INTP5w6による性格タイプ雑記ブログ

MBTI&エニアグラムのよもやまブログ

自己保存/セクシャル/ソーシャル

エニアグラムに、「本能のサブタイプ」というのがある。

 

人間の本能には

「自己保存」「セクシャル」「ソーシャル」

の3つがあり、人はどれかをメイン、どれかをサブとして使い、

残る一つは「盲点」となっているという説だ。

 

そしてエニアグラムはもともとT1~T9の9個があるから、

それぞれ本能のサブタイプ(メイン分類なら3種類、順列分類なら6種類)

を組み合わせると、人間を27種類 or 54種類にわけて見ることができると。

 

でも、前から書いてきた通り、

私は、この説に非常に懐疑的であった

 

 

・・・いや、たしかに、

「自己保存」「セクシャル」「ソーシャル」

みたいなのは、

どれを重視してるとか、どれが得意とかで、大きな傾向差があると思うのよ。

でも、なんかおかしいと思うわけよ。

 

例えばT3・T6・T9って、要するに「群れる人」ってことやん?

これと「ソーシャル」って、意味がかぶってない?

意味がかぶってるものを掛け合わせて27個だ54個だっていうのは、

なんか根本的な矛盾があると思わずにいられない。

独立変数と従属変数がごちゃ混ぜやん、的な。

 

 

このことがあって、私はエニアグラム自体に

「ぬぐいきれないオカルト感」を感じていたのだが、

昨夜、このことを1枚の表でカンペキに表している図を見つけた。

 

↓↓↓ これだ! 

 

 

おお、なんてわかりやすい図だ。

これですよ、私が言いたくて、

でもアホだからよくわかっていなかったことは。

誰が書いたのか知らんけど感謝、心の底からスッキリしました。

 

 

この表はですね、要するにですね、

「自己保存」・・・自分自身の生命を維持すること

「セクシャル」・・・1対1の人間関係を適切に構築すること

「ソーシャル」・・・3人以上の人間関係を適切に構築すること

という事柄に大きな傾向差があること認めたとしても、

だからといって27種類とか54種類とかにはならず、

「18種類で十分」ていうことなわけです。

 

これって、

MBTIは対要素が4つなのに、2*4!=48種類じゃなくて16種類

っていうのとすごく似ていると思う。

そしてMBTIは、48種類じゃないことこそがミソだと思う。

(そこに重要な拘束条件が隠れていることを示唆してるからね)

 

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てことで、めっちゃスッキリしたところで、

私はこの図を厚紙に印刷して、30分くらい眺めていた。

 

あまりにおもしろいので、自分でも作ってみたりした。

(なんか*印の部分に不規則感があっておもしろい)

 



ところで、こうして絵を書いていて、

私は自分自身について、はっきりと気が付いた。

 

どうやら私は、この図における黄色(=自分のサブ色)に

すごく嫌な印象を持っている。

 

特に、相手の盲点の色が黄色(私のサブ色)だと、

じわーっと嫌な印象がこみあげてくる。

 

盲点「青色」・・・相手の盲点が自分の盲点と同じ

         → 「ダメダメどうしで仲間だね!」って感じ

盲点「緑色」・・・相手の盲点が自分のメイン色

         →「微妙だけど、まあしょうがないよね!」って感じ

盲点「黄色」・・・相手の盲点が自分のサブ色

         →「なんか嫌いなタイプはすべてここに含まれとる」って感じ

 

なお、印象は「盲点の色」だけでなく「メイン」の色によっても影響を受けている。

私は、私のサブ色をメインに持つ人には、

「集合体としての印象がよくない」と感じている気がした。

 

しかし個々の人物に対しては、「盲点の色」の影響が大きいと感じ、

すなわち盲点の色が黄色の人に嫌悪感を感じたのだが、

なぜか2つくらいの例外(私の場合は6w7と5w4)には

良い印象を持っていたりして、いまいち意味不明なところもあった。

 

今後、他の人にもこの絵を見せて、印象を聞いてみるとしよう。

・集合体への印象は、「メインの色」が自分のサブ色だと悪印象なのだろうか?

・個々の人物への印象は、「盲点の色」が自分のサブ色だと悪印象なのだろうか?

・例外の数は皆2つなのだろうか?

・同じダメ同志でつるむとラクだけど、それだとダメが加速する感じがするかどうか?

など。

 

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「私を嫌う人」について考察。

 

私は、普段はべらべらとよくしゃべるのだが、

4人以上の集団になると、とたんに置物のように静かになる。

(合コンの頭数として使えないタイプ。協調性がきわめて欠如している)

 

ところが大人数の前でマイクを持った場合は別で、

場所がフォーマルであればあるほど、相手が多ければ多いほど、

私は本日の1番笑いをゲットしようとする、「ウケ狙い気質」である。

 

「サブがソーシャル」の人は、きっと私みたいな奴はムカつくんだろうな。

(※なぜなら、スベったら場の雰囲気を壊す危険があるのに、個人の利得の

  ために場を危険に晒しているわけだからな・・・。

  合コンでは1ミリも使えないし、つくづく「自分だけ」のヤツ・・・。)

 

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一方で、私も、「盲点セクシャル」の人に言いたいことがある。

 

私の考えでは、1対1の関係構築とは、

「対等な関係」とか「相互信頼」とかを、

こつこつと作っていくことに尽きる。

 

もっと平たい言葉でいえば、

「強制しない」「嘘つかない」「疑わず、疑われず」

みたいなのを地味に積み重ねることで、

どうにか破局を避けようとする試みと言ってよいかもしれない。

 

阿佐田哲也(別名色川武大直木賞)の名著麻雀放浪記」では、

 「よく憶えておきなさい。博奕における人間関係はね、

  ボス・おヒキ(手下)・カモ(敵)の3つしか無いのよ。」

という名セリフが登場する。

名ゼリフたるのは、これがある種の公平性を持っているからだが、

ここには【構成人員が入れ替わっていく】ことが前提条件に含まれている。

(最初は誰かのおヒキ→将来は別の人のボス、という流転が前提)

 

一方で、私の言う1対1の関係構築とは、

互いに【替えのきかない相手】とみなし合い、

もっとラクに長期の関係を築きましょうやという意味であるので、

つまり「博奕の関係」とは対極にあるものなのである。

 

私は、「博奕の関係」を全否定するつもりはない。

博奕の関係は、私は好きじゃないが、恐らく刺激的であり、

これも「1対1の関係」の在り方のひとつなのであろう。

(※セクシャルメインの人は、博奕と継続をうまく使い分けているふしがある)

 

私は、博奕の関係がいけないと言いたいのではなく、

「博奕の関係」と「1対1の関係」の区別がついていない状態

が最悪であるといいたいわけである。

 

両者の区別が明確についておらず、

「博奕的刺激」も中途半端、「1対1の継続」も中途半端という人は、

いったい何がしたいのか意味が分からず、

親しく付き合う相手としての需要がなくなっていくのが常だからだ。

 

このことは、「博奕」と「1対1」を対比すると、よくわかる。

 

たとえば

「お前は俺の派閥に入るか、それとも敵につくか?」

みたいな脅迫と強制に満ちた見苦しいボスザル争いなどは、

1対1の人間関係とはまったく真逆のものである。

 

(派閥争いには劇的なドラマがあるので、多数の人と裏切り裏切られの

 愛憎劇を楽しみたい人には、こういうのは最高なのだろうな。

 ただし、そういうのは必ず自分の金でやってくれということで。

 すぐに公金でやりたがるからな、ドケチのボスザル野郎は。)

 

 

また同じく、

「異性にモテたい」みたいなのも、やはり「1対1」とは真逆の行為である。

なぜなら「モテる」というのは、不特定多数の異性から好かれることだからだ。

 

よく言われるように、

・身長の高い男はモテる

・端正な顔(平均顔)の男はモテる

・お金や地位を持っていればモテる

・スポーツや勉強や芸術ができればモテる

などは、不特定多数の異性からモテるための、いわば王道である。

(ろくに話したこともない異性が、たくさん寄ってくる)

 

しかし、1対1の関係を得るという目的から言えば、

多数の異性からモテる必要性は、まったくもって無い。

というか、むしろ逆効果でしかない。

 

馬券というのは、買うのが1枚だけでも、

それが的中してれば何の問題もないし、

かつ、無駄なエネルギーや時間を費やさなくて済むのだ。

 

この文脈で言うと、過度のオシャレをするということは、

不特定多数の人から注目されるには良いツールであるが、

異性と1対1の関係を構築するという目的においては、

わりと最悪の選択になり得る。

 

たとえば、うねうねした髪の毛を持っている人は、

ストレートの髪に魅力を感じることが多いであろう。

でもいくらストレートが好きだからといって、

自分にストレートパーマをあてるのはナンセンスであろう。

なぜなら、ストレートパーマをあてた自分に寄って来るのは、

うねうね髪の異性ばかりになってしまうからだ!

(なんという本末転倒だろうか。でも相手もパーマしてたら当たるな・・・)

 

てことで、本末転倒なオシャレさえしなければ、

少々背が低かろうが、顔がお粗末だろうが、

変な声だろうが、馬券はおおむね誰でも普通に当たる。

そのような特性を好きな人が寄ってきて、

かつ、相手は自然と自分の好みになっているという、

素晴らしき自然の法則にのっとっているからだ。

(馬券は、余計なことをするからハズレるのだ!)

 

まあ百歩譲って、どうしてもオシャレを楽しみたいならば、

ターゲットの異性に「どんな格好が好みか?」と聞き、

その通りにするほうがよっぽど合理的であると私は思う。

 

・・・って、

このような話題が世界一似合わない私が、

なぜこんな話をしているのだろう?

 

でも、本家のセクシャル(メインがセクシャル)の人は

こんな「人に嫌われること」を無駄に発言してくれないので、

私は発情性自己制御不能症(仮)に苦しむ人たちのために、

本家の代わりにイヤミを言っておいてあげることにします。

 

イヤミを言われるのが嫌な人には申し訳ないけど、

私は「バカだねー」って言われるのが好きなので・・・どうか悪しからず。