なんか今さらながら素朴に思うんだけどさ、
「授業料」ってまじで異常に高すぎない?
ネット講義だと5000円くらいで買えたりするのにさ、
専門学校とか大学とかだと、年間100万くらいかかるじゃん?
しかもその間の養育にも年間60万かかるとすると、
年間160万もかかるわけで、4年だと640万。
(上記はほぼ最低限に近い金額で、もしバイトせず小遣いくれとか
言いやがる子だと年60万の追加で4年トータル880万、
さらにウェルカモ大学だと授業料倍プッシュで4年トータルが
1280万になってしまう)
学費が高すぎるのは今に始まったことじゃなくて、
私が学生の時には、すでに
「なんか授業料がごりごり値上がりして、価値と見合ってなくない?」
とか言ってる人もちらほらいた。
私は4年になって設備を使い放題になって、初めて「今年分は元とれた」と思った。
しかし卒業間際に車の免許を取ろうとして、今度は「教習所30万て高すぎ!」と思った。
時間がなかったのでやむを得ず教習所で取ったが、もっと早く気づいていれば
せめて試験場で取ったのにと悔しくて仕方ない。
なお私は最初から大学のやる気のないカス授業には週に1つくらいしか出ずに
すべて自習していたので、損害としてはまだマシなほうだったのかもしれない。
もし授業に出ていたら、お金のみならず時間や学力まで損することになり、
もっとむかつく結果になっていたような気がする。
このことについて、岡田斗司夫が以前、以下のような未来予想をしていた。
岡田:
かつて昭和の時代においては、大学というのは
親:『わが子よ、頼むから大学へ行ってくれ。
お前も色々考えはあるだろうが、親には親の世界があってな、
子の学費を出すことで親はイキれるという面もあるんだよ。
親を安心させるためと思って、大学へ行ってくれや。
あ、そうだ、クルマ買ってやろうか?
大学へ行くなら買ってやるぞ?どだ?』
みたいなものであったが、
そのような円高成金のようなムードは平成でとっくに消滅しており、
今後はさらに認識が進んで、
おそらく2028年ごろ以降は
親:『うわー、うちの子が大学とか言いだしてもうた。
ワシみたいな平均収入の親に金を払わせて大学とか、
どんだけ金銭感覚が崩壊しとんのや、この子は。
費用は自分でどこかからゲットして行くとか、できんのか?
まあ、できないんだろうな、頭悪いし・・・。
ああ、わが子ながら情けない子だ。
この子の将来が心配だよ・・・。』
みたいなムードが顕著になっていくであろう。
・・・と予言していたが、
その予言が当たるかどうかはさておき、
もうだいぶ前から、専門学校や大学の費用は
「よほどうまく活用できる人を除き、
ほとんどが単なる卒業証書の発行代金であり、
期間が長すぎるうえに金額も高すぎる」
と認識されてきていたと思う。
(※しかし因業な談合族が築き上げた
「原価ゼロのおいしい商売、それが資格制度♥ グヒッ♥
関所を通らない人は、寄ってたかって邪魔してあげる♥ むふ♥」
という仕組みのせいで、しぶしぶ卒業証書を買いに
行かざるを得ない人が圧倒的に多かったのである)
もちろん因業な談合族が改心することなど今後も期待できないのだが、
円安でガスとか鉄とかすらも気軽に買えなくなっている現在、
消費者側の認識はこれまでに増して急速に変化している。
地方住まいの私の周囲でも、
アホすぎる子が詐欺学校へ行った挙句に当然のように中退し、
その母親がさめざめと泣いているのを見たりすると悲しくなるし、
(↑詐欺で傷つくのは本人ではなく、周囲の人間なのだ!)
一方で「この子はカシコイ子だな」と思ってた子は
当たり前のように進学以外の道を選んでいるのを見ると、
もはや地方でも認識は進んでいってるような気がする。
岡田の予想まであと数年、結果はどうなるんだろうな。