またちょっと、おもしろいことに気が付いたぞ。
以前に何度か、自分の幼少時代が「E型よりもE型風味なI型だった」
という話を書いた。
この話は、べつに私だけの現象ではなくて、
おそらく多くの人が、自身や周囲の人物について
「幼少期と大人でE/Iが逆転しました」
みたいな現象を見たことがあり、
つまりけっこう「よくあること」なのではないかと思う。
で、私は周辺人物にあれこれ聞いてみたのだが、
これはMBTIだけではなくて、
結論を言うと、多くの人の幼少期について、
「カウンタウイングのタイプに分類されるような性格であった」
と思われるケースが、非常に多かったのである。
つまり、
幼少期の性格 = その人のカウンタウイング
というわけで、
これは言い換えると、
人間は、
カウンタ(幼年)→本体(青年)→ウイング(老年)
の順に成長する
ということだ。
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カウンタウイングという言葉はメジャーではないので、
(当たり前だ、私が勝手に作った言葉だからなw)
以前ここにも書いたが、ちょっと簡単に説明しておく。
カウンタウイングとは、ウイングとは逆方向の隣接番号のことである。
例えば2w3であれば、本体が2、ウイングが3、カウンタが1だ。
カウンタウイングは、
「まあ一応できるんだけど、心底しょーもなと思ってるからどうでもいい」
という分野であり、言い換えると
「好きではないが得意な分野」
と言ってもよいかと思う。
さて、では「幼少期の性格=カウンタウイング」説について、
上記の2w3を例にして具体的に説明してみよう。
2w3の場合は、幼少期は1の傾向があり、
・時間や決まりを守るのが好き
・洗濯物をキレイに畳んだり、整理整頓をするのが好き
・お金を貯めたり、お金を数えるのが好き
みたいな感じの、1的な傾向がみられることが多い気がする。
(周囲の人の娘や息子の性格変化から考察。
ちなみに私の妹も2w3だったので2w3は考察しやすい)
だが、2w3は思春期の手前あたりで一気に2化が進み、
幼少期の特性であった1については、
まるでカルト宗教の洗脳から解けた人のように
「1なんて、もうええわ。心底しょーもな。」
「そんなの、小さい子がやることでしょ」
という感じで蔑視の対象となり、脱1化する。
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もうひとつ、他のタイプについて例を挙げよう。
私の周辺に多い、6w七(=6w5)の場合について。
6w七のカウンタは五(=7)であるので、幼少期は
・活発、おてんば(スポーツ好き、歌や演奏も好き)
・危険な遊びをやる(ブランコや鉄棒などで禁止事項をやる)
・冒険好き、出会い好き(年齢によっては夜遊び好き)
などの性格を持っていたという人が多かった。
しかし、何らかの要因により
「冒険なんてもうこりごり!そんなのは大人になってからやればいい」
と確信する時期が思春期あたりで到来して、
現在の量産型RGM-79のような地味な性格になったということである。
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最後に、私自身について。
私は七w6(=5w6)であるからカウンタは8である。
小学校3年くらいの私の行動は、
・見ず知らずのお姉さんやおばちゃんに声をかけ、小遣いをねだって50円を
もらうという金儲け競技を考案し、私も約100個を獲得して2位だった。
・他にも「お祭り屋」だの「プール屋」だの「ゲーム屋」だの、山賊まがいの
ろくでもない金儲け方法を何種類も考え、徒党を組んで結構な金を集めていた。
・集めた金で豪遊会を開いて女子を釣り、その女子をエサに男子を釣るという
邪悪なシステムで級友達の煩悩を煽り、次々と山賊党に引きずり込んでいた。
・靴やかばんなど、ファッションにも大変こだわっていた。
っていう感じで、かなり金の亡者っぽい性格のセクシャル少年であった。
(※この幼少期の話をすると、6w七から「そんな子だったんですか」と
まるで毛虫を見るような目で見られてめちゃくちゃ軽蔑された。
しかし私も6w七の「夜遊び」には昆虫感を感じたのでお互い様だと思った)
今の自分から見ると、幼少期の私はやることなすことが邪悪な人心操作に満ちて
おり、人を罠にかけて強奪し敵対し、やってることは黄布賊そのものであった。
当時の私は、一般的に七w6(=5w6)が持つであろう
「人様のお役に立てる人間になることが人生の第一義であり、善良勤勉な
生産者の人達に迷惑をかけるようなクズは全員死んで詫びるべし」
という価値観とは、似ても似つかない価値観であったと思う。
(ちなみに現在の私はファッションになど1ミリたりとも興味がなく、
靴もかばんも服も靴下も、すべて同型・同色のものをまとめて買い、
古くなったら捨てて予備を着るという方法で、ずっと同じ格好をしている。
散髪屋にも15歳以降は行ったことがなく自分で適当に切っており、
外観的にはおおむね美味しんぼの山岡的な感じである)
その後、邪悪なガキだった私は何度も悲惨な目(※)に遭い、
「こんないつ撃墜されるかわからない争いの毎日はもう嫌だ」
と心底から思って辟易し、今のような隠遁研究者的性格となった。
(※悲惨な目というのは、学校の帰り道に待ち伏せされるのが怖くて
いつもビクビクしながら帰宅ルートを変えていたこととか、
別の子の親達に「お前の脳は腐っている」とか言われて監禁され、
数時間にわたってボコボコにされたこととかである。)
より正確に言うと、私の5w6という性格は「安定と刺激のバランス解」
みたいなもののような気がしており、
人はみな、幼少期に習得したカウンタ技能を批判的に抑制しながらも、
随所でほどほどに行使し続けるようにできているのではないかなと思う。
(6w5族を見ていると特にそう思う。奴らは防衛と安全が大好きであるが、
要所要所ではきわめて無茶をする危険な生き物であると思う)
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てことで、エニアの各タイプの本能人称、すなわち
14七 = 1人称(自己保存)
2五8 = 2人称(セクシャル)
369 = 3人称(ソーシャル)
について、
もし「幼少期の性格=カウンタウイング」説が成り立つならば、
誰しもが、幼少期に得意だった人称のことを
「アホみたい。しょーもな。」
と思ってしまうのは、ある意味しかたないのかもしれないと思ったわけである。
私の場合は、幼少期=セクシャル少年だったのは間違いないような気がするので、
例のナンパ先輩のようにセクシャルが人生目標(=ウイング)みたいな人を見ると、
「いい大人が何やってんの・・・。マジでしょーもな・・・。」
って思ってしまうのは、まあしょうがないような気がするわけである。
(本家のセクシャルの人は、幼少の自分より明らかに格上なので素直にすごいと
思えるんだが、ウイングの人はどうしてもアホに見えてしまう場合がある)
もちろん、逆もしかりである。幼少期にソーシャルだった人から見ると、
「w6って、いい年してソーシャルなんか目指しちゃって、アホみたい。」
ってなるわけで、お互い様である。
4w五のナンパ先輩(幼少期が6のソーシャル)から見れば、w6の私は
「自分が幼稚園くらいで考えてたことを、大人になって一生懸命やってる人」
なわけで、そりゃあバカみたいに見えるだろうな・・・。
このように、カウンタ人称とウイング人称が入れ子になっている組み合わせは
互いに毛嫌いしやすい関係であると思う。
(ただ本体が同一の場合、たとえば七w6と七w8は、互いにわりと寛容になれる)
理屈的には、カウンタ人称とウイング人称が入れ子ということは、うまくやれば
互いの苦手とすること(=盲点系)について教え合うこともできるわけなんだが、
それはなかなか難しいんだよな。