So I think 5w4 and 7w8 don't exist actually, and it seems they should be written as "5w8" and "7w4".)
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次に、私が上記のように考える理由をいちおう書いておく。
【5と7の場所がヘンだ】という理由については
何度も同じことを書くのもつまらないので、今回は新たな試みとして
「ドン・リソ」という人の本に素朴なツッコミを入れておくことで
代用するものとする。
Think of this picture as an IQ test question. Don't you think the 5 and 7 are misplaced?
どうもこのリソという人は他人の言うことを否定したがらない優しい性格のようで、
師匠や弟子がテキトーなことを言っていても、スルーして関与したがらないようだ。
(まあ初代教祖がアレだし、いちいち反応してたらキリがないのかもしれんけど)
私としては、誰とでも共著して書籍化するのが好きなリソさんのおかげでエニアが
有名になったという功績は否定しないが、wikipediaに
「エニアって、流派によって言ってることが全然違うやんけ!」
とか書かれてしまうのは、ぶっちゃけこの人の過寛容(=テキトーさ)のせいじゃ
ないのか?という感も否めないと思う。
ただwikiによると、このリソさんのおかげで誰がどこにテキトーなことを書いても
叱られないという文化になっているらしいので(リソさんがそう言っているぞ!)、
私はリソさんに感謝しながら、おもっきし否定させていただくこととした。
まあそんなわけで、うんこ理論を書いたからって叱らないでください。
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(追記)
上の絵に色をつけてみた
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追記:理科野郎のたわごと(読む価値なし)
これは個人的な主観だが、左側の絵は、車のナンバーを8008とか1001にしたがる人
(=ナンバープレートを数字ではなく図形として見たがる人)と同じ感性の人が作ったのでは
ないかと想像する。非常に空想的で感情的な産物のように私には見える。
私は正直、「頼むからこの図だけはやめてくれ」といいたい。
この絵によって、世間に星座占いのような第一印象を与えることにデメリットしか感じない。
もっと端的に言えば、私はエニアグラムに興味を持つことで、半自動的に
「え、こんな魔法少女の杖に描かれてそうな絵を信じてるの?まじで?」
と思われかねないことが恥ずかしい。私はそんなハートフルな人間ではないのだ。
実際には、エニアグラムの発端は「思考/感情」という対立項に身体的本能(特に股間的本能)を
追加したシンプルなものであって、この点では特に珍しい考え方ではなく、ありがちな考察だ。
しかしエニアグラムには独特の秀逸性があった。
それは、頭/胸/腹をさらに3つに分けてそれぞれに境界を設けたうえで、隣接する項との関係性
(=なぜ隣接項どうしが連続する事柄だと考えられるのか)についてしつこく考察
していく点である。
これは、たとえばMBTIでは思考と感情の関係を同時性のない「対立項」として片付けているのに対し、
エニアでは思考と感情を「あいまいな境界をもつ連続体」と考えているわけで、
それが正しいのかどうかはわからないが非常に興味深く、生物の進化とかを考えるうえで避けて通れ
ない重要な考え方のように思える。
ただ、エニアで配列の並び順に厳密さが求められ始めるのは、境界論(ウイング論)が出て以降である。
それ以前はほとんどの関心がタイポロジー(分類)とレベル論(病理)に向けられたものであり、配列の
順番よりも種類数やラベリング(当て嵌め)が重要であったため、この時点では教祖が描いた魔法図形を
旗印にしていてもたいして問題ではなかったかもしれない。
しかし今では数あるタイポロジーの中で「境界」を重く扱っていることこそがエニアの大きな特徴となって
いるのだから、オカルトの絵はそろそろ引っ込めてもらわないと困ると、私は思うのである。
なお、タイポロジー(性格分類)自体を全否定し、「人間は十人十色だ」的なことを言う人も世の中には
多いようだが、十万匹のイワシの群れが十万通りの個性を持っていないのと同じように、人間という生物
の思考傾向の数もたかが知れているはずだと考えるほうが自然であると私は思う。
もしかすると、昆虫などは種によって行動傾向は1つとか2つとかに限定されているのかもしれない(その
かわり多くの種が存在するとか)。 哺乳類については、犬や猫を飼っている人には周知だと思うが、
人間以外にも「同種内に複数の性格パターンを持つ種」は存在している。しかしそのパターンの種類は、
人間よりもちょっと数が少ないように私には見える。