INTP5w6による性格タイプ雑記ブログ

MBTI&エニアグラムのよもやまブログ

逆ルサンチマン?

日本は、実に妬み豊かな国であると思う。

 

と言っても、日本人の妬みはいわゆる弱者が成功者を羨んで

「あいつイキりやがって、むかつくぜ」とか

「失敗して転落すればいいのに」とか

願うようなもの(=弱者が強者を羨み恨む = ルサンチマン)とは、

ちょっとだけ違う種類のものが多いような気がする。

 

もちろん上記のような典型的ルサンチマンを隣人らに対して発動しまくる人も

いるにはいるのだが、そのような人は米国などと比べればむしろ少数で、

大部分の日本人の羨望は隣人ではなく「有名人」とか「有名団体」に集中する

感じがあり、有名でない人や団体には羨望の目が向けられにくい。

 

(かの岡田斗司夫は、これを生贄社会と呼んでいた。

   実際に矛先を向けられる有名人にとってみれば「日本人のルサンチマン

   米国よりもひどい」ということになるのだろうが、

   そのぶん一般人はルサンチマン被爆頻度が小さくなっているのだし、

 「100人の生贄によって100万人の憂さが晴れるなら、けっこう合理的かもよ?」

 と岡田氏は言っていた。)

 

ただ、このような生贄制度をもってしても、日本が平和になっているとは言い難い

と私は思う。

なぜなら、日本は法律やマナーを守る人が多いわりに、その法律自体がくだらな

すぎるせいで、どうでもいい法律やマナーに軽い気持ちで違反した人が

びっくりするくらいしばかれまくる傾向があるからだ。

 

これはひとことで言うと「あいつだけルールを守らないなんてズルイ」という

いかにも日本的な批判のことを指しているのであるが、

日本は一年中この種の批判で満ち溢れており、

その批判は有名人はもちろん、ごく一般の人間にも容赦なく降り注ぎ、

一般人でも結構な確率でズルイ批判を被弾することになる。

 

この種の批判を「妬み」と呼んでいいものかどうかは知らんが、

意味的には「あいつだけ義務を免れててズルイ」って言ってるんだから、

これは弱者が強者を羨むのとはだいぶ違っていて、

むしろルサンチマン(?)みたいな感じかもしれないんだけど、

まあそれを含めて「妬み」と呼んでもいいのではないかな。

 

てことで妬みと呼ばせてもらうことにすると、

この種の妬みはチンパンジーとかでもよく起こるらしい。

 

たとえば、バナナを食べていたチンパンジーAが、

いきなりボスザルにぶん殴られてバナナを取り上げられたとする。

ボスザルから受けた理不尽についてチンパンジーAはとても悔しがり、

その憂さを晴らすために、なんと「より弱い奴をぶん殴る」という行動に出るのだ。

 

Aから見れば、本当の敵はどう考えても理不尽なボスザルのはずなのだが、

なぜか怒りの矛先はより弱い個体へ向かってしまうという、

まさしく「スネ夫そのもの」とでもいうべき醜悪な行動が

チンパンジーの世界で観察されるのである。

 

ということで、私がたまに「スネ夫大国ニッポン」とか言ってるのは、

日本はこういうチンパンジー現象が非常に起こりやすい国だということである。

 

これのわかりやすい例は、税金かもしれないな。

 

お人好しの日本人は、赤の他人から税と称して金を強奪されるという

根本的な理不尽には何の疑問も感じない人が多い。

そして国民はせっせと作った作物を5割も国に奪い取られ、

その税は働かない人汁族たちの間で美味しくピンハネされたのちに

還元率0.5くらいでインフラ費用などに当てられるという、

たいへんおもしろい制度を長年実行し続けているのだが、

 

それに対する民衆の怒りは徴税する人汁族に向かうのではなく、

なぜか納税を拒否した人たちのほうへ向かい、

「税金を払わないあいつはズルイ、法律違反だ。

 法を破る奴は絶対的に悪い。文句なしの悪人だ」

などと猛批判して、

悪人が不正な方法で納税を逃れたことを徹底的に糾弾しようとする傾向がある。

これは、より弱い個体をぶん殴って憂さ晴らしをしようとした

チンパンジーAの行動とたいへんよく似ている。


このことについて、私はこれまで

「日本って、つくづくどうしようもないスネ夫だらけの国だよなあ」

などと思っていたのだが、

よく考えてみればそもそもの原因は「腐った法律」という理不尽にあるのであって、

このような腐った法律がまるで子持ち昆布のようにみっちりと産み付けられた環境

では、べつに日本人じゃなくてもスネ夫的な行動が増えるようになっていくのかも

しれないと思うようになってきた。

 

ちなみに日本以外の国の法律はすべてまともなのかというと、もちろんそうではない。

ただ、他国において腐った法律とは

「国民は偉大なる将軍様のために喜び組を結成し、

 将軍様に奉仕できることを心から喜びつつ、職務に励まなければならない。」

みたいな感じの、わりと露骨に滅茶苦茶な法であるために

人々が素直に法を憎みやすいのに対し、

 

日本の法律はぱっと見は無害っぽく見えなくもないようなもの、

たとえば

「学級の日直当番を行う者は、別表アの項目ホに定められた様式の学級日誌を

    毎日作成し、これを別図8-9-3に指定されるような厚さ3mmの黒い厚紙板に

   よって綴じ、以後5年間、これを保存しなければならない。明治20年制定」

みたいな、一見まともそうに見えて実は全員にとって害でしかない“平等罰”

的な小ルールがひたすら大増殖していく仕組みとなっている点が異なる。

 

このような有害な小ルールが無数に成立してしまっている環境だと、

特定の1つの法だけを批判しても焼け石に水というか徒労でしかないと

誰もが感じるようになってしまうため、

その怒りの矛先は法には向かいにくく、代わりに隣人に向かう。

 

「昨日、日誌を不正に捏造してコストを削減しようとした者が、

   正義の告発によって検挙された。

   国は犯人を謹慎処分とする予定だが、これでは刑が甘すぎる。

   犯人は法が定めた公文書を捏造した文句なしの犯罪者なのだから、

 謹慎ではなく退学処分、いや懲役刑とするべきである」

こんな感じで、ズルをして義務を免れようとした人間を寄ってたかって

しばきまわそうとする動きが起こりやすいようになっている。

 

こうして考えると、スネ夫大国となる理由は日本人の気質にあるのではなく、

日本の法律のほうにあるのかもしれない。

だってチンパンジーの事件だって、もとはといえばボスザルがバナナを取った

のが原因だろ?

てことは、人間の場合は「腐った法律が国民に損害を与えた」のが原因とも

言えるわけやん?

 

ただ、それもつきつめれば日本人の気質に起因するということになるのかもしれない。

 

総じて日本人には、

【単体の平均値では賢いのに、集団になるとすさまじくバカになる】

という特徴的な傾向がある。

そんな日本人の負の集合知(=集合痴?)が例によって悪い方向へ向かい、

【国民の国民による国民への罰】みたいなアホ法を永遠に増やし続けてしまうという、

たいへんわかりやすいメカニズムになってしまっているのかもしれない。