INTP5w6による性格タイプ雑記ブログ

MBTI&エニアグラムのよもやまブログ

私が適応すべき2つのこと(+追記)

世の中に不満を持つ人は多いが、もっと悲惨な状態も存在し得るわけで、

たとえば極寒でエサがない時代に比べれば現代日本は恵まれているとも言える。

 

そういう考え方なので、私はどんな時代に生まれても

概ね不満なく適当に生きるのが得意なような気がするのだが、

やはりどうしても不満な部分はあり、それは以下の2点周辺に集約されている。

その不満には、旧来からの不満点と、新しく生じてきている不満点がある。

 

この2点をどうやって自己解決するか、

つまりできるだけ不満を感じないようにするにはどうすればよいかを、

私は日々考えている。

 

======

 

旧来からの不満:【為政者に掠め取られること】

 

政治が強くなる方法は簡単だ。何かを許認可制にすればいい。

関所を作り、通関料を払わせれば、金は簡単に掠め取れる。

もっと多く掠め取るには、空間関所ではなく、行動関所にすればいいわけである。

 

税金に巣くう毛ダニはつくづくうっとうしい奴らであり、私は若いころからずっと

「小さな政府になってほしいなあ」と願ってきたが、そうなる気配はない。

むしろ大きな政府化が趨勢であり、この点では、私はがっかりしたまま死ぬのだろう。

 

ただまあ、これはもう百年以上続いている流れで、今に始まったことではないので、

私も行動面ではある程度対処できているような気もしないでもない。

できてないのは、「考えないようにする」ということだな。

考えても無駄だと知りながら、つい考えてムカついてしまうことがある。

我ながら愚かである。

 

私は逆ウイングが4だから、「考えないようにする」のがどうしても苦手だ。

救いとしては、なんだかんだ言ってT5はバランス志向のような気がするので、

バランスの話に落とし込めばどうにかなるかもしれない。

「〇〇%だけ認めると一番バランスが良い」みたいに考える習慣を

つけていくことを目指そうと思う。

 

 

 

新たに生じつつある不満:【クソ客の増加】

 

消費する奴が生産する奴の邪魔をするのが「クソ客」という現象だ。

私にとっては実に腹立たしいことなのだが、世の趨勢には逆らえぬ。

わりとしょうもない無能が、他人様の店に行って

「味が薄い✖。店員の態度が気に入らない👎。皆さんは行かないようにね💛」

とか書き込める仕組みは、今後もますます増えていくだろう。

 

仕事を「最も飽きにくい最高の遊び」と考える5w6としては、こういう奴を見ると

「嫌ならもう行かなきゃいいだけだろ、他人の足を引っ張るなよクソ暇人め」

としか思えないのだが、どうやら世の中はその逆だ。

「偉そうに店を構えるようなイキった奴には、消費者様を満足させる義務がある👊」

「足を引っ張る人が悪いのではなく、足を引っ張られるような奴が悪いのだ👊」

という主張が多数決に勝つ趨勢であり、この流れには逆らえぬようだ。

 

まあこの現象も、社会を見ることが得意な人からすれば

だいぶ前から加速してきてるので「何を今さら」ということなんだろうが、

社会性最下位のw6族である私は、あまりにも自分の価値観と合わないため、

十分な対処ができていない。

お暇様たる消費者をもっと敬えという趨勢は、今後もきっと止まらない。

私は人生を楽しく過ごすために、もう少し適応しなくてはならない。

 

方向としては、私はどうしても暇人にはなりたくないので、

少数派として生きていくことは避けられない。

ただし、

「有閑貴族たる暇人様こそが一番エライという掟に、私は決して反抗いたしません」

「私は皆さんがますます高貴になれるよう、下僕としてお手伝いさせていただきます」

というスタンスをきちんと身につけ、

多数派の人々に迎合することは、不可能ではないはず。

 

自分の価値観に反したことを習慣化するのはなかなか困難なことであるが、

今後も楽しく仕事をしたいのであれば、

「あいつは製造などという汚染行為をしているが、まあ特別に許してやろう👍」

「あいつは週7勤務などという低脳反社活動をしているが、まあ許してやろう👍」

そういわれるポジションをゲットしなければならないのである。

 

できうることなら、

「消費者選考試験を受けますので、どうか製品を売っていただけませんか🥺」

と言われるポジションになることがベストであり、

それこそが我が社で働く人々を愉快にさせる道なのであるが、

現状そこまで欲をかくほど有利なポジションとも思えないので、

当面はゲリラ的にしぶとく粘るしかない。

 

=========

 

今の世は、人口減少という歴史的にまあまあ珍しい状態であるから、

そこそこ大きなルールチェンジが行われても、そんなに変じゃない。

そのへんは早すぎず遅すぎず適当に対応せねばならないのだが、

私は②については、やっぱ遅れているのかな。遅れている気がするな。

 

ただまあ、私は「クソ客は嫌がらせして追放」という素直かつ合理的な営業形態を

いち早く確立して実施してきたぶん、ある意味スッキリしているので、

いざ「暇つぶしの技を競い合う貧乏化社会」に敬意を示すと決心したら、

案外素直に切り替えられるかもしれない。

というか、切り替えられるといいんだがな・・・。

 

*****************************

(※追記)

書いた翌日に読み返してみたら、あまりにも意味不明だったのでちょっと追記。

 

「切り替える」とは、【お客様を神様として扱い、お客の横暴やワガママを受け

入れていく】という意味ではないです(そんなことをしていたら社員が死にますし)。

横暴な客については、これまで通り直ちに応戦し、もう二度と近寄りたくないと

思わせることを是としていく所存です。

 

では何を切り替えるのかと言うと、これまでは私はひたすら「客の生産的行動を

支援する」ということを事業目的にしていたのを、少しずつ「客の消費的行動も

支援する」に切り替えていこうと考えているということです。

 

ちょっと極端な例ですが、「マッチングアプリ」というものがありますよね。

あれは、生産的なものでしょうか、それとも消費的なものでしょうか?

質問自体が愚問すぎるのですが、私的意見を書くならば、この手のアプリは

「相手を見つけるための生産的活動を支援するサービス」と私は考えます。

なので、この種のアプリを使うことは、おそらく苦痛を伴うだろうと思います。

目的を果たすために、苦労をする覚悟がある人だけが使えるツールなわけですね。

 

一方で、「ゲーム」は生産的ツールでしょうか、それとも消費的ツールでしょうか?

ますます設問が愚問すぎるのですが、おおざっぱに言うと、

私はずっとゲームについて否定的に考えていました。

 

ゲームは、誰がやっても楽しめるように、作り手が楽しみを準備してくれています。

むしろ、麻薬的刺激を埋め込んでプレイヤーを判断不能と堕落に陥れることに成功

すれば、それがゲームとしての名作ということであろう、とさえ思っていました。

(かなり偏った見方であることは承知しています)

 

もうひとつ、ラーメン屋はどうでしょうか。ラーメン屋は、食事という生命維持活動

を支援すると同時に、娯楽的意味も含んでいます。私は「娯楽」を否定するつもりは

ありません。それらも翌日の生産につながるかもしれませんし、つながらないかも

しれませんが、どちらも含めて人生ですので、いちいち生産か消費かを区別することは

そもそも無意味なことであります。

 

ただしかし、もし店主が「ラーメンに麻薬物質を混入して客を中毒に陥れ、たとえ

健康を害してでも毎日食いたくなるようにしてやろう」と考えているならば、

どうでしょうか。私は、そのように考えるラーメン屋と、その他のラーメン屋は、

「もはや別の業種である」と考えて、個人的に区別して見ていたのです。

ラーメンによって区別するのではなく、事業者の意思によって区別していたわけです。

 

このように私は、客を依存や中毒に陥れることを手段とした事業を、一種の害悪の

ようにみなしてきました。そして、それが悪であるとみなす理由を、いちいち個別に

人道的な観点から判断するのではなく、

「生産の阻害を回避する意思のない事業は、すべて害悪とみなす」

という、いかにも私らしい判断基準でスピード処理していました。

 

(私の脳みそは、わりと邪悪な作戦も平気で生み出してきやがるので、自分が不幸に

 ならないために、何をやってよくて、何をやってはいけないかを、できるだけ明確に

 判断することが必要だったのです)

 

しかし、そもそも生産を価値基準の重点に置くことは私の単なる好みであり、世界共通

の普遍的概念ではありません。生産の阻害を害悪とみなし得るのは、生産を価値基準に

置く人が大多数を占める社会においてのみです。

もし人々の大半が「生命維持ツールよりも、麻薬によって苦痛を取り除いてくれ

と考えているならば、むしろ私のような生命維持重視の人間こそが害悪の存在とも

なり得るわけですよね。

 

私は、現在の世相は、このギリギリの境目、あるいは遷移過程にあると思います。

 

過去の基準で言えば、たとえばSNSに依存し、わざわざ不幸感を感じている人は、

ずばり「自己制御できない愚かな人」と言ってもよいくらいでした。

しかし、時間をやり過ごすことが大きな目的となる世相であれば、全くそうでは

なくなります。SNSは優良な趣味のひとつとなり、もしそこで不幸感を感じること

があったとしても、それは不幸な内容の映画を見るのと同じように、

「SNSによって一時的な不幸感を味わうことができ、有意義な時間であった」

と解釈するのが妥当ということになります。

 

このように、「生命維持的活動」と「時間消費的活動」のどちらに重きを置くかに

よって、解釈がまるっきりかわってしまうかもしれないわけです。

 

これまでの私は、「マッチングアプリを作ることはあっても、ゲームを作ることは

ないであろう」という人間でした。もっと端的に言うと、依存を誘うツールは害悪に

近いものであるとみなして、徹底的に避けてきました。

 

私のいう「切り替える」とは、このへんのバランス配置を少しづつ変化させていこう

ということです。ゲームによって「時間をやり過ごす」ことに一定の価値があると

認識し、そのへんを含めた事業目的に変更していこうと考えている、という話でした。

 

そういう意味では、「評論家気取りで★1をつけてまわる人」なども、そうやって

時間を塗りつぶすことに価値を置いている層が多いのだと、認識を変えていく必要が

あるかなと思います。

 

(でも正直、これがとても難しい。死ねばいいのにと思ってしまいそうになるから。

 こういうことをされると社員も萎えまくるし、対抗するか否かの判断基準を

 どこに置くべきなのか、今の私には明確な答えが出せていない。

 そもそも、下駄箱の靴を隠す系の見えない敵は、対面とは異なり、かなり手強い。

 個人の感想なのか、他業者による営業妨害なのかを判定することさえ困難だ。

 これまでは、すべて生産優位の判断基準で、受ける攻撃も対面攻撃ばかりだった

 ので、答えを明確に決められたのだが、ネットは決めること自体が難しい)

intp5w6による性格タイプ雑記ブログ