大変つまらないミーハー話で失礼する。
万博の話をひとつ。
大阪万博の費用が例によって初期予算を大幅に超過し、
「こんなイベント、もう中止にすればいいのに」
と言う人も出てきているようだ。
税金をこよなく憎む私としても、お上のイベントなど一切ないことが望ましいのだが、
まあお上の初期予算が嘘まみれなのは戦艦大和のときからそうだし、
オリンピックのときもそうだったので、「ハイハイいつものことね」感はある。
だから今度の万博は、万博自体がどうこうというよりも、
むしろ日本維新党という政党がどうなるかを決めるもののように見える。
ここで、維新党について少し復習すると、
万博をやるための費用は国にも何割か出してもらえるので、
カジノをやりたいM知事(当時)は以下のように考えたと推測される。
「せや、ええこと考えたで。万博をカジノ島でやることにすればええ。
そうすれば何でも万博のためということにして、国とか企業の金を
使ってカジノ島のインフラ整備ができるわけや。
なにしろ万博は、国と企業が費用の2/3を出しよるからな。
万博をダシにすれば、国とか企業の金でカジノの下準備ができるし、
地元の土建屋にも恩を売れるし、まさに一石二鳥というやつや。
こんなオイシイ方法を見逃す手はない。早速やるで!」
ここまでは、さほど珍しい話ではない。
この手の政治手法は【地元利益誘導】と言って、
昭和ではよくある考え方だった。
わかりやすく言うと、
「政治家は地方の代表なのだから、
地方の利益を最優先にするのは当たり前のことである。
国の金を地元にたくさん引っ張ってこれる政治家がエライのだ。
特に新幹線とかを引っ張ってこれる政治家は、とってもエライ。」
という考え方が広く蔓延していた時期があったのだ。
後にこのような考えは少し修正されていき、
【国庫や他県から金をもぎ取って地元に引っ張ってこようという考えは、
国会議員としては適切ではないが、地方の首長としては間違っていない】
という考え方に変化して、日本中に広がっていったと思う。
(つまり首長であるM知事が大阪の利益だけを考えるのは間違いではない
と言う人も結構いるだろうと想像する)
上記のような首長のあり方についての是非は言及を避けるが、
仮に首長としてのM元知事のやり方が合理的であったとしても、
さすがにM知事の作戦は根本となるスキームが古臭すぎるというか
戦後の「どさくさ紛れの術」をそのまま現代に持ってきたような感じなので、
岡田斗司夫の唱えるホワイト化社会に適合しないように思える。
現職の維新政治家にとってみても、大迷惑であろう。
開催までごく短期間であれば新党首のスマイルでごまかせるだろうが、
なにしろ万博は開催まで1年以上もある。
党員はその間ずっと旧党首の古臭い手法を擁護しなければならず、
苦しい言い訳をさせられ続けるはめになるので、たまったものではない。
たとえ都度のダメージは小さくとも、時間積分すると大きなダメージになる。
てことで、万博は日本維新党にとって致命傷になりかねないほどの
大きな「負の遺産」なのかもしれない。
(世界が再びトランプワールドになれば話は別かもしれないが)
ひろゆきは、自民党に代わる政党として維新を推していたフシがあった。
でも日本維新党がこのまま初代党首の「戦後風味」やら「ちょいワル風味(死語)」
やらを踏襲すれば没落していく可能性が高いと考え、
そんな未来が嫌で万博を批判しているのだろう。
ひろゆきとは逆に、維新に興味のない人にとってみれば、
たぶん万博なんてどうでもいい話なんだろうけどな。