INTP5w6による性格タイプ雑記ブログ

MBTI&エニアグラムのよもやまブログ

統合と分裂の方向は、やはりウイングによって決まると思う

私の周囲には、T6の人間が多い。

つまり6w56w7が、うじゃうじゃいるわけである。

 

で、彼らをつぶさに観察してきた結果、私は

【T6にとって、T3とT9のいずれが統合でいずれが分裂であるかは、

 そのウイングによって決まる。

 6w5にとってはT9が統合であるが、6w7にとってはT3が統合である】

ということを、ほぼ確信するに至りつつある。

 

 

このことは、以前にも「生煮え理論」として触れたことがあったが、

私はその後もしつこく観察を続けていたのだ。

 

これについて説明するために、ちょっと極端な例だが、

すごくわかりやすい例としてスターバックスの話を挙げてみよう。

 

スターバックスのコーヒーは、「いらすとや」のイラストにもしばしば

登場するアイテムであるが、いらすとやにおけるスタバコーヒーの使われ方は、

おおむね下の絵のような感じだ。

 

 

 

(なぜか手にスタバを持っている)

 

 

いらすとやの人は、かつてスタバを「意識が高い」「イキっている」「表層的」

などの象徴として描いていた時期があり、

(今はそうでもなくなっていると思うが、)

つまりスタバとはT3の要素がどことなく匂う場所だったわけである。

 

そのため、私はかつてはスタバという場所がいまいち好きになれなかったのだが、

私の周辺の地味すぎる6w5達は、揃いも揃って「スタバ大好き!」で、

すぐに常連になっている人ばかりであった。

 

もちろん、6w5はイキりたがるような人種ではないし、

むしろ地味でありたいと願っている生き物である。

6w5に上のような絵を見せると、彼らはだいたい大笑いして

「うんうん、スタバってこういうイメージあるよねー!」

とか言って、スタバを1ミリも擁護しようとせず、

むしろ私以上にスタバを嘲笑したりするのだが、

にもかかわらず、奴らは誰よりもスタバに行きまくるのだ。

 

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一方で、6w7のほうはスタバになかなか近寄ろうとしない。

6w7をスタバに誘うと、優しい彼らは断ることができずにしぶしぶ

ついて来るのだが、なんかちょっと気後れしてるのがわかる。

 

店に入る前には、「おれ、木くずや油で汚れてるから」とか言って、

必死で身体のホコリを落としたり、靴を履き替えたりして、

めっちゃ身構えているのが伝わってくる。

 

これはスタバに限らず、スイーツ屋やレストランなどでも同様である。

6w7は「おしゃれなもの」(=外観にこだわったもの)に気後れする

傾向があり、ちょっと値の張る華やかなお菓子などをあげると、

「お、なんだかオシャンティ(?)な菓子だねぇ~」

とか言って、たかが菓子を食うのに照れていたりするのだ。

(そしておどけて「こんな洒落たお菓子は俺には似合わねえ」とか言って、

 照れて一口で丸呑みしたりする人もいた)

 

 

ということで、ここまで話せばもうおわかりだろう。

6w5はT3(外観)をバカにしつつも気軽に楽しんでいるのに対し、

6w7のほうはT3へのある種の敬意とともに、苦手意識を強く持っている

のである。

 

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私は、この現象はT6だけのものではないと思う。

 

私もT1(整頓、正確)への敬意は非常に強く持っているのだが、

銀行とか金融とか聞くと「えんがちょ」な気持ちになり、

永久に関わりたくないという気分になる(つまりT1が統合)

私は、もし株で負けたりしたら、恥辱感のあまりきっと自殺したくなるであろう。

(だから手を出す場合は、何が何でも勝つ覚悟が無いとできない)

 

一方で、私と逆のウイングを持つ5w4の人達は、

金融だの有価証券だのをゲームとして気軽に楽しみまくっており、

勝っても負けても目を輝かせて、楽しそうな顔をしている。

特にINTJ5w4のマネーゲーム好きは異常なほどであり、

どんだけ負ければ気が済むのか謎なくらいの人もいる。

 

私は、かつては

「株を買う人はアホで、IPOとかする会社は不当廉価販売の外道」

とか思っていたが、こうしてT6のスタバ観とかを観察していると、

金融についてはどうやら異常なのは自分のほうであって、

「自分が資金調達に対して異常に気後れしているだけ」

ということに気付かされてしまう。

 

そういえば、福本伸行の名著「アカギ」において、

主人公の赤城しげるISTP5w4は、

14歳のときに博奕の代打ちの報酬として差し出された2百万円を

「まるで興味のないおもちゃを見つめるような目で見つめていた」

というシーンがあったが、

彼はきっと金や経済というものを粘土細工のように身近なものとして

いわばナメきっており、だからこそ仕手戦やら博奕やらを

ライフワークとして超気軽に楽しむことができるのであろうと思う。

(つまりT1が分裂)

 

私の方は、お金(=T1)は人間関係を破滅に追い込みかねない魔物だと

思っており、ある意味で心底から警戒して畏れているため、

「経済学」なんて言葉を聞くのもおぞましい(アダムスミスを除く)し、

桃鉄モノポリーなどのゲームでさえも気軽に遊ぶことができなかった。

(特にモノポリーは、なぜこんな邪悪な社会構造をゲームとして気軽に

 楽しめるのか、世間の感覚が理解できなかった)

 

 

ということは、

科学や技術においては、きっと逆のことが起こっているのだろう。

すなわち、5w6は科学や技術をオモチャとして気軽に遊び倒すことができるが、

5w4はこれらが自己の生活の質を左右しかねないものとして非常に

警戒しており、気軽に楽しむことができにくいのかもしれない。

 

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私は世に様々な機械が誕生することを大変おもしろいと思っており、

たとえば洗濯機やらパソコンやらの歴史を見るのも大好きであるが、

そのくせ根っこでは技術をナメきっているところもあり、巷で"世界を変えた!"

とか"偉大かつ画期的!"とかの煽り文句が過剰に使われているのを目にすると、

「いや、サイズと価格が下がって一般化したことが一番の変化であって、機能自体は

 だいぶ前からあったし、そもそも機械によって人類の営み自体が変わったりしない。

 というか発明や開発こそが人類の変わらぬ営みってことなんだから、むしろ何も

 変わっていない日常感のようなものを感じて安心する。機械はその程度のもん」

としか思っていないようなふしもある。

 

そのくせ理科的ジャンルには物化生地を問わず何にでも食いつく習性があり、

子供のころからやりすぎて叱られまくってきたのだが、そのへんはこのアホブログを

読む人にはなんとなく説明済みで繰り返しになってしまいそうなので、

今日ははかなり横暴であるが、あまり触れてこなかった「アート」の分野に

恐縮ながら触れてみようと思う。

 

(あらかじめ言っておきますが、私は科学もアートもナメきっているクソ野郎であることを自覚して

 おりますので、もしこれはナメすぎだと思っても怒らないようにしてください)

 

私は子供の頃から落書きが癖で、教科書は隅々まで落書きで真っ黒な状態であった。

そして今は、会社にあるPCの壁紙を様々な「落書き」に設定している。

もちろん画才はまじでゼロだしLINEスタンプもさっぱり売れなかったのだが、

私はそんなことは1ミリも気にもしたことがなく今日も堂々と落書きをしている。

(なお私だけでなく会社全体がそうであり、あちこちイラストだらけである)

 

私が自分の絵の下手さをまったく恥じずにこのようなことができるのは、

何の気兼ねもなくフレンチに行く6w5と、たぶん感覚が似ていると思う。

「オシャンティ」に気後れする6w7にとって6w5が傍若無人に見えるように、

私のナメきった行動は、おそらく5w4には

「よくこんな没個性でヘタクソな絵を平気で他人に見せられるものだな」

って感じで、たいへん傍若無人に見え、ひょっとしたら

「アートに対する冒涜だ」とさえ思うかもしれない。

 

だが、これは本家の画家先生に言わせれば

「5w6の絵はつまらないが幼稚に遊べてるのでOK。5w4は無駄に気負い過ぎ」

ということになるのではないかと推測する。

 

しかし一方で、お金に関するジャンルで言えば、5w6から見ると

相場遊びや値付け遊びにおける5w4の奔放かつ気軽すぎる遊びっぷりは、

「お金の怖さをナメている」ように見えなくもない。

しかし本家のお金大臣であるT1に言わせれば

「5w4のほうがお金を楽しんでいるから正解。5w6は無駄に気負い過ぎ」

ということになるのではないかと思われる。

(実際、T1は倹約や蓄財において金融商品も否定せず普通に選択肢に入れている)

 

ということで、おそらく5w6(=七w6)はT1が統合でT4が分裂、

5w4(=七w8)はT4が統合でT1が分裂になっており、

このような逆方向性は9つすべてのタイプにおいて成り立っていて、

正三角形のどちらが統合かはウイングによって決まる】

という仕組みになっているのではないかと思う次第である。