種(s)として見るか、個体(i)として見るか。
わかりやすい例は、猫だ。
猫が好きで「猫かわいい」という人にも、実は2種類の人がいる。
・猫ならどの猫でもかわいい(種としてかわいい)=A
・憎たらしい猫もいるが、かわいい猫もいる(個体がかわいい)=B
ここで重要なことは、種と個の視点は0/1で分かれるのではなく
合計が一定という話であり、
「種として見る視点」+「個として見る視点」=合計1
ということである。
上記のAは種としての視点が強く(0.8)、個としての視点は弱い(0.2)。
上記のBは種としての視点が強く(0.2)、個としての視点は弱い(0.8)。
そして、これに関する奇妙な傾向として、
なぜか
生物への種と個の重みづけは、人に対しては逆転する場合が多い
というのがある。
猫の話で言えば、
・猫を種として見ている人(A) = 人間に対しては「個として見がち」
・猫を個別に見ている人(B) = 人間に対しては「種として見がち」
なお人に対する「種別視」「個別視」の違いは、たとえば以下のような感じだ。
人間を個として見る人の場合(A):
・隣人が飢え死に → 「死ぬほど悲しい。ううう」
・北〇鮮の人が飢え死に → 「ふうん。名前も知らん人やし、関係ないわ」
人間を種として見る人の場合(B):
・隣人が飢え死に → 「彼の短所がもろに出てしまったな。残念だ(棒)」
・北〇鮮の人が飢え死に → 「人類の愚かさがとても悲しい。ずーん」
ただし、「隣人」をどの範囲とみなすかは人による。
顔を見たことがあれば隣人とか、話をしたら隣人とか、
名前を知ってたら隣人とか、一緒に飲んだら隣人とか、
同じ釜の飯を食ったら隣人とか、性交したら隣人とか。
また、人への興味の総量はその人により一定であるから、
つまり隣人がたくさんいると、個々への興味は分散して減少する。
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上記は人の性格における重要な部分であると思うが、
もうひとつ、
「人への興味」+「他生物への興味」も、合計が1である
という重要な傾向が存在する。
・人間(同種)への興味が大きい = 他の生物への興味は少ない
・人間(同種)への興味が小さい = 他の動物への興味は大きい
ここにおける「人への興味」は、おおむねMBTIの外向度に相当する。
(すなわち内向とは同種以外の生物に興味が多く分散しているということである
と私は考えている。てゆうか生物以外にも分散してるのかもしれんが、
話が発散するのでここでは霊体や無機物は除外して考えておく)
ただし、これには度合いがある。
人類(同種)への興味は0/1ではなく段階的であり、
つまり0~1の間の小数になっている。
また、生物への興味の総量は人により一定であり、
つまりたくさんの「種×個体」に興味を持つと、
当たり前のことだが個々への興味は分散して減少する。
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以上の2つの事柄を合わせると、以下のようになる。
・人類種sへの興味係数Fs = 外向度のこと
・人類個体iへの興味係数Fi= 人を個として見る度合い
・どこまで隣人として見るか= n人/基準100人
∴ 隣人個体iへの興味指数Hi = Fs * Fi /(隣人数/100)
ちなみにドE型の「人を個体視タイプ」が密室で2人で暮らしている場合、
Fs=1.0
Fi=1.0
隣人圏n/100= 1名/基準100名
∴ ルームメイトへの興味Hi= 1*1/(1/100) =100.0
となり、理論的には100が最大であるが、
現実にはどうやっても10くらいしかいかないと思う。
私の場合、会う頻度が中くらいの隣人への興味は、
Fs=0.4(外向寄りのI型である)
Fi=0.25(人を個として見ておらず、種として見ている)
隣人圏=20/100(隣人視する範囲は基準100人に対し20人くらい)
∴ 隣人個体への興味Hi=0.4*0.25/(20/100)=0.5
これが大きいのか小さいのか知らんが、
人の名前や顔が覚えられないから、たぶん小さいのだろうな。
原因としては、やっぱ人類を種として見ている点が痛そうだな。
(でも友達100人の人よりは有利だったりするかもしれん)
一方で、私の愛猫への興味は、
Fs´=(1-0.4)*0.8=0.48 (他の生物への興味のうち80%が猫に集中)
Fi´=(1-0.25)=0.75(猫を個として見ている)
隣猫圏n/100=6/100(愛猫3と野良猫3相当)
∴ 愛猫への興味Hi=0.48*0.75/(6/100)=6.0
すげえ興味ある感じの値になった。
やっぱ「個体視」するとでかいな。
私はたいして熱心に世話をやかないのに、猫になぜか好かれるのは、
たぶんそういうことじゃないかと思う。