ENFPの一部には、
「一般的な仕事が恐ろしくできない」
という人が混じっている。
それは主に短期記憶力の欠如に起因していると言われており、
わかりやすく言うと「3歩あるくと忘れる」ような状態というか、
あるいはメモリーがキロバイト単位しかないような状態というか、
つまり鳥類のような脳構造であることが大きな原因であると考えられている。
しかし私の長年の観察によれば、
私は彼らの抱える問題が
短期記憶が原因ではなく、もっと別の問題
であると思っており、
今日はそのことについて少し書いてみようと思う。
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さて、上記について説明するため、
ちょっと極端な例であるが、「自転車」というものを例に取ろう。
一般に、自転車に乗れるようになるには練習が必要だが、
必要な練習量には個人差があり、
すぐに乗れるようになる人もいれば、
練習に時間がかかる人もたくさんいる。
ただ、どちらの場合であっても
「一度乗れるようになったら、もう乗り方を忘れない」
というのが一般的な傾向であって、
この点についてはおそらく誰も異論がないというか、
個人差が非常に少ないものだと思う。
だがしかし、もし実際に
【ある日突然、自転車の乗り方を忘れてしまった】
という人を見たとしたら、あなたはどう思うであろう?
おそらく多くの人が
「え? うそ? まじ? こんなことあるの?」
と、頭がハテナだらけになって混乱してしまうのではないだろうか。
まあ自転車については「そんな人は限りなくゼロに近い」
と言ってもよいかもしれないが、
一般の仕事においては、まるで自転車の乗り方を忘れるように、
他人の想像の斜め上をいく「あり得ない忘れ方」をする人は
意外とたくさん存在しているのである。
つまり何が言いたいのかと言うと、
仕事において最も恐ろしいのは、
忘却のスピードや頻度が大きいことではなく、
本当にやばいのは
「何を忘れるかわからない」という忘却の非選別性
であるということが言いたいのである。
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世間一般に言えば、
仕事において忘却が問題となりやすいのは「教育」の場面だ。
教育というのは、実はわりと感情的な作業であり、
いわば教える側と教わる側の共同作業であるから、
できるようになったときの喜びとかも共有される。
だから逆に、教わったことをすっかり忘れてしまうことは、
教えた側をがっかりさせたり怒らせたりすることもあるわけで、
つまり忘れっぽさこそがENFPをポンコツにする原因であると
考える人もいるかもしれない。
しかし、ただ感情や人間関係だけの問題であれば、
もっとうっとうしい性格の人間もたくさん存在しているわけで、
むしろENFPは他人の感情を制御するのが抜群に上手である。
だから問題は人間関係ではなくて、本当に問題なのは、
やはり「忘却の非選別性」に起因する事柄なのだ。
会社という場所では、多くの場合
「少々のミスはセーフでも、これだけは絶対にミスってはいけない」
という事柄があり、たとえば食品への毒や異物の混入とかは
一撃で会社を吹き飛ばすほどの致命的なダメージを生むことがある。
それは従業員の側もよくわかっているので、
たとえウッカリやドジが多い人でも、致命傷を生じさせるような
可能性のある事項だけは忘れないようにするという
「記憶力の選別的投入」が、ちゃっかりできているものである。
しかし、何を忘れるかわからないという「忘却の非選別性」
を持つ人の場合は、その回避ができない。
なにしろこの種の人は、非常に珍しい「記憶の不連続性」
みたいなものを持っているので、
【昨日まで忘れず100回できたことを、今日いきなり忘れる】
ということが、当たり前のように起こるからだ。
周囲としては、たとえその性質に気付いたとしても、
おそらくフォローのしようがない。
昨日の記憶が今日もあるかどうかを、他人がチェックするのは不可能だ。
確認のしようがないというのは、本当に恐ろしいことなのである。
ということで、忘れるスピードや頻度よりも、
一番怖いのは忘却の非選別性(あるいは非連続性)
であるということを説明してみたが、
我ながらわかりにくい説明だとは思うけれども、
まあなんとなく少しはおわかりいただけたかと思う。
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さて、長い前置きになってしまったが、実はここからが本題だ。
私は別にENFPをディスりたくてこんなことを書いているのではない。
そもそも私は、人間の個体のことなどどうでもよいのだ。
私が一部のENFPを見ていて気になったのは、
「このような不思議な忘却様式は、どういうメカニズムで発生するのだろう?」
ということであった。
前置きが長くなったので、さっさと結論から言うと
私は、これは脳みその「復元システム」の一種ではないかと思う。
私は常々、人間の脳みその記憶様式は、
コンピュータのシステム(メモリとかHDDとかCPUとか)に
たいへんよく似ていると思っている。
そしてパソコンを使う人ならわかると思うが、コンピュータでは
OSファイルが壊れて自動修復できなくなる
という故障モードが一定頻度で発生してしまう。
そのようなときは、最後の手段として
「過去の復元ポイントに戻す」
というリセット機能に頼ることになるのだが、
この復元をすると、
復元ポイント以降に行った変更はすべて消えてしまうものの、
システム自体は快調だった状態にたちどころに回復するのだ。
私は、一部のENFPの脳みそではこれと同じことが起こっている
(というかこの機能が一部の天才にのみ装備されている)
のではないかと推測している。
そして、彼らがしばしば見せる
「昨日まで少しずつできるようになってきていたことが、
今日いきなり記憶から消滅し、完全に初心者の状態に戻っている」
という謎の無限ループ型忘却様式は、
この機能を使うことの副作用として生じる
「復元ポイントの後の変更情報は、無差別的にすべて消去される」
という仕組み(あるいはそれに近い仕組み)で
発生しているのではないかと推測される。
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そんなバカなという声が聞こえてきそうなので、
我々人類が置かれている背景について少し。
人間というのは、嫌なことがあると、
「嫌じゃなくなるように、いろいろ考えて問題を解決する」
という行動をするものであるが、
そのような取り組みは、必ずしも成功するとは限らない。
というか、解がない場合だってあり得る。
そうすると、人間はだんだん弱っていって病気になったり、
なかには自ら命を絶ってしまう人さえいる。
それほどまでに、人間の精神は大きなストレスに晒されている。
しかし、もし脳に「復元ポイント」があればどうだろう?
事前に「最高にハッピーな気分の状態」をセーブしておけば、
それを復元ポイントに選ぶことで、
人間はいつでも最高ハッピーな状態に戻れることになる。
これは、対症療法に基づく精神薬の投与によって
「昨日よりも少し元気になった」
とかのしょぼいレベルのものとは、根本的に違う。
前日との差分ではなく、いきなり全快するのであるから、
これはすさまじく便利な、まさに夢の脳機能であるといえよう。
生物の脳みそは、常に環境に応じて進化しているのだから、
現代日本のように人口密度が過剰だったり、
精神病患者や自殺者が多数発生するような状況では、
仮にこのような進化方向を狙う遺伝子があったとしても、
そう不思議なことではあるまいと思う。
ただ残念なことに、この恐ろしく便利な機能は、
どうやら仕事というものの性質と、根本的に噛み合わないらしい。
(まあ、この機能は自分の精神を回復することはできても、
他人の物質的損害を回復することまではできないから、
そのへんが仕事と相性が悪いのだろうな・・・)
ということで、私はこれまでの人生で身近なENFP達が
・藤子不二雄がドラえもんで描いた「嫌なことヒューズ」のような現象とか、
・私がいま書いた「システムの復元」みたいな現象とか
を引き起こすのを何度も目の当たりにして、
ひょっとすると一部のENFPの脳みそは、
マジでこういう機能を備えはじめていてもおかしくない、
いやむしろ備えていなければ辻褄が合わないと、私は考えているのである。
このことを知らない人は、きっと一部の突き抜けたENFPのことを
「まるでWindowsのVistaかMe並みにバグだらけの脳みその持ち主」
みたいに、ただの故障だと考えてしまうかもしれない。
しかし本当は、他人に損害を与える可能性のある活動さえしなければ、
彼らの脳みそは進化の究極とでも言うべき天才的なシステムであり、
生物の脳みそはすごいものだなと、私はしばしば考えるのである。