人食い巨人のアニメが最終回を迎えたらしいので、見に行った。
途中、とてつもなく間延びして10倍速再生が必須のアニメであったが、
最後の数話はまあ許容範囲内であった。
以前も言っていたことだが、
私はこのアニメを見て、ふたたび確信したことがある。
それは、エンタメというのは
「自己保存」・「セクシャル」・「ソーシャル」
の3つの要素を兼ね備える必要があるということだ。
巨人のやつの場合は、最も特徴的なのはセクシャルである。
しかし、だからと言って自己保存やソーシャルを捨ててもよい
というわけではない。
視聴者というのは、「それはそれで別腹」な生き物なのだ。
以下、巨人のやつについて、
エニア的な観点から感想を述べる。
(ネタバレ注意)
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セクシャル的要素:
この作品には、2や8をこじらせた登場人物が多く登場する。
特に以下の3人は、完全にキチガイの領域である。
① エニア2をこじらせた登場人物(その1)
残虐非道な王様にモラハラされまくりの奴隷(兼愛人)の娘(ユミル) は、
その王を守るために自らの命を捧げた。
そして死後も王を想い、2千年ものあいだ砂漠で巨人を作り続ける。
「あの奴隷女も少しは役に立ったな、グハハ」とか言っていたモラ王は
もうとっくに死んでいるのだが、彼女は王の依頼を遂行し続けている。
つまり、この娘は完全に2をこじらせているのである。
世の中には一定数いるんだよね。ダメンズしか愛せない女が。
② エニア2をこじらせた登場人物(その2)
客観的に納得しがたい理由でもって、特定の男を追い回す女がもう1人。
彼女(ミカサ)は、さしたる理由もなく、
まるで”刷り込み”を受けたヒヨコのように
「オール・アイ・ニード・イズ・エレン。エレンこそ私のすべて!!」
とか言いながら命がけでエレンを守護しつづけるイミフな女である。
最後は自らの手でエレンの首を斬り、その生首にキスをする。
マイ・ファースト・アンド・エターナル・キス・イズ・ウィズ・生首。
彼女もまた、完全に2をこじらせていると言える。
(※このようなキティ女ばかり登場するのは、ひょっとして作者自身が2をこじらせて
いるからではないかと私は想像する。)
③ エニア8をこじらせた登場人物(主人公)
人食い巨人の島から出て自由になるために、粉骨砕身の努力をする主人公エレン。
しかし島からの脱出に成功した後は急にエラそうになり、
「俺、外のやつ全員ブチコロすことにしたわ。それって俺の自由だよね?」
とかいって、巨人の大群を率いて人類を踏みつぶすという暴挙に出る。
同時にエレンは友人たちに向かって
「お前らには、俺を制止する自由を与えてやろう。
俺を制止したかったら、俺を殺してみろ。
なに?できないって?勝てるわけないって?
そんな雑魚カスには、何一つとして実現できやしない。
お前ら、気合を入れろ。俺を目指して奮起しろ!!」
とか言って、友人達に「俺殺し」をパワハラ強要する始末。
完全に8をこじらせていると言ってよいだろう。
(作中でも、「あいつは自由の奴隷だ」とか言われていた)
なお、結果的に友人らは人類の8割が死亡した時点で
ようやく主人公の制止に成功する。
もしスター倫や毛沢糖がこの作品を見たら、
「ワシもいっぱいコロしたけど、エレン様にはかないませんわ」
と言うかもしれない。
ということで、この物語は2と8をこじらせた登場人物たちが
キティな人間関係(対人執着)を振り回しながら暴れまくる物語である。
なお、こういうセクシャル主軸の物語は、昭和の時代にけっこう流行った。
復讐のために戦い続けた主人公が宇宙の果てでラスボスに出会うと、
「なんとびっくり、ラスボスは主人公の父親だった!」的なやつね。
上記は昭和で使い尽くされたパターンだけど、
でも愛とか復讐とかって、「永遠性」とか「不変な感じ」とかがあって
なんとなく物語的な相性がよさそうでしょ?
だから、セクシャル要素は物語の背骨にしやすいんだと思う。
(個人の感想です)
自己保存的要素:
自己保存の要素として重要なのは、
・設定(物語内部の世界ルール)=T1
・ギミック(装備等の細かい仕様)=T七(5)
・匂わせ、謎解き(伏線回収)=T4
まあだいたいこの3つであるが、
世界ルールが適当だと目的が雑になってしまい、特に自己保存組が激怒する。
だから巨人のやつは、しつこいくらいにワールドルールを設定している。
(序盤のルール説明の上手さは秀逸であった)
また、T七要素である「ギミック」の目玉商品である立体機動装置にも、
たいへん細かい仕様が設定されており満足である。
しかしいかんせん、
匂わせ(伏線回収)についてはしつこすぎるというか、
「しょうもないクイズを解くという労働を、なんでやらされなきゃいけないの?」
という思いがしばしば募ってきたので、ちとやり過ぎではないのかと私は思った。
(個人の感想である)
ソーシャル的要素:
アニメにおけるソーシャル要素は、なんといっても「日常化」である。
戦争物語の登場人物たちは、みな恐怖におののきながら戦場へ向かう。
しかし、すぐに慣れてしまう(T6)。(←T6は慣れるの早すぎ)
そしてすっかり慣れてしまった後は、なぜか戦闘中に
「フフ、このスレッガー様に勝てると思うのかい?ニヤリ」
とか
「ひゅー、助かったぜ。愛してるよセイラさん。チュッ♥」
とかみたいに、登場人物全員が
かなり(相当に)恥ずかしい、イキったセリフ(T3)
ばかり言うようになっていくのである。
また、この巨人のやつが特にそうであったように、
ソーシャル物は間延びして時間の進行が遅くなる(T9)という傾向がある。
ちなみにこれは、昭和の野球マンガで最もありがちな現象であった。
序盤は1話=1試合って感じでテンポ良く進んでいくのだが、
だんだん1話=1イニングになっていき、
しまいには1話=1球投球に近づいていくのだ。
この段階に来ると、主人公が「うおおおおお」と叫ぶだけで
見開き2ページが消費されてしまうのがデフォになり、
もう少し複雑な「かめはめ波~」の6音を発声したければ
最低でも12個のコマ割り(約6ページ)が必要となる。
ソーシャル物がこのように間延びしがちとなる間接的背景としては、
「脇役を脇役として使い捨てるのが忍びない(T9)」
というのがあるかもしれない。
例えば間延びアニメで人が死ぬときは、
刀を振り下ろすシーンがなぜか突然コマ送りになり、
「第〇〇番目の登場人物(モブキャラ)の生い立ちストーリー」
とかが挿入されてしまうことがある。
私からすれば、
「いや、そいつは今から死ぬんだから、そいつの話はもう不要では?」
っていうことになるのだが、
そういうゲジゲジ冷血漢のような考え方はソーシャル族には通用しない。
とまあ万事がこんな調子で、ソーシャル物語というのはとかく「寄り道」が多い。
そしてこのような寄り道を実現するツールとして時間リモコンというのがあり、
「時間リモコンを使うと、スロー再生や一時停止や巻き戻しが可能となる。
ソーシャル物語の作者は、多数の人間のエピソードを詰め込むための
便利ツールとして、時間の進み方を操作できるリモコンの保有特権を有する。」
という謎ルールが適用されるため、話がちっとも進まなくなることが多い。
この現象について私は、宇宙船がブラックホールに近づけば近づくほど時間の
進み方が遅くなるという現象と、たいへんよく似ていると思っている。
(個人の感想である)
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というわけで、
こじらせキャラ満載の巨人アニメでした。
私としては、「セクシャルこじらせ」や「匂わせ謎解き」については
文句を言いつつも許容できるというか一部おもしろくさえあったんだが、
「ソーシャル間延び」がさすがに無理すぎたので、惜しい作品でした。