タンジェント現象というのをご存じだろうか。
(ご存じのわけがない、私が勝手に作った言葉だ)
これは私が若いころに愛用していた言葉である。
tan(-89.9999999°)=+∞
tan(-90.0000001°)=-∞
のように、ほんのわずかに行き過ぎることで別の象限に飛ぶことが
なんとも奇妙で、かつ重要なことに思えた。
私はこの考え方が物理においても役立つのではないかと思い、なんか
おもしろいヒントはないものかと、数学の先生を追いかけまわして
質問攻めにしたものである。
(私のしつこすぎる質問攻めに先生は困惑していたが、やがて
『困ったときは神妙な顔で「それは神のみぞ知る…」と言っとけば万事OK!』
という流し技をおぼえてからは、私が質問に来ても嫌がらなくなった。
そして私はこの先生と楽しく数学談義ができるようになった)
2年後、私はタンジェントを単なる道具としかみなくなり、
(ぶっちゃけ「b = a×tanθ」の便利さに感動する以外は三角関数など
たいして面白くもなく、ただの義務ツールでしかない)、
紙面上の2次元グラフに心ときめかせる純情な時代は終わってしまったが、
後に社会人となって人間行動学(←私が勝手に作った学問)を学び始めると、
私は再び謎の不連続(連続?)について思いをはせることとなった。
社会人の私は、物理よりも人間にこそ、この現象が起こっていると思ったのだ。
そして
マイナスをつきつめると、究極のプラスとなって現れる
という人間行動をタンジェント現象と名付け、
周囲の人たちにせっせと広めていたのである。
というわけで、今日はタンジェント現象について話そう。
これは、実はそんなに珍しい現象ではない。
巷でもよく、「バカと天才は紙一重」などと言ったりするだろう?
私はそれを三角関数にちなんで言っているだけのことである。
もしわずかに違うとすれば、私はただ天才とバカの違いを見るのではなく、
それを2次元のグラフとして見ているので、「lim(バカ→天才)」と「lim(天才→バカ)」
は意識的に区別しているということくらいであろうか。
さて私が最近になってしばしばこれを思いだすのは、
以前書いたI型経営者の「Q氏」を思うときである。
Q氏の言うことは、普通に考えれば、いつもメチャクチャだ。
Q氏の意思は、ぶっちゃけすべてが感情だけで決まっている。
しかしだからこそ、彼の話はものすごい説得力を持っている。
要するに、彼はlim(バカ→天才)を感じさせる人物なのである。
私の観察では、まったく欲のない彼だけが、究極の財テクを行えている。
そして「究極の無欲」と「究極の財テク」を合わせ持った彼は、
おそらくいつか「究極の大破綻(-∞)」を生み出し、
そしてその破綻こそが周囲への「究極の善(+∞)」を生むのではないかと
私は予想している。
その善とは、(これは想像だが)、守銭奴の集団誘導かもしれない。
ほら、ケチな奴ほど寄付をしたがるっていう現象があるだろう?
ひょっとすると彼は、守銭奴達からとてつもない額の寄付をもらい、
それを盛大に燃やしまくるのかもしれない。それなのに守銭奴は怒ったりせず、
むしろQ氏に貢ぎ物を捧げ得たことにエクスタシーすら感じながら、
札束が燃えまくるキャンプファイヤーを見て恍惚としている。
そんな不気味で摩訶不思議な光景が、彼の周囲に起こりそうな気がする。
(彼のことだから、きっとその燃えカスが世間のよい肥料になるのであろう)
Q氏が何をやらかしてくれるのか、私は今から楽しみである。
こういう両極端な結果を生む人って、たくさんいるようで、
実はあまりいないんだよね。
ほとんどの人は、漫画アカギに出てくる仲井純平氏の名ゼリフ
「どっちに転んでも、うまか手ちゅうことばい」
を地で行くような、せこい生き方になってしまう。
仲井氏の考え方は物事を平均化して一定値に収束させる結果を生むから、
タンジェント現象は発生せず、あまりおもしろいことがおこらない。
・・・って他人事のように言いながら、
私の麻雀における考え方は、せこい仲井君とよく似ているかもしれないけどな。
(だから私の麻雀はやればやるほど時給300円に近づいていき、
おそらく老後の趣味としてのみ役立つのだろうと思われる)
私はそういうしょうもない人間だからこそ、タンジェント探しが楽しい。
天井を突き破って地面から生えてくる人や、地面を掘り続けて空から降ってくる
ような人を見ると、心の底から笑ってしまうような気持ちになる。
これがやめられないから、私の「天才探し」という趣味はおそらく死ぬまで
続くだろうなと思う。