INTP5w6による性格タイプ雑記ブログ

MBTI&エニアグラムのよもやまブログ

転機となる出会い

「絆」だの「出会い」だのいう言葉が最高に似合わない私だが、

人との思いがけない出会いが人生の転機となり得ることは、

いくら絆嫌いの私でも、さすがに否定することができない。

 

私の場合、自分にはできないと思い込んでいたことを

他人があっさりとやり遂げているのを見て、

「アレ?なんか普通にやってる人がいるぞ」

というのが転機になりやすいようだ。

 

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最初の「転機的出会い」は、小学生のときであった。

私は転校をきっかけに奴隷的身分にされてしまい、

暴力に脅される毎日を送る羽目になってしまった。

泣きながら「ジャイアンやスネオに勝てるわけないよ」と訴えるノビタの

気持ちがよくわかるような状態であった。

 

だがあるとき、私に集中的に暴力を振るっていたスネオ(ESFP)が、

例によってジャイアンの威を借りて私の級友を脅し、

むりやり言うことを聞かせようとしたところ、その級友が

「は?なんでそんなことせなあかんの?あほみたい」

と言って軽く撃退するのを目撃し、私は衝撃を受けたのだった。

 

そして私は、

「ひょっとして、ジャイアンの仲間だと思い込んでただけなのかな?

 よく見たら、こいつそんなにデカくないし、味方してくれる友達もいない。

 僕はなんで、こんなやつに勝てないと思い込んでいたんだろう?」

と、一気に目が覚めたのである。

もともとINTPは、決して身体運動が苦手な人種ではない。

暴力を避けようとする性格が、食い物にされやすいだけである。

 

私は暴力の呪縛から解放され、「あほみたい」と言った級友と親友になり、

転校前と同じように楽しい生活を送れるようになった。

他人からすれば些細なことだが、本人にとっては超重大な一大転機であったと、

わかる人にはわかると思う。

 

このような転機は、大人になっても何度かあった。

一番最近の例を挙げる。ある出会いをきっかけに、

やりたかった製造事業の第一歩を踏み出せたという話である。

 

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私はもともと製造業の会社員で、会社から研究費を与えられ、その金を使って

社内で人を雇用しながら新商品を開発するという、企業内ベンチャーみたいな

ことをやっている平社員であった。

 

最初はおもしろい仕組みだと思って喜んでやっていたのだが、

こういうことをやっていると、とにかくE型が寄ってくる。

「おいしい話なら一枚かませろ」的なE型の卑しいジジイが

私の研究室に毎日入れ替わりやってきて、あれこれ報告を要求され、

一日の半分を卑しいジジイに奪われてしまうのだ。

 

卑しいジジイの言うことはいつも同じだ。

「私を仲間にしないと、邪魔するよ?」と。

彼らは基本的に方法がヤクザと同じであり、自分は何も供出せずに

邪魔することを匂わせるだけである。

こういう、協業システムに寄生するだけのE型が、会社にはうじゃうじゃいる。

 

で、私はついにうんざりして、

「やっぱ事業は自分の金でやらんとおもろないわ」

というシンプルな結論に達し、退職して自分の会社を作ったわけである。

 

しかし、私は商品案は色々思いつくものの、会社から与えられていた研究費の

額に比べ、私の貯金額はそれよりもはるかに少ない。

私は「この金額で製造業をやろうというのは、さすがに無理があるかも」

と思うようになった。

でも借金するのは嫌だったので、まずは5年ほどかけて資金を増やそうと、

ホップステップの「ホップ」のつもりで、アイデア系の土着サービス事業

をやり始めたのである。

 

しかしまあ、やってみてから知るのだが、サービス業というのは

数年内に半数以上が倒産するという熾烈な世界で、

貯金がもりもり増えるほどの黒字を出すのは相当に難しい。

私はしょうもない雑務(=社員の面倒をみる苦行仕事)に追われながら、

「サービス業は5年で卒業するはずだったのに、

 資金は増えるどころか、むしろ減ってる。

 いったいいつになったら、製造業なんかやれるんだろ?」

と、6年目にして途方に暮れ始めていた。

 

そこで出会ったのが、ENTJ 3w4の若者であった。

彼は我が社にバイトに来た、20代半ばの青年であった。

話を聞くと、なんと自分で製造会社を作って経営しているという。

私はめちゃくちゃ驚いた。

「え? 2代目とかじゃなくて自分で工場を作ったの?

 どうやってやったの?

 てゆうか、なんでうちでバイトなんかしてるの?」

頭がハテナだらけであったが、

別に何も怪しいことをしているわけではなかった。

 

聞けば、彼はわずか100万円の元手を持って上京し、パンの耳をかじりながら

卸売会社を作ったものの、激痩せの末あえなく1年で倒産してしまった。

しかし、その営業活動を通じて貿易商の爺さんと知り合い、

3w4特有の「あなどれない2力」でその爺さんを虜にし、

その爺さんのすすめで郷里に帰り、輸出向けの工場をおったてたのだ。

資金の2000万円の融資は、その爺さんが保証人になってくれたらしい。

 

なんのためにバイトしてるのかはイマイチ理解不能だったが、

彼の工場はすぐに忙しくなり、数ヶ月後に去っていった。

そして2年後、我が社の業績は彼の会社に軽く追い抜かれてしまったのだった。

 

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彼との出会いは、私にとって衝撃であった。

そして、

「なんか、すごく簡単にやってるように見える。

 僕も、変に段階を刻んだりせず、サクッとやってみようかな」

と思うに至った。

彼は、【製造業には、緻密な計画と多大な初期投資が必要】という

私の思い込みを、あっさりと破壊してくれたのだ。

 

で、夜間や正月休みなどを使って1人で製造技術の研究を始めたところ、

なんやかんやで「手伝ってあげてもいいよ。てゆうか、やりたい」

みたいな人がぽつぽつと出てくるようになり、いつのまにやら私も

【注文に追われ、皆でヒーヒー言いながら製造するのを楽しめる身分】

くらいまでは出世してきたというわけなのである。

(あ、自慢するほど儲かってるとかではないので、念のため。)

 

転機をくれたENTJ君とは、今も親しく付き合いを続けさせてもらっている。

私は、彼のやり方をそっくりマネしたわけではない。

(そもそも私は、貿易商の爺さんを虜にするような2力など持っていない)

ただ私は、目的に向かって回り道をしないという行動様式をマネたのだ。

私には爺コマシの術はないが、商品開発という得意技がある。

私は私のやり方で、目標への直接アタックを試みた。

 

いかにも自立主義のINTP5w6的な

・あくまで自己資金でやる(銀行から干渉を受けない)

・下請けは絶対しない(人様から仕事をめぐんでもらわない)

・お手軽開業キットとかのカモ商品は死んでも買わない

という指針は継続したため、

 

・製品を作るための機械を、まず作らないといけない

・そのために「“製品を作るための機械”を作る機械」をちまちま揃えないといけない

という、途方もなく後方からのスタートだったが、

しつこくやってりゃ、いつのまにか前進してたりするのである。

(と言っても、設備代に数百万程度は使ってるので、非現実的な夢想なきよう)

 

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ところで、ネットでこういう体験話を書くと、えてして以下の2つの反応が得られる。

①けっ、自慢しやがって!

②自分もイケそうだと、勇気が出ました!

 

私は、そういうしょうもない話に飽き飽きした。

私は架空の物語は退屈で、実話のほうが百倍おもしろい。

私と同じ類の人が読めば、体験談は失敗談も成功談も、どちらもおもしろいはず。

私と逆の類の人が読めば、きっと①や②のような感想になるのだろう。