INTP5w6による性格タイプ雑記ブログ

MBTI&エニアグラムのよもやまブログ

岡田動画「幸福の資本論」について

ここ数日、駄文を「書いてみたけど公開しない」みたいなのが増えたな。

未来に関することを公開するのがちょっと嫌になったかも。

だってまだ結果がわからないし、作戦すら生煮えとかで不確定要素が

一定割合を超えると、他人に話したくなくなるっぽい。

 

そんなわけで、あんま未来とか関係ない話として、

またもやミーハーな話で申しわけないが、岡田斗司夫の動画の話をしたい。

 

実は、下記の動画を見返していて(←私は同じ動画を何度も見る習性がある)

ちょっと気になる部分があったのだ。

 

 

www.youtube.com

 

 

岡田が紹介している本の内容を要約すると、以下のようになる。

 

【本の要約】

 幸福な人生への最適戦略とは何でしょうか。それは次の3つに要約できます。

  ① 金融資産:「経済的独立」を実現すれば、金銭的な不安から解放される。

  ② 人的資本:  子どもの頃のキャラを天職とすることで、自己実現ができる。 

  ③ 社会資本:  政治空間から貨幣空間に移ることで、人間関係を選択できる。

 このうちの2つを習得して、残り1つは交換でゲットするのがいいです。

 

で、これについて岡田は

「①③については大賛成であるが、②については疑問。」

みたいなことを言っていた。

 

(ここまで受け売り)

============

(ここから私の考え)

 

本の主旨については、まあなんとなくわかる。

私はいつも「時間・お金・エネルギーの合計で考えよ」とか言っているが、

これは時間とお金とエネルギーは同じ次元のもの(交換可能なもの)であるから

むやみに1つだけを見てはいけないという意味だ。

 

橘氏も同様に「交換可能な3つ」について述べているのだが、

橘氏の切り口は、もっとエニアグラム的である。

すなわち、彼の言う①②③とは

 ① = 1・4・七(自己保存)

 ② = 2・五・8(セクシャル)

 ③ = 3・6・9(ソーシャル)

のことであり、これらは経済的交換が可能だと言っているのである。

(※ただし交換効率は非常に悪く、交換コストがかかる)

 

 

岡田氏はこの理屈に全面的に賛成しながらも、

②についてだけは「いまいち納得がいかない」

と疑問を呈したわけである。

 

私も②については疑問を感じ、

「人間は自分の子どもの頃のキャラに嫌気がさして、

 その結果として現在の性格があるんじゃないの?

 だって、子供のころのキャラって、カウンタウイングの性格やで?

 橘氏の考察は、なんか間違ってない?」

と思ったのだが、

 

しかし岡田氏(ISFJ6w五)を見ていると

「岡田氏は②を否定してるけど、岡田氏の仕事って②そのものに見える。

 彼の動画は【七に裏付けされた6】であるから、つまりカウンタ活用だ。

 てことは、橘氏の言ってることはあながち嘘でもないってことか?」

とも思ったので、

ちゃんと自分で本を買って読んでみようと思ったのである。

 

で、言葉の定義とかを確認しながら読んでみたうえで

周囲の人々を観察してみると、

 「たしかに、そうなってる人がけっこう多いような・・・。」

 「自分自身についても、そうなってるのかも・・・?」

と、わりと肯定的に思うようになった次第である。

 

これを周囲の人に話したら、その人は

「自分については、たしかに②の通りに生きてますね。

 そしてhizanoriさんも、おもっきし②のまんまの人生ですよね。」

って言われたので、

橘氏はそれなりに説得力のある話をしているのかもしれない。

 

 

私の考えとしては、

(これは10代~20代の人にはわかってもらいにくいかもしれないが、)

大人になった自分の性格は、子供のころとは明らかに違う。

だが、30代半ば以降で見ると、

【性格は違うが、活動内容が似ている】

という状態になっているような気がするのである。

 

図にすると、以下のような感じかもしれない。

 

(下段は【行動】っていうよりも【職業】について書くべきだが、子供時代は職業がないので行動とした)

 

 

上記のような図式の結果、私自身としては

「僕は子供のころとは性格が全然ちがいます!」

なのであるが、他人から見れば

「あんた、子供のころと同じような活動ばかりしてるやん」

みたいなことになってしまうわけである。

 

このテーマについて、私は周囲の性格分類仲間(←私が布教した)

話をしてみた。その結果、

 

『人はみなカウンタを否定視しながらもカウンタの才能を持つ。

 これはある意味ではバランスがとれているとも言えるため、

 【ウィングのジャンルにおいて、カウンタっぽい活動をする】

 という状態が最も落ち着きやすいのではないか?』

 

というような結論になったんだが、

実際のところはどうなんだろうな。

 

=================

 

ところで、もし上記のようなメカニズムが存在すると仮定して、

個人的にわりと納得がいったのは、私の兄についてである。

 

6歳上の私の兄(ISTP七w8)は、かつては転職ばかりしながら、

自由に行動する個人事業主に憧れていた。

しかし35歳くらいからずっと同じ職場で働くようになり、

もはや個人事業はあきらめたようにしか見えなかった。

 

そのため、私は兄に対して

 「転職して新しい職場になじむことの方が、

  ぶっちゃけ仕事自体よりも面倒くさく、よほどエネルギーがいる。

  それなのに何度も新しい職場に行けるって、ある意味すごくない?」

とか

 「個人事業したいとか言いながら、誘っても本気でやらないよね。

  本当はやりたいの?やりたくないの?どっち?」

とか思って、

兄が何を考えてるのかいまいち理解できなかった。

 

しかし、ちょっとわかってきた。

なんだかんだ言って、兄はカウンタの6力を使っていたのだ。

兄は「他の社員とあまり深く関わらない」というスタイルだが、

(これは岡田動画の③のことであり、当然の行動ともいえる)

そのスタイルを確立することでむしろ職場になじんできた。

 

そして、兄は青少年期には4(統合)っぽいジャンルとか

6(カウンタ)っぽいジャンルとかに迷い込んで迷走した時期も

あったが、やがて

8(ウイング)っぽいジャンルの職業で6力(カウンタ)を発揮

という場所を見つけ、そこで落ち着いたのではないかと思われる。

(なお、これは七の物理的計算力を活用する仕事でもあった)

 

===============

(以下、兄ではなく私自身についての話)

 

思い返せば、私も青少年期にはいろいろ妙なことをしていたような気がする。

科学者になろうかなと考えてみたり技術官の道を考えたりして迷走し、

しまいには「8っぽい事業(ぶっちゃけ軍事)に6の一員として参加」しようと

してたかもしれない。

 

(いま考えると、6力皆無のw6の私が6として参加できるわけがなく、

 結果的に8っぽいジャンルにc8として参加という感じになっていたかも。

 つまり8嫌いが8ワールドに参加するという、イミフなことをしていたような気がする

 

その後、35歳以降は「6っぽいジャンルに8っぽく参加(乱入)」という

仕事スタイルでおおむね固定されているような気がするが、

実際のところはどうだろうな。

 

 

てことで、どうでもいい駄文をぐだぐだと書いてきたが、

私と同じくおっさん(おばはん)の人は、自分の人生がどういう

スタイルだったかを振り返ってみたら、ちょっとおもしろいかもしれない。

また30代半ば未満の人はぼちぼち岐路が来る時期かもしれないので、何かの

参考にしてくれたら幸いである。

ENTJと昼飯を食いに行った話(どうでもいい話2)

ちと用があって(*)、

以前書いた「ENTJ3w4の若者」に会ってきた。

 

(*:別に用がなくても昼飯くらい気軽に誘えばいいんだけど、

   用がないと誘うのをためらってしまうあたりが内向型たるゆえんである)

 

彼は私が製造業に踏み切るきっかけを作ってくれた人である。

当時は20代だったが、もう30代だっけ?

わからんけど、私より圧倒的に若いのは確かだ。

 

彼の工場は輸出用製品を作っているので、

きっとこの円安で大盛況だろうと思っていたのだが、彼曰く

「輸出はジェットコースターだからしんどい。国内のほうがいい」

ということで、今は輸出と国内販売が半々になっているらしい。

「むしろ材料高騰が痛い」と、私みたいなことを言っていた。

 

国内販売といえば、そういえば3年くらい前に会ったとき、彼は

「経営を安定させるために、国内販売を月商〇〇円以上にしたい。

 そのために今、地獄の営業ツアーをしている」

というような話をしていたな。

 

まあ営業は彼の得意分野だし爺コマシの達人なので成功しても驚かないが、

こやつの恐ろしい点はその目標額を当然のように達成して、

いつの間にやらその5倍まで行ってやがったことだ。

このへん、さすがENTJと言わざるを得ない。

 

私にとって目標は「現時点で想定可能な理想的状態」という意味だが、

ENTJにとっては目標は「今年の通過点」みたいな意味なんだろうな、きっと。

 

=============

 

てゆうか、今回もっと驚いたのは、1年ほど会っていない間に、

彼が謎のYoutuberになっていたことだ。

登録者が2万人ほどいて、月に20万ほどの小遣いになっているらしい。

内容のほうは、なんかマニアックすぎてついていけない内容だった。

彼は以前にもマニアックな金属系のもの(?)を集めて結構な額を稼いでいたが、

つくづく趣味を小遣い化する天才やなこいつは。

 

・・・って言ったら、彼は

「でも、ここまで来るのに3年かかったんですよ」

とのこと。

まあ一朝一夕にできることではないことは言われなくてもわかってるけど、

1年前に会った時はYoutubeのことなんて一言も話してなかったし、

その前の金属のときも同様だった。

てことは、彼はたぶん今ごろ、次の「びっくりネタ」についても

ひそかに着々と活動を進めているのかもしれない。

 

 

思えば、彼と知り合ったきっかけは彼がうちにバイトに来たことだった。

なぜ自分の工場をほったらかしてバイトに来るのか本当に謎だった。

だって普通に考えれば、エネルギーを2つに割ることは非能率以外の

何物でもないのだからな。(←これはひろゆきもラジオで同じことを言ってた)

 

でもこのENTJの若者の場合は、あえてそういう非能率をやることが

彼の「謎のスピード感」と関係しているのかもしれない。

(今度聞いてみようかな)

 

でもそうだとしても、それは誰にでもできることじゃないよなあ・・・?

世の中には「副業的なこと」をやろうとしてる人が多いようだけど、

私の個人的な感想としては、副業を伸ばすのってすごく難しい気がする。

 

一般的に言えば、本業を伸ばすほうが絶対にラクだと思う。

そのほうが深掘りできて、伸びしろが作りやすいので。

でも、もしそうでない場合があるとしたら、

つまり副業スタイルが成功しやすいケースがあるとしたら、

それは相乗効果を生み出しやすい形態、たとえば

「生活的な分野の本業+アート的な分野の副業」

とかの条件みたいなのがあるのかもしれない。

 

というのも、アート的なのはたぶん自分の内面が枯れたら終わりだと思うから、

とにかく多くの時間をかければいいってもんじゃなくて、

他分野からのインプットが必要になりそう。それゆえに副業という

スタイルが有効になる場合もあるのかもと思ったからである。

(アートも副業も得意でない私が超テキトーに書いているだけなので真に受けないように)

 

以上、どうでもいい話でした。

ISFJと飲みに行った話(どうでもいい話)

こないだ、久々にISFJ型経営者のQ氏と飲みに行った。

いつものことだが、話題は多くが会計ネタであった(経理の師匠なので)。

 

Q氏は節税とか1ミリも考えない性格であり(w1だし)、

その彼を師匠としている私も

「Q氏みたいにしよう」

と何度も思うのだが、

やっぱり因業政府に金をむしられるのは腹が立つ。

なぜクソみたいな奴らにミカジメを払わねばらんのだ。

思わず地球を爆破したいくらいにむかついてしまう。

 

で、むしろQ氏とは逆に

「どうにかして合法的に税金から逃れられないだろうか」

などと考えた末に、

「そうだ、わざと損をすればいいんだ!それなら完璧に合法だ。

 あいつらに吸われるくらいなら、カネなんて燃やしてやる!!」

とか叫んでしまったりするような始末である。

(末期的症状)

 

まあ実際には私も商売人のはしくれとしてわざと損とか無理なので

上記の話は気の迷いであるが、師匠のように無心で納税するには、

私にはたいへん厳しい修行が必要なようである。

 

=================

 

それにしても、師匠(4歳くらい年下)は変わった人だ。

 

その昔、私が起業したてのころ、Q氏は私よりも1~2年早くから

同じビルにあった事務所で事業を始めていた。

で、彼と廊下でコーヒーをすすりながら立ち話をしてた時に、私が

「もうすぐ決算だけど、決算書の書き方がわからん。」

って言ったら、彼は自分の会社の決算書をコピーしてきて、

「これのマネすればいいよ」

と言って、ドサッと書類をくれたのである。

 

たいへんありがたい情報であったが、それにしても

自分の会社の決算書のコピーとか人にあげるかな普通?

私なら、「見てもいいけどコピーはダメ!」

って言いそうな気がする。

(もし出回って敵に見られたら嫌だし・・・)

 

しかしQ氏はそんなことは1ミリも気にしないので、

私はありがたく丸パクリさせてもらった。

おかげで私の会社の財務諸表は、Q氏の会社のものよりも

数値はだいぶ小さいけども、フォーマットだけは酷似している。

(何しろすべて写したからなw)

 

ちなみに誰も興味がないかもしれないが、「財務諸表」というのは

簿記2級で出てくる貸借対照表とか損益計算書とかのことね。

(簿記は3級で「仕訳」、2級で「財務諸表」、1級で「変態的に細かいこと」を学びます)

 

もしあなたが会社や自営業をするなら、2級までは必修だぞ。

最低2級までは自分でできないと、小さなお店でさえも税理士を雇わなくては

ならなくなり、西原理恵子氏の表現でいうところの

「おどれ、わかっとんのか。命の次に大切な金・・・金やぞ!!」

を無駄に失うことになります。

 

ちなみに私はケチなので、なんと今でも税理士を雇っていない。

Q氏からは「さすがにそろそろ雇えよ。粘り過ぎでしょw」と言われているが、

雇ったとたんに丸投げになって会計オンチになりそうで怖い。

 

まあそんなわけで、私は決算書や税金には多少詳しいぞ。

マイクロ法人の決算書くらいなら、小遣い稼ぎに一瞬で代筆してやっても

いいくらいだ(残念ながら会計士の資格がないのでやらないが)。

 

いや、勘違いしてほしくないのだが、

私は簿記の資格すら持っていないド素人(会社作るときにブックオフ

サルでもわかる簿記シリーズ」みたいなのを3冊買って3週間勉強しただけ)

なので、もちろんプロほどの知識なんてあるわけがない。

しかも税計算というのはコロコロ変わり、素人が毎年アプデするのは難しい。

ただ、ある点においてだけは、私は本家の税理士よりも詳しいのだ。

 

そのある点とは【手抜き術】、すなわち

「会社のレベルに応じて、テキトーでも許されるところと

 テキトーでは許されないところの線引きができる」

ということである。

なにしろ、私は税理士代をケチるために足しげく税務署へ通い、

幾多の「ぶっちゃけ質問」をしまくって、

いろんな職員から直接教えてもらったからな。

私は手抜きのことだけは詳しいのだよ。

(いかにして瞬殺で書き上げるか、それが私にとっての決算書である)

 

================

 

話は変わるが、Q氏と飲んでるとき、会計以外の話題で

「クソ客」の話題になった。

 

前日に私がQ氏の会社へ行ったとき、ちょうど会社の受付で

クソジジイ客が女性社員相手に怒鳴りまくって暴れていたのだが、

私は聞いててだんだん腹が立ってきて、

「このジジイ調子に乗りやがって、完膚なきまでに論破してやりたい」

と思ったのだが、さすがに他人の会社内なのでギリギリ思い留まった。

(男性社員が救助に来るのがあと1分遅かったらやっていた)

 

そのときの話をして、私はQ氏に

「あのクソ客、しばいたほうが良かった?」

って聞いてみたのだ。

するとQ氏はケラケラ笑いながら、

「しばかなくていいよw 

 あの客はね、うちの会社の名物客なんだよ。

 たまに暴れに来てもらわないと、社員たちが

 『最近、あの人来ないね・・・』

 って言って寂しがるんだ。

 あの客に『お前はクビだ!!』って言わせるのが、

 社員の間でブームになってるからね。」

と言った。

 

私は、

「Q氏の会社って、いつも楽しそうだな。」

と思った。

積立と保険を混ぜたがる人

いつの時代も、詐欺師は「積立」と「保険」を混ぜたがる。

 

積立というのは、わかりやすく修学旅行費の例で言うと、

「いざ修学旅行に行く段階になって親が ”お金ない” とか

 言い出したら子供が気の毒だから、

 バカ親たちに強制的に積み立てをさせましょう。

 余計なお世話なのは承知してるけど、アホが多すぎるからしょうがない

というような制度である。

 

このように、積立は制度としては明らかにおせっかいなのであるが、

病気等で修学旅行に行けなかった場合は当然のごとく返金されるので、

お金的に損をするわけではない。(短期間の利息がどうこうという話は無視する)

 

つまり積立とは、

①【金額面】については、期待値は±0なので問題ない

②【自由度】については、強制である点が不愉快だが子供にはメリット。

という話である。

 

 

一方で保険というのは、

「運悪く悲惨な目に遭った時に備えて、

 保険に加入したい人が皆で少しずつお金を出し、

 悪運を引いた時に保険金がもらえる仕組みにしましょう。

 もし最後まで悪運を引かなかった場合は損をすることになるが、逆の場合もある。

 期待値的に言えば経費分だけ全員少しマイナスだけど、

 それで心配事が減るのなら、まあいいじゃん。

という制度である。

 

つまり保険とは、

①【金額面】について言えば、経費がかかるぶん期待値はマイナスだが、

  個々が備えを省略できるというメリットがある。

②【自由度】については。加入は自由だから何も問題ない

という話である。

 

===========

 

さて、当たり前のことばかり書いてきたところで、

我が国の「年金」というものを考えよう。

 

 

 

(注:このグラフでは、民間を通じて強制負担させられているお金、

   すなわち諸々の強要免許代とか強要設備代とか強要見張り賃金とかは含まれていない

 

 

 

本来、年金というのは積立ではなく保険であったはずである。

露骨な言い方をすれば、

「もし運悪く長生きをしてしまった場合に備えるもの」

が年金となるはずであった。

 

多くの人は、図らずも長生きをしたことで子や孫の負担になるのは

忍びないと思うだろうし、かといってすべて自分個人で備えるという

ことになると「最悪100歳までの生活資金」を積み立てねばならず、

実現が難しすぎて人生がハードモードになってしまう。

 

従って、ひとまずある年齢までは自分で備えることとして、

それ以上の年齢まで長生きしてしまった場合は

ある種の「不運」ということで保険に頼ろうかという考えが出てくる。

 

こうして考えると、平均寿命まで生きることは

どう考えても「低確率な不運」とは言えず、

一般に不運と言えるのは、少なく見積もっても

「平均寿命+5年以上」を生きることになった場合だけであろう。

 

従って、本来の主旨から言えば年金は85歳までは「受取額0円」であるのが

当然なのだが、ただまあ70歳を過ぎると身体のあちこちが老朽化して

思い通りに働けなくなるのも周知の事実であるから、

そのへんの性能や稼働率の低下面も考慮したうえで、

たとえば

【71~79歳は毎月40%、80~85歳は毎月70%、86歳以上は毎月100%を

 受け取れる制度にします】・・・(*1)

というような話だったとしても、

まあ合理的の範疇であると言えるだろう。

 

しかし、これが「65歳以上は全員満額もらえますよ!」という話だと一変する。

そういう大半の人が受け取り条件に達する仕組みは、保険ではなく積立である。

正確には積立型保険に当たるのだろうが、積立の部分がものすごく大きい。

何しろ、65~80歳までの15年ぶんを、20~65歳までの45年で積み立てるのだから、

これを実現しようとしたら、皆が収入の4分の1を積み立てに回す必要がある

ということは簡単な算数でわかることである。

 

これって、もし民間の保険であったとしたら、入る奴いるかな?

 

【〇〇保険株式会社から、新商品のお知らせです。

 お客様の収入の4分の1を強制的に取り立てて、老後に備える新・老後保険!!

 途中で気が変わることを一切許さないので、意志の弱い人も安心ですよ?

 しかも、平均寿命を超えれば元金以上に戻ってくる(かもしれない)という

 ラッキーチャンスもついています。ね、おトクでしょう?

 なお途中解約の場合は、それまで払ったお金はすべて没収となります。

 あと、途中で死んだ場合も全額没収です。あしからず。】・・・(*2)

 

 

いや、これに入るやつって普通にキチガイだと思うんだが、

私の感覚がおかしいだけなのかな?

 

 

逆に、先に述べた(*1)のような制度なら、

受け取り満額を一人月額10万として、保険料はだいたい以下のようになる。

 

・積立ぶん:(0.4*9+0.7*6)=7.8年ぶん、

       これを70歳までの50年で払うと月額10万の15.6%=月15,600円

・保険ぶん:非営利運営で経費3%として月3,000円

・合計:月18,600円

 

まあこんなもんやろ。

積立型老後保険をしてもいいかもしれん限度額は、このへんではないかな。

それ以上は、余計なお世話というものだ。

 

 

それなのに、なんで

「全国民に、収入の18%完全強制積み立てさせましょう!!」

という話になるんだろう?

 

18%って、月収28万でも5万超えだぞ?

「会社負担」とかいう詭弁ゴマカシに騙されない方向で考えれば、

ぶっちゃけ額面25万(=本当の給料は29万円)以上の人は、

全員が5万以上を積立強制させられているのだ。

 

(※ついでに言うと、上記の29万には消費税を(実質的に)抜かれている分は入っていないため、

  額面25万の人の本当の給料相当額は31万を超えている。でもなぜか手取りは21万になる。

  お利口な税制では「人件費だけ仕入控除させないことにすれば、実質的に人件費に消費税が

  かかっているのと同じにできるやんけ♥」という仕組みになっており、

  それゆえ会計界では「消費税=人件費税」とも言われている。

  要するに、すべての人は給料をもらう時点で消費税までキッチリ抜かれているのである)

 

 

どんなに貧乏でも18%は強制しますって言うんだから、

ここまでいくと、さすがに「余計なお世話」としか思えない。

 

仕事や子育てで「今が一番カネがいる」というときでも、

そんなことは知ったこっちゃねえ。年金は絶対強制。

もし世の中に

「若いうちに多くを使い、老いたら少なく使う」

という生き方をしたい人がいたとしても、そんなのは余裕で却下される。

 

また、長期的視点で

「70歳を過ぎてもボチボチ仕事できるような環境やスキルを準備しておき、

 年金で足りないぶんを上乗せできるようにしておこう」

みたいに考えることも、ワガママで勝手な行動として即座に却下される。

そういうワガママなことを言うと、年金は減額されてしまうのだ。

 

年金というのは、

将来を考えられない低能キリギリスである国民を、

えらいお上の人が監督して、強制積立をしてくれるという

たいへんありがたい制度であるから、

愚かな国民は絶対服従しなければならないのである。

 

 

世の中には、

「集めた積立金をパクっている悪代官が、存在するのではないか?」

と疑う人もいるかもしれないが、

そんなことは疑っても無駄である。

お代官様としては

「ほっほっほ、愚かよのう。

 パクっているとは人聞きが悪い、それは”経費”と呼ぶのじゃよ。

 ほれ、積み立て方式だと金額が大きくなるぶん、特に経費がかかるじゃろ?

 それが世の中というものじゃよ、君。」

としか言わないので、

疑う時間が無駄になってしまうのである。

まじで限界だ

 

怒りの売上高記録更新。

もうね、怒りしかないですよ。

このしょうもないアホブログを書く気力も湧かないくらい、

腹が立って仕方がないのですよ。

この怒りを紛らわすには、もう仕事しかないわけですよ。

 

 

怒りの原因は、すべて税金システムにある。

本当に本当にふざけている。

なぜこんな腐ったやり方が合法なのだ。おかしすぎるだろ。

(※税金:ここでは権力で強制徴収されるすべての名目の金を指す。当然NHKも含む。)

 

なんたら法人だと課税所得がほとんどカウントされないとか、

税金がたっぷりぶちこまれている分野ほど消費税がかからないとか、

ありとあらゆるインチキを使って、お友達取引が行われている。

 

特に悪質なのは、アホな国民用の目くらましとして怒りの矛先を用意し、

弱者救済まがいのことをしてごまかしている点だ。

「救済まがい」は実際にはカスみたいな金額でありほとんど意味がないのだが、

為政者はアホな国民が「割合」というものを感覚的に捉えられないことを知って

いるため、あえて過剰気味な好条件で微小額を救済まがいに注いで宣伝すれば、

愚かな国民はすぐに注目して「あいつだけずるい」と言い出す。

おかげで、圧倒的多額の本丸であるお友達報酬システムには目がいかないと

いうわけである。

 

お友達防止のためだったはずの入札制度も、

いまではすっかりごまかしのための道具である。

安くてめんどくさい仕事は競争入札にして雑魚業者にやらせ、

「自ら入札して請けたからには、トラブルが発生したらすべてお前の責任だぞ?」

という契約書に押印させて賠償責任を押し付けるが、

どう考えても賠償とか起こらなそうなテイスティな事業はちゃっかり

「なんたら法人様専用出品」にして美味しく分け合うこととして、

そこに縁故者でも送り込んでおけばよい。

 

要するに、安くてめんどくさい作業だの手続きだのはすべて雑魚会社や

食いつめ事業主にやらせておいて、

なんとなく世間に向かって

「公平にやってますよ!(旨味のない仕事についてはね)

というアピールをしながら、

お友達用の華々しくてゼニフルな事業は事前になんたら法人用のお皿に取り分けて

おき、そこに都合のよい特別法をくっつけてしまえばよいわけである。

 

なお大学は、かろうじてお友達に入っていないのかもしれない。

たまにハナクソみたいな額の助成金が出たとき、それをもらった研究室が

「貰わないほうがマシだったかも」と思うくらいめんどくさい手続きを課されて

いるのを見るに、たぶん大学はお友達として認定されていないのだろう。

まあ、大学のやつはへそ曲がりが多くてやっかいだからな。

こいつらには微小な捨て金を与えておき、考える暇がないくらい忙しく作業を

させておくほうが、反乱防止として有効かもしれんわな。

宗教とか芸術とかはともかく、理系とかは結構うざいからな。

 

===============

 

私は昔から税金が嫌いだが、今ほどおかしいと思ったことはない。

なぜ、働かない奴らが働く人からカネを奪い取れる仕組みなのだ?

 

もし税金と称して他人の金を強奪することが「仕事」なら、

強盗でも保険金殺人でも、それは仕事ということになってしまう。

まあ何を「仕事」と呼ぶかは世間の人が勝手に決めればいいが、

私が言いたいことはただひとつ、

【パクるだけの奴が働く人を踏みつけにする世相が死ぬほどむかつく】

ということだ。

 

しかも、山賊どもは恨みの矛先を自分から逸らすことには入念で、

邪悪な税金の徴収を民間に押し付け、カネを奪われた恨みが民間内で

ぶつかり合うように誘導する努力は決して欠かさない。

つまり山賊は、国民からカネだけでなく感情まで奪い取っているのだ。

ある意味、こちらのほうがむかつくかもしれん。

 

これが商売においてなら、まだ対抗する手段がある。

売りたくない相手には売らなければいいし、

買いたくない相手からは買わなければいい。

そうやって、うっとうしい奴を眼前から排除する自由がある。

クソみたいな奴とは一切の取引をしなければよいわけだ。

 

しかし税金は違う。

日本で生きようと思ったら、山賊達にカネを払わないと、

腐った法律によって、逮捕されてしまうのだ!

こんなふざけたことがあるだろうか。

 

私は左巻きではないが、

かつての累進課税がすごかった時代(※)のほうが、

今の大談合時代よりは、おそらくマシだったのだろうと思う。

 

(※)累進課税がすごかった時代: 最高税率93%で、松下幸之助

   「7%の手数料をいただいている」と言っていた時代のこと

 

今の税制は、

【皆がお金を出し合って必要なものを買い揃えるための仕組み】

でもなければ、

【儲かった人から儲からなかった人へ、幸運を分け与えるための仕組み】

でもない。

そんな結果平等主義のような、生ぬるい制度にはなっていない。

今の税制は、まったく別の思想から作られているのだ。

なにしろ、

【働かない盗賊団が、働く人からカネをパクリまくるための仕組み】

なのだからな。

発想が某宗教やら某ジョンウンやら某ハマスやらと、たいへん似ている。

 

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そりゃあ世の中には、おかしなことはいつもある。

おかしくない時代なんてない。

だが限度を超えたおかしさは、

やがて修正されてゆくのを私は何度も見てきた。

日本の徴税の邪悪さは、やがて少しは修正されていくのだろう。

 

しかし、修正が起こるのはそれが臨界に達してから7年~10年後だ。

心底の怒りをやり過ごし、新たな別の怒りが湧きあがってきたころに、

ようやく昔のおかしさがほんの少しだけ修正される。

「なんだ、今頃ですか」という冷めた感想とともに。

 

私は、税金に巣くう山賊の横行は臨界点を超えたと思っている。

おそらく何らかの力が働いて、修正されていくのだろう。

だが、私はもうおっさんで、しかも早死に家系だ。

酷使してきた脳みその血管が切れて死んでしまう日は、そう遠くはないだろう。

世の中が少しだけマシになるのを、のんびり7年も待つほどの心の余裕はない。

 

================

 

私は、今の強盗対策に必要なのは「暴力」だと思う。

若い頃は、暴力というのはこの世で最悪のものだと思っていた。

もちろん今でも暴力は大嫌いだが、若かった頃と違って、

「暴力だけを目の敵にして迫害すると、こうなってしまうのだな」

ということも、なんとなく理解できる。

暴力へのいきすぎた嫌悪が、かえって災いを招いている。

「詐欺師の横行」「甘ったれたクソ客」「しょうもなすぎる学校」

これらはどれも暴力へのいきすぎた嫌悪が招いた結果だ。

 

人間の歴史を振り返れば、

飢饉に乗じて買い占めをする越後屋への対抗手段が「打ち壊し」だったのと同様に、

民から金を搾り取るだけの袁術に対抗する手段は、弓矢だけなのだ。

そりゃそうだ、いくら財宝があったって、命を失っては意味がないからな。

強欲を抑止できるのは、命の危機しかない。

 

でもそんなことを思ったところで、残念ながら私には暴力の素質がない。

もやしガリベンINTP七w6の私はSeが死んでおり、暴力に向いていない。

もし私が暴力に走ったら、きっと怒りのあまり我を忘れ、ブレーキが

利かなくなってしまうに違いない。つまり才能がないのだ。

 

って言っても、ENJ型による暴力なんてもっとダメだぞ。

自己中丸出しの第3機能はダメだ。いわゆる悪しき暴力になりやすい。

第3Seの暴力は、往々にして弱い方へ向かうからな。

世に必要なのは、強い方へ向かう暴力だ。

私は、信頼できるのは第1か第2機能のSeだけだと思う。

 

今こそSP型の「腕力」が必要だと、しみじみ思う日々が続いている。

かつて米国にトランプが登場した時は、もう少し暴れてくれるかと思ったが、

だたの口だけジジイだったのでがっかりした。

何が斬首作戦だ、しょうもない関税操作しかしないくせに。

心底くだらんジジイだった。

 

いっそのこと、核戦争でも起こってくれないだろうか。

強欲な山賊どもを蒸発させてくれるのなら、

私は放射能汚染でさえも甘受するぞ。

袁術どもがことごとく死滅するのを見届けられるならな。

 

でもこんなことを考えたって、私は現実には何もできない。

暴力の才能がない自分を知れば知るほど、無力感に苛まれる。

無力で無能な自分。解決策のない自分。

なんて腹立たしいことだろうか。

 

だから私は、仕事をしている。

憎っくき山賊にミカジメを献上する悔しさに身を震わせながら、

私は自分が作ったものがたくさん売れるのを見て、

少しだけ自信を回復するしか道がない。

 

【怒りの売上倍増計画】、私にできることはそれしかない。

正直、あんまり楽しくない。

当初の予定では、少しばかり儲けた金を使って研究開発をしながら

おっさん人生をそれなりに楽しんで過ごすつもりだったのだが、

最近はそんな気分にもなりにくい。

怒りでひどく気が散って、研究や開発を楽しむ気分になれない。

まだ商売のほうが気が紛れる。

 

こんな後ろ向きで消極的な生き方をする日々は、初めてかもしれない。

これはただの老化現象なのだろうか。

それとも、必然の反応なのだろうか。

 

私は今日も夢想している。

超優秀なSPが現れて、持ち前の機械操縦能力と腕力をフルに使い、

税金パクリ野郎どもを一匹残らず滅ぼしてくれる日のことを。

時効七年説(時限駄文)

T1統合のきちがい法律学者(自称)である私が、

この世のきちがい達に共通する誤りについて、

ずばり指摘を申し上げる。

 

 

少し順を追って話すが、私は若い頃より、周囲に対して

「時効七年説」

というのを常日頃から申し上げている。

 

この場合の時効とは、

「警察が費用をケチるために捜査を打ち切る」

とかのくだらない話のことではない。

 

もっと根本的な、

「恨み期間」の上限を定めるべき

という考えを述べたものである。

 

 

なお、ここで挙げた「七年」という具体的な数字は、

破産者の権利制限期間は七年

であることを参考として設定したものである。

 

日本では、破産しても七年すれば、またローンが組める。

会社だって作れる。

このことを、たかが破産と思うなかれ。

これは、信用という超重要なものを失ってしまった人間であっても、

永遠に再起することを認めないのはさすがによくないだろという考えが、

日本人のなかに存在していることを意味する。

 

 

この信用七年ルールは、より平易な言葉で言い換えると、

「他人との約束を平気で破り、いろんなものを踏み倒してトンズラ

 こいようなクズ野郎であっても、七年経てば”過去は過去”として、

 やり直しの可能性をもらえることにしようぜ。」

ということである。

 

(ただしあくまで可能性が与えられるだけであって、七年後に実際に

 信用してもらえるかどうかはその七年の過ごし方によって決まる。

 なお刑務所にいる間の時間はカウントされないものとする

 

 

私は、この信用七年ルールに対しては、

「うんこニッポンのくせに、たまにはいいこと言うやん!」

と思っており、実に素晴らしい考え方だと思っている。

 

ゆえに私は、この考え方を、

自分の人生においても積極的に導入しているのである。

 

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ちょっと具体例を述べよう。

 

一般に、世のE型の人間のうちの何割かは、

デタラメなことをして不誠実きわまりない形でトンズラを

こきやがった場合でも、しばらくすると

まるで何事もなかったかのように、

「ひさしぶりぃ~♥元気にしてるぅ?」

とか言って、ずうずうしく電話してきたりするものである。

(こいつらは、概ね3か月~1年程度で水が流れると思ってるようだ)

 

私はこれまでの人生で5人くらいのドE型(全ておっさん)から

上記のような電話を受けたことがあるのだが、

そのたびに以下のように申し伝えてきた。

 

「あんなことをしておいて、たった1年過ぎただけで、

 もう済んだことと思ってるのですか? あり得ないっすね。

 どうやら僕とは感覚が違うようなので、はっきり言っておきましょう。

 僕はあなたのことを7年間は大嫌いだし、一切の信用もしません。

 でも今から6年後であれば、そのときは話は別です。

 7年前の過去は水に流して、また新たにお付き合いをしたいと思っています。

 だからもし僕に用があるなら、6年後に電話してきてください。

 

5人の相手はほとんど歳上であったにもかかわらず、

私はおもくそ上から目線で冷淡なことを言い放ってきたわけであるが、

逆ギレしてきた人は一人もおらず、いずれの人も

「そう・・・。わかった。」

と言って、おとなしく引き下がってくれた。

(おかげで私は、心がモヤモヤすることもなく過ごせたわけである)

 

私は、

相手が反論をしなかったのは、

私の「時効七年説」にそこそこの説得力があったから

だと思っている。

 

この七年というのは私が決めた数字ではなく、

おそらくどっかのT1野郎(ルールの達人)が決めたことなので、

なんかわからんけど一定の妥当性というか

ある種の普遍性みたいなものがあるのかもしれない。

 

そういえば、たしか破産以外でも、七年ルールのやつあったな。

何だったか忘れた。何だったっけ?

 

 

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ということで、私はこの時効七年の考え方を

もっと幅広く世界に適用してもよいのではないか?

と思うのである。

 

たとえばの話、日本の隣の某K国では、

なんかいつまでも第2次大戦の恨みつらみとかを

ぐだぐだ言ってる人が、少数とはいえ、おるみたいやん?

 

勘違いしてほしくないが、私は決して右翼ではないし、嫌韓とかでもないぞ。

(隣国を持ち出したのは、あくまで例ね)

 

 

でも言われる側としては、

「そんなこと言われたって、

 当時はこの世に存在していなかった僕に対して、いったい何をどうしろと?

 もし逆の立場だったら、あんただってそう思うやろ?」

ってしか答えようがないわけやん?

 

 

つまりだな、大昔のことをぐだぐだ言う奴の相手をしてたら、

キリがないわけよ。

 

このことを「7年」という境界値を用いて明快に言い換えると、

七年以上も昔のことを、

いつまでもぐだぐだ言う奴はカス

っていうことだと私は思います。

(境界値についての異論は認める。でも境界ナシは私は認めない。)

 

 

私は、恨み自体を否定しない。

恨みはあって当たり前だ。

私自身も、「やられたら特攻してやり返す」のが人生哲学みたいな

相当うっとうしい人間であり、恨み深い人間なのかもしれない。

 

でもそんな私でさえも、

恨みには期限を設けるべき

だと思うのである。

 

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だいたい、昔のことなんて、どうとでも解釈できたりする。

 

もし仮に、どこかのアホが大昔の歴史とか持ち出して

「それはもともと俺らのものだったんだ!」

とか言い出すのであれば、

私も対抗して「そもそも論」を持ち出し、

そもそも日本にあるものはすべて桓武天皇の末裔(※)である私の

ものであると主張することもできるわけである。

 

(※)桓武天皇の末裔: 以前見た「苗字から先祖がわかる」というサイトによれば、

   わりとどうでもいい感じの農民ぽい苗字の人は全員桓武天皇の末裔」という

   結果にされてしまうようだったので、私もその一人として正式に名乗り出させて

   いただいた。なお桓武天皇っていうのがどこの誰なのかは全然知らない。

 

 

まあ私はさすがにそこまで欲張りではないので

日本の所有権を主張したりはしないが、

もし相手が大昔のことを持ち出してぐだぐだ言うのであれば、

「そんなに大事なことなら、七年も放置すな!」

と言いたくなるのが人情というものであろう。

 

以前紹介した名作小説「さまよう刃」では、

主人公はぐずぐずなんてしなかったぞ。

彼は復讐を誓ったら、速やかに行動を起こした。

復讐は怒りが冷めぬうちに行動することで成功率が上がるのだ。

 

でも、もし復讐しないまま七年を経過した場合は、

もう復讐はあきらめて、

過去を水に流す努力も必要だと私は思うのである。

(相手のためではなく、自分のためにね)

 

 

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人間というのは、つくづくアホな生き物だ。

誰かから

「あいつら、あのときひどいことをしやがったよなぁ?」

とか言われると、

思わずそのときの情景を思い出してしまい、

簡単に感情を煽られてしまう。

 

そして、昨日までその出来事のことをすっかり忘れていたことは棚に上げ、

ついでに

「かつてエロ画像を見ながらアホヅラ全開でオナニーしてた自分の姿(俯瞰視)」

なんかも棚に上げて、

なんか唐突に正義感みたいなものを発生させながら

「そうだ、あいつらは許せん!積年の恨みを晴らすべきだっ!」

とか言い出してしまう始末。

 

このように、つくづく救いようのないほど愚かでサルなのが人間であるが、

たまには自分が知能生物であることを思い出して自己観察し、

しょせんエロ画像に負ける程度の怒りであったことを認識して、

遠い過去の記憶に翻弄されないようにしなければならない。

 

具体的には、「恨みの期限」を事前に定めておくことと、

「恨み煽り屋への対策(※)」を熟知しておくことで、

他人から簡単に操縦されないようにすることが肝要であろうと思う。

 

(※)恨み煽り屋への対策:

   煽り屋のやり方はワンパターンだ。奴らは必ず情景を利用してくる。

   だから煽り屋の浅はかな意図に気づいたら、ただちに脳内で別の情景をかぶせ、

   うまいこと茶化してしまえばコントロールされずに済むわけである。

 

 

 

ということで、

最後に私の言いたかったことをまとめると、

 

『もし理不尽な手法によって何かを奪われ、それを恨みに思うのであれば、

 どんなに卑怯な手を使ってもいいから、取り返すかやり返すべきである。

 泣き寝入りをせずに、きちんと報復のできる人間を、私は尊敬する。

 ただし、そのような報復は遅くとも七年以内に行う必要がある。

 七年も経ったら現状が優先されてしまうのがこの世のルールであり、

 昔のいきさつとかをぐだぐだ言って屁理屈こねるやつはカス』

 

というのが私の言いたいことである。

思考と感情の話

思考と感情について、これまでに書いたことと重複するのだが

ちょっと整理しておこうと思ったので書いておく。

 

一般に「思考」と「感情」は対立項として扱われがちであるが、

エニアグラムではなぜかこれらを「あいまいな境界を持つ連続体」

としてとらえており、このへんがエニアの興味深いところである。

 

思考と感情を対立項として考える場合、

「冷静で整然とした思考に比べ、感情はわりとバカっぽくて原始人的」

という印象を持つ人が多いのではないかと推測するが、

私は生物としては感情のほうが高度なものかもしれないと思う。

というのも、生物の進化を考えてみると、

例えば脊椎動物(魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類)のなかで

特に感情が発達しているのは我々哺乳類のように思えるからである。

 

(※私は生物の研究をしたわけではないので、このへん確かなことは言えない。

  魚類や爬虫類にも感情はあるのかもしれない・・・てゆうか、あるような気がする。

  ただ、奴らは哺乳類に比べてあまり感情表現が豊かではないように見えるので、

  たぶんだけど感情機能自体が哺乳類より弱めなのではないのではないかと私は想像する

 

もし上記の仮定が正しいとして、

では生物にとって感情がどう有利に働くのかと言うと、

(これもある一面だけから見た非常に浅い考察に過ぎないことを承知で言うが、)

胎生した子を保育する期間が長いほど知能を発達させやすい

というメカニズムがあるように思われ、

生物がそのような保育スタイルを実現するためには

感情機能の発達が必須になっているように思われる。

 

ちょっと具体例をあげて言うと、

たとえばウミガメ(爬虫類)の子は生まれながらにしてカメの形をしており

生まれてすぐに海へ走り出すほど完成度の高い状態で生まれるが、

人間の子は生まれて1年ほどはイモムシのような異様な形状をしており、

歯もなくて乳しか飲めず、泣き笑いして尿便を垂れるしか能力がない。

すなわち、親の養育がなければ自生することが不可能な生き物なわけである。

 

したがって人間の幼児はウミガメの幼児に比べて「生物として弱すぎる」と

言っても過言ではないような状態なのだが、

そのような身体的脆弱の期間をあえて設け、

その期間を感情の働きによって生き延びることによって脳の促成栽培を実現し、

人間は知能を上げることに特化できたのかもしれない。

 

このように考えてみると、そういえば思考というのは

「わりと爬虫類っぽい印象のものに見えなくもない」

というと言い過ぎかもしれないが、ともかく進化論的には

「感情よりも一段階古いもの」なのかもしれぬ。

(※かなりテキトーに書いているので「根拠データを出せ」とか言わないように)

 

まあ保育の結果として知能が上がるのであれば

「なんだ、つまり感情は思考力を上げるための道具ってことか」

みたいに考えることもできなくもないし、

そもそも「感情のほうが上」とか「思考のほうが下」とか言うのは

根本的に何かが間違っているような気がするので、

私は感情を美化するつもりはない。

 

だが、ともかく進化の順序としては

感情のほうが後から装備された機能である

と思ってもさほど間違っていない気がするんだが、

諸兄はどう思われるだろうか?

 

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さて、なんか当たり前っぽいようなことを超遠慮がちに

「~であると仮定できるやもしれぬ」的に書くのも飽きてきたし、

根拠プリーズな生物学の話はこのへんにしておいて、

ちょっとエニアグラムについて駄文を書かせてくれ。

(エニアは今のところ宗教扱いだから根拠なんか求められなくて済む)

 

 

私は以前から、

「セクシャル(T2,T五,T8)とは子供力のことだ。

 特にT8は最も赤ちゃんに近い」

みたいなことを書いてきたが、

今でも一切の悪意なく同じ考えのままなので、

たぶんまあまあ当たっているんじゃないかと思っている。

 

こう言うと、

「いやいや、T8ってリーダー気質だし、赤ちゃんのワケねーだろ!」

と突っ込みを入れられるかもしれないが、

ちょっと落ち着いて彼らを観察してみてくれ。

 

T8は実業家などに多いので、

ぱっと見は立派な紳士に見えるかもしれない。

 

しかしある角度から見れば、彼らの事業遂行力は

両腕をぐるぐる回しながら

 「イヤだイヤだ!

  僕はAじゃなくて、Bじゃないとイヤなんだい!

  絶対の絶対の絶対に、Bじゃなきゃイヤなんだい!!」

みたいな感じの、

常軌を逸したクソわがままな駄々っ子ぶり

をエネルギー源とするものであり、

その異常な執着っぷりが長期計画の遂行において

たまたま良い方向に働いた結果であるケースが多い。

 

そして普段の紳士的なふるまいとは裏腹に、

たまに酔っぱらったときなどにはヨダレをテーブルにこぼしながら

「じゅるっ♥ また儲かっちゃいそう♥ グヒッ♥」

とか口走って、

ちらほらと本性が垣間見えるのがT8型ENTJのラブリーなところである。

 

(※この見苦しい駄々っ子気質はカウンタ8である私にもほんの少しだけ装備されているので、

 上記の記述はT8への悪口ではなく、ある種の自己批判でもあることを付記しておく)

 

 

ということで、セクシャル(2・五・8)とは

赤ちゃんが繁殖可能な年齢まで生き延びる手段として

周囲の人間(大人や異性など)を思い通りに動かして、こき使うために必要な能力

であるというのはまあまあ妥当な考察であると私は思う。

 

そしてこれらの子供力のうち、

 ①保育児~小学4年くらいまではT8が特に有効であり、

 ②小5~中学2年ではT五が特に有効になってきて、

 ③中3~高校2年ではT2が特に有効になるような(?)

 

(※境界となる年齢については私には正確なことはわからぬ。

  ただ中2病と小4病があるような気がしたので、上記と仮定してみた。

  なんとなく高2病もあるような気がする、ESFJとかに。

 

これらセクシャルの能力は、成人するとだんだん魔力が弱まっていき、

かわりにソーシャル(3・6・9)の力がけっこう重要になってきて、

そしてお爺ちゃんになると自己保存(1・4・七)が重要になってくるかもしれない。

(このへんの年代的考察は生煮えなので私もよくわかっていない)

 

・・・てことで、エニアグラムについての駄文でした。

(※前半で「感情」の価値をアゲすぎたので、後半でサゲてバランスを取りました。)