最近アホブログを書いていなかった。
なんか果てしない無意味さを感じてしまったのだ。
で、その「無意味感」はどこからくるのかを考えていた。
そのヒントは、岡田斗司夫の動画にあった。
彼の動画のなかに「トトロ問題」という話があったのだ。
トトロ問題というのは、ジブリの人達が田舎の風景を描き、
【自然はいいよー!みんな、自然の中で楽しく遊ぼうよ!】
というメッセージを出しているのに、
実際には素晴らしい映画を作れば作るほど、子供たちは
【外に出て遊ぶより、家でトトロを見てるほうがいいです】
という残念な結果になってしまうという話である。
このような悩みは、岡田氏にもあるようだ。
彼の主張はいかにも6w7な『友達たくさん作ろうよ!』であるはずだが、
実際には岡田動画は「部屋でぼっちで動画を見る人」を量産してしまう。
(まさに私が、一人で彼の動画を見て楽しんでいるように)
また、彼は本が大好きで皆にも本を勧めたいと思っているのに、
動画で本の内容を紹介すればするほど、視聴者は
「もう動画で聞いたから、読まんでもええわ。次の本の紹介よろしく」
ってなってしまったりする。
岡田氏は、そのことをとても悲しそうに話していた。
また、岡田氏は近頃「橘玲」という人の本がお気に入りのようで、
岡田の話を聞く限りでは、橘氏はちょっと5w6っぽいこと、例えば
『IQが130(2σ)を超える人は5%くらい存在する計算になり、
頭の良い人は自分が上位何%なのか気になったりするかもしれんけど、
2σで5%ってことは、IQが70未満の人も5%存在するということやで。
70未満が5%もいる集合って、けっこうまじでやばいで。
こんな集合だと、話の通じないゴネ得狙いのクソ客とか、商品の9割を
食ってから返品するようなセコケチとか、食堂の箸にうんこ塗るアホとかも、
普通におるに決まってますがな。そういう厳然たる現実を忘れて、
鳩山首相みたいなヌルイこと言うのは、たいへん良くないことやで。』
ってな感じの陰気なこと(※上記は引用ではなく、岡田話をもとに創作した私の想像である)
を言いたがる人ではないかと想像するんだが、
この橘氏もまた、たぶんジレンマに陥っているだろうと想像される。
というのも、おそらく橘玲氏というのは、(読んでないけどたぶん、)
『本なんか読んでる暇があったら、もっと周囲をよく見たほうがええで』
とか言いたがりそうな人であると想像するんだが、
彼の本に衝撃を受けやすい人( ≒ 彼の本を高く評価しそうな人)は
むしろ『周囲をシビアに見る習慣がない人』であり、
もし彼の読者が彼の言葉通りの行動をするようになったら、
彼の本は売れなくなってしまう恐れが大で、
つまりジレンマというわけである。
===============
私は岡田氏や橘氏のように作家活動などしていないが、
このアホブログについて感じた「無意味感」も、
大きな枠で見れば同じような種類のものなのかもしれない。
すなわち、現実主義者である私は
『何が当たるかは、実行しながらでしか感知できない。
いいアイデアも、実行の中でしか生まれない。
世の中はそういう仕組みでできており、
N力なんて現実の前では悲しいほどに役に立たない』
という恐るべき現実を痛感しているからこそ、
『自分は何発の試射ができるのだろうか』
ということが気になってきて、
そうすると自分の持ち物とかが気になってきて
『もし幸運にもよい兆候が見えた場合は、すぐ連射できるように
しとかないと、そもそも試射する意味がなくなってしまう。
てことは、撃ったらすぐ連射体制とか弾丸の準備をしとかなあかんな。
コスト的に試し撃ちはせいぜい5~6発くらいしかできなそうだから、
つまり打率が10%以下だと順当に死ぬことになりそうやな』
みたいな夢のない方向のことも考えるのであるが、
何かをスタートする地点では確実性なんてほとんど考えておらず、
むしろ「そんなの考えても無駄」と、誰よりも思ってるわけです。
しかし私のアホブログを読んだ人は、たぶんだけど、
「なんか読めば読むほど、事前の準備みたいなのが気になってきて、
そうすると"確実性"みたいなものが気になってきて、
思い切ったことができない気持ちになってくる」
みたいになるのではないかと想像され、
つまり私もジレンマということになりそうな気がしたのである。
人間というのは「現実的な話を聞かされると妄想が吹き飛ぶ」
という性質を持っているから、
そのせいで上記のようになりそうだと想像するわけだが、
本当に私が言いたいことは、
「何が起こるかわからん人生のほうが楽しいから、あなたもどう?」
ということであるので、
その逆の効果を生むようなアホブログを書くことに
意味がないような気がしてきたわけである。
実際のところは、
あてずっぽうでも「次々と試す」というのは根気のいる作業であり、
それがつまり私がよく言う『こつこつやる』ということなのですが、
そういうことを理屈っぽく書けば書くほど、読んでる人には
『私は熟考マンです。そして確実なことをやります』とか、
『ワンショットワンキルで、確実に獲物をヒットするべきと思います』とか、
本来の意図と真逆の意味にしか見えないという現象が起こってそう。
本当は、私が言いたいことは、そんなんじゃないんですよ。
おいしいケーキの作り方というのは
何個かケーキを作った人だけが思いつくものであって、
1個もケーキを作ったことがない人には想像が及ばない。
まあ人間の想像力なんてその程度のもんだということで、
これを言葉にすると
「想像なんていう無駄な皮算用をやってる暇があったら、ケーキ作れ」
ということになってしまうわけですが、
その真意は「思考停止して労働せよ」ということではなく、
「考えないのはただの思考停止やけど、先に考えたら皮算用やねん。
僕的には、皮算用すらもできんくらいアホになってテキトーにやりつつ、
でも走りながら考えやすいようにゴミアイデアは先に洗い出して処分しとく
のがいいと思うねん」
みたいなことが言いたいわけです。
なんかやっぱ伝わる気がしなくなってきたけど、
私は「我慢して働くべきだ」みたいな考えは1ミリも持っておらず、
そのへんは私も怠け者のクソN型そのものですので、
できれば誤解なきようお願いします。
====================
おまけ
上記の話とは関係ないが、なんか岡田としおがおもしろいことを言っていた。
彼の話では、
「意思がフラフラしてしまう人は、信念が弱いのではなくて、
矛盾した2つの信念を強く持ちすぎているからなんだよ。」
とのことだった。
まあ奴のいうことは結構テキトーなので嘘かホントかは定かでないが、
エニア野郎の私としては興味を引かれる話題である。
ちなみに意思フラフラ問題に対する岡田氏の結論は、
「フラフラしないために矛盾した信念を持たない(片方捨てる)という選択もあるが、
僕(岡田)の場合は、時間帯によって信念を変えることにした。
つまり太陽が出てる時間は橘玲的な厳しい現実に基づいた信念を強く持ち、
日が沈んでからは自分のメンタルに優しい信念を強く持つと決めた。」
という、超テキトーな解法だった。
でも、それは結構いい方法なのかもしれない。
彼の方法は信念という言葉の定義自体を破壊するような方法であるが、
どのみちⅢwⅡである彼には片方を捨てる(=Ⅱ)ことなどできそうになく、
自己を熟知して最良の解を編み出しているように見える。
(たとえ実際には自己の適性など考えていなくてもだ)
こういうテキトーさにおいて、私は彼の足元にも及ばない。
やはりあのおっさんは天才だと私は思う。