コロナにかまけてしばらくニュースを見てなかったら、なにやらテニス選手の
大坂なおみ選手が記者会見を拒否して大会を棄権してどうたらこうたら、
とか書いてあった。
たしかに記者会見で質問する記者って、たぶん相手の感情を揺さぶりまくって
怒らせたり泣かせたりするほど上司からホメられる構図になってそう・・・。
だとしたら、そりゃあ、スポーツ選手にとってはウザいだろうな。
とはいえ、記者を批判している大坂選手のほうも、テニスに興味のない
私のような視聴者までウザい気持ちにさせる不快の才みたいな能力を持っており、
ウザvsウザで、どーでもいいというか、むしろダブルウザい。
しかし、誰かがきっかけを起こさないと永遠に記者はウザいままだし、
といってウザvsウザなんてウザが増えただけのような気もするし、
なんかよくわからんニュースやなー・・・と、うだうだ考えていた。
そんなことを考えるうちに、私はふと、ものすごく今さらなことに気が付いた。
巷では「愛の対義語は無関心」などと言われるが、
私は、愛の対義語は普通に「憎しみ」だと、あらためて理解したのだ。
冷静に考えてみれば、当たり前のことだ。
無関心とは、いわば0の状態のこと。
会計において、「利益」の反対は「損失」であって0ではない。
同様に、愛の反対は憎しみであって無関心ではない。
無関心とは、愛も憎もないような状態を指しており、
もしどうしても無関心に焦点を当てたいのであれば、
無関心の対義語は「愛憎」と言うべきであろう。
ちなみにマザーテレサは、「愛の対義語は無関心」なんて一言も言っていないらしい。
で、ここからが駄文を書こうと思った本題なのだが、
「愛の対義語は無関心」なんてアホな言葉が巷に広まってしまうのは、
愛と憎しみには「どちらも関心に起因するもの」という深い共通点があるからだろう。
そして他者から発せられる関心には、
「①持たれて嬉しい関心」と、「②持たれるとウザい関心」がある。
①に対する反応が愛であり、②に対する反応が憎である。
と私は考えたのである。
愛は関心を歓迎する気持ちであり、憎は関心をキモいと感じる気持ちである。
愛は反射する性質を持つので、憎も反射する性質を持つと考えてよい。
人間という生き物は、他人からウザい関心を持たれてしまうと、
こっちまで相手にウザい関心を持ってしまうという、しょぼい性質を持っている。
ちなみに私は、もともと他人へ愛情が豊かではないので、
反射としての愛を、あまりもらえない側の人間である。
しかし①が薄いと同時に②も割と薄いので、憎しみもさほどもらわない。
嫌われる天才は、私とは違う特徴を持っている。
その特徴とは、何か?
ここまで整理してきた結果から言うと、
嫌われる天才が持っている特徴は、おそらく
「他人にウザい関心を持っていること」であろう。
そのウザい関心とはいったいどんな関心なのかと言うと、
【自分に関心を持たせるべきカモとして、(無選別に)他人に関心を持つこと】
であると、私は考えた。
これが今回の駄文の主題である。
そもそもの話、無関心って、決して「ダメなもの」ではない。
むしろ、愛を育てるのに重要な要素でさえある。
どうでもいいものに関心を持たないからこそ、
関心を向けるべきところに関心を維持できるという事実は否定できない。
もし様々なことに関心が均等に散らかってしまっては、
それは何に対しても関心を持っていないのと似た結果になるだろう。
愛にうとい私から見ても、そういうのは、たぶん愛ではない。
愛とは選別を伴うものと定義しなければ、必ず矛盾が訪れるだろう。
ところが「嫌われる天才」の人達は、他人の関心を自分に向かわせるために、
いつも大きな声でくだらないことを騒ぎ立てている。
しかも特徴的なのは、相手を選別せずに、誰でも構わず関心を引こうとする点だ。
昭和アイドル的な「誰彼かまわず均等に愛する」という博愛みたいなのも、
実はあまりよろしくない結果(虚構)を生むのだが、
無差別にバラ撒くのが①の方の関心なので、まだマシというもの。
一方で、②を無選別にバラ撒くのは、愛から最も遠い行為だ。
行為の反射として、多くの人から「ウザい関心」を集めまくることになるのだから、
これでは嫌われる天才になるのも当たり前の結果と言えよう。
人間が関心を持つべき対象は、人間だけではない。
私は猫などの生物にも関心を持っているし、機械などの無機物にも関心を持っている。
人間の関心は、一見ぼーっとしてそうな人であっても、わりと忙しいのである。
それなのに、しょうもないことを騒ぎ立てて、むりやり関心を集めたがる
関心亡者の方には、
「見ず知らずの人の関心をやたらに欲しがって、騒がないでください」
と切に訴えたい次第である。
ということで、頭を整理させてくれた大坂さんには感謝したい気持ちもあるのだが、
おせっかいながらディスらせていただくと、
大坂さんはもうちょっと関心を持つ相手や事柄を狭くして、
それら限定的な相手に直接働きかけたほうがよいと、私は思いました。
あの激しい性格を、くだらない質問をしたバカ記者を再起不能にする必殺回答に
向ければ、運営も聴衆も選手も喜び、まさに三方よしになるだろうと思いました。