INTP5w6による性格タイプ雑記ブログ

MBTI&エニアグラムのよもやまブログ

どうでもいい話(月着陸実証機とホワイト化社会の話)

また流行りネタで失礼。

 

こないだ深夜にSLIMという月着陸実証機の

リアルタイム中継を見た。

たまたまユーチューブでライブ中だったので、

こりゃラッキーと思い、私も中継を見はじめたのだ。

 

解説の人が、

「まず高度何メートルでホバリングして、次にこうなって、こうなる予定です」

と解説してくれるので、私は事務作業のかたわら

「ほうほう、順調に行ってるやん!これはいけそうやな!」

と、ちょっとワクワクしながら見ていたんだが、

 

最後に高度2mでホバリングするはずが降下が止まらず、

「ん?止まれそうにないぞ?これはやばいんじゃないの?」

と思ったのも束の間、次の瞬間には

機体がひっくり返った姿勢図が表示された。

 

私は「ありゃー、失敗しちゃったよ」と落胆しながらも、

すぐさま「なんとか起き上がれないか?」と考え始め、

スラスターの位置とかを検索し始めた次第である。

(そんなことは職員の人が考えることであって私が考えても意味ないのだが、

 まあT七の癖というか性というか、T七とはそういう生き物なのである)

 

その後のことは、私が下手な解説をするより自分で調べてもらったほうが

いいと思うので割愛するが、

今回私が話したいことは、その中継のYoutubeコメント欄のことである。

 

そこは不気味な世界だった。

コメ欄で、たまに誰かが「残念、失敗したかも」とか書くと、

すぐさま猛烈な数の反発コメントが湧き起こり、

「失敗か成功かを素人が勝手に判断するな!」とか、

「そんなに失敗したことにしたいのか!」とか、

「失敗とか言うやつ許せん!心底むかつく!!怒怒怒」

みたいな感じで、

とにかくコメ欄に少しでもネガティブな言葉が出ると、

大勢が寄ってたかってボコボコに叩くという、

わけのわからない現象が起こっていたのである。

 

まあこれにはちょっと背景があって、

少し前にH3ロケットが一部不調で打ち上げを延期した時、

記者会見でどっかのテレビのすさまじくバカな記者が

「延期と言うことは、失敗だったということですよね?」

とか叫び始め、職員の人が

「いや、そうならないように中止して点検するんです」

的なことを答えると、

「再点検しなければならないってことは、つまり予定通りじゃない

 ってことだから、それはつまり失敗ってことじゃないですか。

 失敗なら失敗と、ハッキリ答えてくださいよ!!」

みたいな感じのワケのわからないことを吠えまくって

場が混乱するという事件があったのである。

 

このキチガイ記者にイラついたのは職員だけではなく、

たぶん会見を見ていた人の多くが

「なんだこの記者、完全にいっちゃってるな。

 予定通りじゃないイコール失敗って・・・。

 妙な宗教にでも入ってるのか?」

って思っただろうから、

こういう輩を警戒する雰囲気もあったのだろう。

 

それは理解できるが、でも今度のはその反動がひどすぎる。

「月着陸実証機」が正常姿勢で着陸できなかったら、

大失敗とまでは言わずとも、さすがに成功とは言い難いと

考えるのは別におかしなことではあるまい。

(実際、イギリスの速報ではすぐFAILEDって出てた)

 

でも何十万キロの道程のうちの大部分まではうまくいったのだから、

もし職員の人が

「最後の部分だけ、うまくいかなかったっぽいです。

 でもそこまでは想定通りに機能することが確認できたし、

 今回初めての挑戦で打ち上げから予定地点への降下までの

 最後の数mまで行けたのだから、これは悪くない結果だと思う。

 大きな収穫と感じているので、次も頑張ります!」

とか何とか言っておけば、

多くの人が状況を正しく理解できて、安心もしたはずだ。

 

だがその会見の場は、

もはや職員の人でさえもネガティブワードを使えなさそうなほどに

不気味な空気だったのだ。

 

そして翌日のヤホーニュースでは、

着陸をばっちり決めたSLIMの偽CG画像とともに

「世界で〇番目に月面着陸成功!!」とか、

「歴史的快挙!!」とか、

気持ちの悪い記事ばかり並んでいたのである。

 

 

 

参考:日本のニュース

 

参考:イギリスの速報

 

 

 

私は一連の事態を見て、非常に嫌な気分であった。

 

「おいおい、これじゃH3ロケットのときのアホ記者と同レベルじゃないか。

 岡田斗司夫の言っていた【ホワイト化社会】とはこのことか?

 なんでも美化して話さないといけないのか?

 ポジティブなワードしか使っちゃいけないのか?

 

 てゆうか、そもそもなんで誰かが失敗って言うことに

 そんなに反発するのか、まったく理解できない。

 成功か失敗かなんてただの主観なんだから、

 成功だと思いたければ思ってればいいだけじゃん。

 でもそれを他人に強要したら、キチガイ記者と同じですやん」

 

そんなことを思いながら、私は誰かがコメ欄に書いていた

「本当のことを書くと非難されるなんて、嫌な世の中になったなあ」

という言葉にしみじみ共感したりもしたのであった。

 

====

 

私はw6という性格だからだと思うが、

誰かに直接嫌われたり攻撃を受けたりすることよりも、

「やはり人間社会はどうしようもなく腐っている」

みたいに感じて絶望しまうことのほうが、何倍も凹む。

(w6は社会を信じたいのに疑ってしまう、悲しい生き物である)

いつもなら、2~3日凹んでしまうところであった。

 

しかし、今回はわりと復活が早かった。

というのも、私は今回のSLIM現象について、

「わかったぞ、これは推し活なんだ!!」

と、すぐに推測することができたからである。

 

つまりだ。

SLIMを応援してる人にとっては、もはやSLIMは人みたいなもの。

話をわかりやすくするためにちょっと極端な例をあげれば、

SLIMはいわば、スケート浅田真央や羽生ゆずるみたいなもんなのだ。

 

フィギュアスケート界では、もし羽生選手がミスをした場合でも、

TV解説の人は「今のはちょっと回転が足りなかったですね」

とか言ってはいけないというルールがある。

「うーん、回転不足かも。でもまだ挽回できますよ」もアウト。

 

実況と解説の人は、全ての言葉をポジティブに、

「いいですね~、順調ですよ~、これは世界新記録コースですよ~」

と言わなければいけないのである。

(「トリプルジャーンプ!!」みたいに技の名前だけをかっこよく叫ぶのはOK)

(「おっと!耐えましたね!」はぎりぎりセーフ)

 

これはかつてはサッカーボクシングなどで頻繁に見られた現象で、

実況と解説は日本チーム(日本選手)の出る試合においては、

日本側に不利な判定や予測を口が裂けても言ってはいけない

という謎のテレビルールが存在する。

 

このような現象について、私は昔は

「なんだこの解説、気持ち悪いな! 嘘ばっかり言うなよクソテレビが!」

とか思って毎回腹を立てていたのだが、

今はもう、なんとも思わない。

 

解説が嫌なら音声を聞かなければいいし、

(解説や実況の音声は消せるようになっている)

そもそも番組を観なければいいだけだ。

 

私は昔はスポーツもたまに見ていたが(妻が見るので)、

今はもうスポーツ放送に愛想が尽き、一切見ていない。

だから私にはもう関係がない。

 

もしスポーツの技自体を見たいなら、もはや動画で見るほうが適切だ。

わざわざリアルタイムで見るのは、

「皆で応援することを楽しみたいから」

であって、そうでない人は動画で見ればよいのである。

(リアルタイムで見たって、疎外感を感じるだけだ。

 リアルタイムは、もはや応援したい人のための占有物なのだ)

 

SLIMについても、おそらく同じ現象が起こっている。

これはおそらく「はやぶさ」の頃にできた風潮だと思うが、

日本には何%かの「宇宙機推し」の人達が誕生している。

その人たちからすれば、日本から発射された宇宙機はもはや

日本人みたいなもの、いやむしろ人間みたいに腹黒くないぶん

人間以上に愛される「激推し」の対象になっているかもしれない。

 

そんなわけで、「推し」の概念で考えると、

ネガティブワードが許されないという風潮も理解できる。

 

推し活は女性が多いから男性にはややわかりづらいかもしれないが、

たとえばもし友達があるアイドルを推しているのを知っているのに

「このアイドル、実は性格が悪いらしいな。顔もビミョーやし。」

とか言ったら、そりゃ怒られるだろ?

 

そういえば私も10代の頃、

自分が聞いていた音楽の歌手(女性)のことをエロ対象と見る奴がいて、

生々しくキモイ妄想を話しまくるので、

さすがにイラっときて「黙れ!」と言ったことがある。

そのときは、

「あれ?俺なんでこんなことでイラっとしてんだろ?」

とか思ったものだが、

さすがに今は、そこまで自分の感情に鈍感ではない。

イラッとくるのは、あたりまえのことなのだ。

 

てことで、SLIMを推しまくってる人から見たら、

リアルタイムで熱烈応援しているときの心情は、

「私のかわいいSLIM君が病気かもしれないなんて、

 そんな縁起でもないことを言うような奴は地獄に堕ちろ!!

 SLIM君は一生懸命頑張ってるんだぞ!愛のない評論家は失せろ!」

みたいな感じであろうと推測される。

 

(私は猫を飼っているので、動物に置き換えるとわりと理解しやすい。

 私だって、もし頼んでもいないのに誰かが私の愛猫を見て

 「この猫は〇〇病じゃないかな、だとすると余命1年くらいだね」

 とか勝手に診断しやがったら、かなり腹が立つに違いない。

 ただ、自分の愛猫ではないどこかのアイドル猫が病気呼ばわりされた

 ときにも同じ感情を持つかと言うと、私はそうはならないが。)

 

上記のように理解したら、私はさっきまで頭に渦巻いていた

「やっぱり社会は腐っている」という絶望が消え、

精神的な凹みがなくなった。

ここまできたら、あとはスポーツと同じ要領だ。

すなわち、「推し活」の人が多い分野に関わらなければよいのだ。

今回の場合だと、「宇宙機のリアルタイム中継なんてもう二度と見ません」

と心に決めれば、それで解決である。

 

このやり方は多少の不自由はあるが、世の流れには逆らえまい。

なにしろ、ホワイト化社会なのだ。

 

岡田斗司夫いわく、ホワイト化社会とは

【見た目の美しさや清潔感や印象が、ものすごく重要になる社会】

であるという。(エニアの2w1的な世界?)

私は岡田の言葉の意味は理解するし、コロナ後で衛生重視になるのも理解できたが、

なぜ見た目重視になるのかは理解できず、いまいちピンときていなかった。

 

でも今回のSLIM事件で、なんかちょっとヒントを得た気がする。

ホワイト化社会というのは、「推し」や「推し活」という概念と

密接な関係があるような気がする。

逆ルサンチマン?

日本は、実に妬み豊かな国であると思う。

 

と言っても、日本人の妬みはいわゆる弱者が成功者を羨んで

「あいつイキりやがって、むかつくぜ」とか

「失敗して転落すればいいのに」とか

願うようなもの(=弱者が強者を羨み恨む = ルサンチマン)とは、

ちょっとだけ違う種類のものが多いような気がする。

 

もちろん上記のような典型的ルサンチマンを隣人らに対して発動しまくる人も

いるにはいるのだが、そのような人は米国などと比べればむしろ少数で、

大部分の日本人の羨望は隣人ではなく「有名人」とか「有名団体」に集中する

感じがあり、有名でない人や団体には羨望の目が向けられにくい。

 

(かの岡田斗司夫は、これを生贄社会と呼んでいた。

   実際に矛先を向けられる有名人にとってみれば「日本人のルサンチマン

   米国よりもひどい」ということになるのだろうが、

   そのぶん一般人はルサンチマン被爆頻度が小さくなっているのだし、

 「100人の生贄によって100万人の憂さが晴れるなら、けっこう合理的かもよ?」

 と岡田氏は言っていた。)

 

ただ、このような生贄制度をもってしても、日本が平和になっているとは言い難い

と私は思う。

なぜなら、日本は法律やマナーを守る人が多いわりに、その法律自体がくだらな

すぎるせいで、どうでもいい法律やマナーに軽い気持ちで違反した人が

びっくりするくらいしばかれまくる傾向があるからだ。

 

これはひとことで言うと「あいつだけルールを守らないなんてズルイ」という

いかにも日本的な批判のことを指しているのであるが、

日本は一年中この種の批判で満ち溢れており、

その批判は有名人はもちろん、ごく一般の人間にも容赦なく降り注ぎ、

一般人でも結構な確率でズルイ批判を被弾することになる。

 

この種の批判を「妬み」と呼んでいいものかどうかは知らんが、

意味的には「あいつだけ義務を免れててズルイ」って言ってるんだから、

これは弱者が強者を羨むのとはだいぶ違っていて、

むしろルサンチマン(?)みたいな感じかもしれないんだけど、

まあそれを含めて「妬み」と呼んでもいいのではないかな。

 

てことで妬みと呼ばせてもらうことにすると、

この種の妬みはチンパンジーとかでもよく起こるらしい。

 

たとえば、バナナを食べていたチンパンジーAが、

いきなりボスザルにぶん殴られてバナナを取り上げられたとする。

ボスザルから受けた理不尽についてチンパンジーAはとても悔しがり、

その憂さを晴らすために、なんと「より弱い奴をぶん殴る」という行動に出るのだ。

 

Aから見れば、本当の敵はどう考えても理不尽なボスザルのはずなのだが、

なぜか怒りの矛先はより弱い個体へ向かってしまうという、

まさしく「スネ夫そのもの」とでもいうべき醜悪な行動が

チンパンジーの世界で観察されるのである。

 

ということで、私がたまに「スネ夫大国ニッポン」とか言ってるのは、

日本はこういうチンパンジー現象が非常に起こりやすい国だということである。

 

これのわかりやすい例は、税金かもしれないな。

 

お人好しの日本人は、赤の他人から税と称して金を強奪されるという

根本的な理不尽には何の疑問も感じない人が多い。

そして国民はせっせと作った作物を5割も国に奪い取られ、

その税は働かない人汁族たちの間で美味しくピンハネされたのちに

還元率0.5くらいでインフラ費用などに当てられるという、

たいへんおもしろい制度を長年実行し続けているのだが、

 

それに対する民衆の怒りは徴税する人汁族に向かうのではなく、

なぜか納税を拒否した人たちのほうへ向かい、

「税金を払わないあいつはズルイ、法律違反だ。

 法を破る奴は絶対的に悪い。文句なしの悪人だ」

などと猛批判して、

悪人が不正な方法で納税を逃れたことを徹底的に糾弾しようとする傾向がある。

これは、より弱い個体をぶん殴って憂さ晴らしをしようとした

チンパンジーAの行動とたいへんよく似ている。


このことについて、私はこれまで

「日本って、つくづくどうしようもないスネ夫だらけの国だよなあ」

などと思っていたのだが、

よく考えてみればそもそもの原因は「腐った法律」という理不尽にあるのであって、

このような腐った法律がまるで子持ち昆布のようにみっちりと産み付けられた環境

では、べつに日本人じゃなくてもスネ夫的な行動が増えるようになっていくのかも

しれないと思うようになってきた。

 

ちなみに日本以外の国の法律はすべてまともなのかというと、もちろんそうではない。

ただ、他国において腐った法律とは

「国民は偉大なる将軍様のために喜び組を結成し、

 将軍様に奉仕できることを心から喜びつつ、職務に励まなければならない。」

みたいな感じの、わりと露骨に滅茶苦茶な法であるために

人々が素直に法を憎みやすいのに対し、

 

日本の法律はぱっと見は無害っぽく見えなくもないようなもの、

たとえば

「学級の日直当番を行う者は、別表アの項目ホに定められた様式の学級日誌を

    毎日作成し、これを別図8-9-3に指定されるような厚さ3mmの黒い厚紙板に

   よって綴じ、以後5年間、これを保存しなければならない。明治20年制定」

みたいな、一見まともそうに見えて実は全員にとって害でしかない“平等罰”

的な小ルールがひたすら大増殖していく仕組みとなっている点が異なる。

 

このような有害な小ルールが無数に成立してしまっている環境だと、

特定の1つの法だけを批判しても焼け石に水というか徒労でしかないと

誰もが感じるようになってしまうため、

その怒りの矛先は法には向かいにくく、代わりに隣人に向かう。

 

「昨日、日誌を不正に捏造してコストを削減しようとした者が、

   正義の告発によって検挙された。

   国は犯人を謹慎処分とする予定だが、これでは刑が甘すぎる。

   犯人は法が定めた公文書を捏造した文句なしの犯罪者なのだから、

 謹慎ではなく退学処分、いや懲役刑とするべきである」

こんな感じで、ズルをして義務を免れようとした人間を寄ってたかって

しばきまわそうとする動きが起こりやすいようになっている。

 

こうして考えると、スネ夫大国となる理由は日本人の気質にあるのではなく、

日本の法律のほうにあるのかもしれない。

だってチンパンジーの事件だって、もとはといえばボスザルがバナナを取った

のが原因だろ?

てことは、人間の場合は「腐った法律が国民に損害を与えた」のが原因とも

言えるわけやん?

 

ただ、それもつきつめれば日本人の気質に起因するということになるのかもしれない。

 

総じて日本人には、

【単体の平均値では賢いのに、集団になるとすさまじくバカになる】

という特徴的な傾向がある。

そんな日本人の負の集合知(=集合痴?)が例によって悪い方向へ向かい、

【国民の国民による国民への罰】みたいなアホ法を永遠に増やし続けてしまうという、

たいへんわかりやすいメカニズムになってしまっているのかもしれない。

伊能忠敬とコスパの話

伊能忠敬という人についての動画を見た。

 

むかし、日本地図をすごい精度で作った人なのだそうだが、

彼が地図作りを始めたのは50を過ぎて隠居してからのことで

(当時の平均寿命は40代)、

それまでは伊能家の婿入り家長、つまり商売人であった。

 

動画では、彼が17で婿入りしてから50に至るまでにやったことと、

隠居後に高精度な地図作りという難事業を遂行できたことと、

「どっちもすごいんじゃない?」というような話であった。

 

彼はわりとしょぼい家の生まれであったため、

家柄のよい人達からバカにされたり、妬まれたりすることも多かった。

だが彼はそれらの人と敵対しなかった。

(晩年は、地図作りを邪魔する奴にはキレまくることで有名だったらしいが)

 

・・・・という話だったと思うが、

間違ってるかもしれないので気になった人は自分で調べてみてください。

 

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私が伊能氏の動画を見て思ったことは、

「彼はたぶん、コスパ人間ではないのだろうな」

ということだった。

 

世の中(特に日本)には他人の足を引っ張るのが大好きな人が多いが、

私はズバリ、彼らの共通点は「短視眼とコスパ志向」だと思っている。

 

ぶっちゃけた話、他人の足を引っ張ることは案外合理的であることが多い。

たいへん少ない労力で、労力以上のリターンを得ることができるからだ。

自分より優れた人に追いつくことはむちゃくちゃ難しいが、

他人を引きずり下ろすにはそんなに知恵も労力もかからない。

つまり、コスパが非常によいのである。

 

逆に言うと、コスパを追求する癖がつきすぎると、最終的には

「他人の足を引っ張るのは合理的だ。だからやるべきだ。」

という思考に至ってしまうことが多いのではないかと思う。

 

これは個人に限ったことではなく、会社でもそうだ。

というか、むしろ会社のほうが起こりやすいかもしれない。

たとえば競合他社の不正や醜態が露見するとその会社がダメージを受ける場合、

その不正を積極的にバラしまくることは自社のシェア拡大につながる。

こういうとき、ふだん自分の利益のためには人の足を引っ張らない人でも、

会社の利益のためであれば「やるべきだ」と言い出すことは少なくない。

 

 

では他人や他社の粗探しをして足を引っ張りまくるのが最良の行動かというと、

それはたぶん、「30年以上の超長期的に見れば、よろしくない」ということに

なるのではないかと思う(逆に、30年未満なら合理的とも言えるかもしれない)。

なぜなら、他人の足を引っ張る人は必然的に恨みを買うし、信用も無くすからだ。

そのような危険行動を積み重ねると、チリも積もれば山となり、

いずれは自分が足を引っ張り返される事態になる可能性が非常に高くなる。

というか、もっと端的に「愛をすっかり失う」という結果に至りやすい。

 

伊能氏の場合、彼が地図作りを完遂できたのは、

愛の力によるところが大きかったように見えた。

もちろん彼には優れた数学的資質や体力などもあっただろうが、

日本の端から端まで歩きつつ、地味で面倒な測量作業をやり続けることは、

いくら天才でも単独では無理な話である。

また、もし手伝ってくれる人がいたとしても、そのメンバーに

「適当でいいや」とか「カネさえもらえれば結果なんてどうでもええわ」

とか考える人が混じっていたら台無しであり、当時の地図作りには、

「相応の熱意と誠意をもって、愚直に計測を行ってくれる仲間」が

どうしても必要だったに違いない。

 

だがしかし、長旅というのは往々にして人に不和を引き起こす。

そこそこ親しい友達どうしであっても、一緒に一週間以上の旅をすると、

けっこうな確率で大げんかになったりするものだ。

そのような問題を突破して地図事業を完遂するには愛の力を欠くことができず、

「もし伊能氏がコスパ人間だったら、たぶん地図は無理だっただろうな」

と、私は思ったわけである。

 

 

「合理的と論理的の違い」はしばしば話題になる事柄だが、

伊能氏の動画を見ると、なんかその話を思い出すことが多かった。

伊能氏は、ときに合理的(Te)であり、ときに論理的(Ti)であったが、

どちらにも偏っていなかったのが特徴なのかもしれない。

そして、愛の力がすごかった(もしくは良い意味で麻痺していた)のでは

ないかと、私は想像したりもした。実際は知らんが。

 

 

もしこのアホブログ読者(おそらくTi型が多い)の中に、

TeとかTiとかの類の話を聞きたい気分の人がいたら、

伊能氏の動画を見てみるとおもしろいかと思う。

 

ちなみに私のお勧めは「ずんだもん伊能忠敬」だ。

(もし「ずんだもん動画なんかで忠敬を語るな」と言われたら、スミマセンというしかない)

 

 

www.youtube.com

 

もし山賊社会が衰退したら、次の社会でありがたがられるのは何?

こないだから見ている動画、

どうやらもともとはサンデル教授という人が言い出したことを

ベースにしているみたいだな。

 

話を税制に限定すれば、(ちゃんと調べてないのでテキトーに書くが、)

サンデル氏はおおむね

 ①もっと累進課税しろ(例外は一切なし)

 ②特に金融所得の税率優遇をやめろ

と言っているようであり、

教育の分野では、

 ③大学入試にくじ引きを導入しろ

みたいなことも言っているようだ。

 

 

彼の言うことは、私の考えと8割くらい親和するな。

ひょっとすると、税に対する理不尽感について

「社会全体を貧乏にする要因は何だと考えているか」

が一致していると、その対策はほぼ決まっているのかもしれない。

 

なお①の累進課税については、私は教授とは微妙に意見が違い、

若い頃から「定額打ち止め制」であるべきと考えている。

(※定額打ち止め制=たとえば年収1000まで無税、それを超える部分は100%税とすること)

(※定額の値については1人当たりGDPの2.0倍とかにする。倍率は2.5以下で国会改定可。)

 

この定額打ち止めは、もし仮に

【たくさん働いた奴が多くもらい、働かない奴が少なくもらうのは当たり前】

であるとしても、さすがに

【平均の3倍以上の価値がある人間など、いるわけがない】

という考えによる。

 

(ちなみに私は週7労働なので世間の1.4倍をもらってもよさそうだし、

 さらに勤務時間も12時間なので2.1倍をもらっても許されそうに思うが、

 この方式で2.5倍に達することは極めて困難であろう。ゆえに上限2.5)

 

このやり方のミソは、人の価値をカネで測る風潮が消え去る点だ。

基準値以下の範囲ではいわゆる「年収マウント」が可能だとしても、

それ以上は年収ではイキることができなくなる。

そして1000以下は無税であるならばおそらく400でも余裕で飯は食えるため

全体的にカネの重要度が低くなり、

「ぶっちゃけ400でも800でも、どっちでもええわ」

という考えが主流になり、やたらとカネをありがたがるアホが一気に減る。

 

この考えは、③の教育にもつながっていくはずだ。

中国の受験戦争である「ガオカオ」を調べてもらえば実感すると思うが、

中国では皆が少しでも就職に有利な大学へ行こうと浅ましい争いをした結果、

「高校生の7割以上が3年間×毎日12時間の猛勉強の末に大学へ行く」

みたいな異常事態に発展しており、

それを支援する家族のエネルギーも大量にファイヤーされていて、

客観的にみると完全に頭のおかしい社会となっている。

少し冷静になれば、そのエネルギーを生産に向けるほうがよいに決まっている。

 

(ちなみにガオカオ現象の結果、大量発生したモヤシ大卒よりもむしろ身体能力の高い高卒のほうが希少

 価値が出て給料が2倍くらいもらえるという、ある意味当たり前現象が起こったりしている。

 ガオカオは異常すぎておもしろいので是非調べてみてください。見ようによっては、中国も山賊セレブ化

 家族破壊が進みすぎ、国民がどうにかして「家族の絆」を買い戻そうとする動機がガオカオを過熱させて

 いるようにも見えます。家族崩壊を防ぐためのツールがガオカオ、的な。)

 

しかし、もしカネの上限が「平均の2倍」とかに設定されていれば、

「たかがしれた額の年収上積みのために猛勉強して大学に行くなんてアホ」

という考えがスタンダードになることは容易に想像されるため、

社会から無意味なエネルギーファイヤーが減り、

そのぶんだけ労力が基本物資の生産にまわり、社会が豊かになるということである。

 

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さて、まあそんなわけで私は若い頃から考えてきた「分配論」について、

決して思い付きで言っているのではないという自負を持っているのだが

(これが米国の考え方に合ってないこともわかっている)、

でも私がこんな過疎ブログで暴れたって徴税山賊が聞き入れるわけがないので、

私は現状社会への対抗手段を考えながら行動をするまでである。

 

そして、私はより利己的な視点に立ち

「もしカネをありがたがる風潮が終わったとしたら、

 次は何をありがたがる社会になるだろうか?」

というテーマにについて考えてみた。

 

これについてはあまり確信がないのだが、

それはひょっとして、「モテ(T2)をありがたがる社会」だったりしないか?

他にも「遊び(T五)をありがたがる社会」というのも考えられるが、

なんとなくモテのような気が。

だって遊ぶったって、冒険する場所とかあんまないし。

冒険には一定の才能がいるが、エロいこと考えるだけなら誰でもできるし。

 

 

もし現在が「私セレブなのよねマウント」が氾濫する社会(8が威張る)だとして、

次の時代が「私モテるのよねマウント」が氾濫する社会(2が威張る)だったと

したら、実はINTPにとっては前者の方がマシなのかもしれない。

 

なぜなら、INTPは(少なくともINTP七w6は)、他のどのタイプよりも

「モテとか、マジでしょーもな」と考えがちな人種だからだ。

 

(※ちなみにENTJ3w4もこの点は似ている。てゆうか、彼らは「しょーもな」を飛び超えて

 「盛りのついた女はまじうざい。ああいう女はレディとして扱わず、しばくべきである」

 とさえ考える傾向があるので、彼らこそがモテ社会を望んでない第1位かもしれない。

 ちなみにENTJ3w4はカウンタ2の影響でイケメンな雰囲気を持つうえに金持ちなので、

 そのぶん浅ましい女が大量に寄ってきやすく、そうすると同性から

 「ケッ、ちょっとモテるからっていい気になるなよ!!」とか言われて嫌われやすい。

 これは男女遊びよりも仕事をしたい願望が強いENTJ3w4にとっては損失でしかないので、

 彼らは女性に対して極端に冷淡になりやすい傾向があるような気がする。

 その点、INTP七w6は2力とかあるわけないのでモテたりせず平和だが、でもときどき

 「おまえ、頭いいアピールしてモテようとしてるやろ。調子に乗るなよ!」とか言われると

 普通にコロしたくなるのは仕方ないと思う)

 

そういえば、以前見た「海ゆかば」という太平洋戦争映画で、

田舎兵士のマウント合戦が「圧倒的にモテ基準」であったことを

表現しているシーンがあったのを思い出した。

そこでは、モテない奴のいうことは、何を言っても「負け犬の遠吠え」

でしかないかのように扱われていたのだ。

 

うむー、あれは嫌だな・・・。

モテや経験人数が偉さの基準になるとか、最悪やん。

それって、もし仕事中にエロ話をする先輩に「うるさいぞ」って文句言ったら、

「やれやれ、またhiza君に妬まれちゃったな♥」

とか言われてしまう世の中なわけだろ?

それは結構むかつくぞ。

 

そう考えると、私一人だけの都合で言えば、ぶっちゃけ今のほうが

まだマシかもしれんくらいかもな。

(でも今の山賊社会は6的な活動が食い物にされているので、

 そこを加味するとやっぱ山賊社会のほうが圧倒的に腹が立つ)

 

そういえば、昔のベビーブームのときとかって、

ひょっとして「モテるやつが一番エライ」という風潮だったのかな?

で、それが長らく続いた反動として、今の

「多目的トイレみたいな浮気者は3回くらい死んでください」

的な超ポリコレ社会になっていったとか、あったりするだろうか・・・?

(↑これはテキトーな思い付きで書いてます。たぶん間違ってます)

 

私としては、弱者とセレブがタッグを組んだ山賊ポリコレ社会

ガオカオの何倍も「無駄だらけ」なうえ、「働いたら負け」なくらい

働かない奴らに作物を横取りされまくるので心の底から辟易しているが、

もしこれを撤去すると今度は「モテる=エライ」な社会に先祖返りするのかも

しれないと思うと、それはそれで、わりと嫌かもしれんな。

(個人的には、モテ社会は「すごくイヤ」って感じで、山賊社会は「まじで許せん」って感じ)

人間関係を破壊するとお金が儲かる、だってさ

前回紹介した私よりも頭のおかしい人の動画をいくつか見ていて、

私がちょっと感心した(気分が萎える方向で)のは

「既存の集団を分裂(解体)させれば、金が儲かる」

という内容のやつだった。

 

簡単に言うと、

市場を成立させる土台を作っている人(=本当の意味での生産者)

不自由な集団(=自由を阻害する人間関係)のもとに豊かさの余剰を

生み出しているわけだが、

この人たちに余剰を吐き出させるほど市場に出回る資源は多くなり、

つまり市場で金を得やすいという理屈だ。

(動画は例によって長すぎるので、絵を2枚だけ載せておく

 

 

 

 

これまでも、「新たに何かを売るために、既存の何かを破壊するのは当たり前」

みたいな感じのことは広く認識されていたであろうが、

動画主はこれを一歩深めて

「破壊の対象として最も合理的なのは人間関係である。

 人間関係を破壊するのがいちばん儲かりまっせ!」

と言っているわけで、

確かにそういう商売が多いのかもしれない。

 

動画では、例として「転職支援ビジネス」などが挙げられていたが、

これは別にリ〇ルートだけを目の敵にしているのではなく、

他にもそういうのはたいへん多いわけである。

 

私自身を振り返って、そういえば私が学生時代にやっていた寺子屋事業

とかも、その典型だわな。

転職支援「なにそれ?そんなブラック企業より、こっちに移れば?」

 と言って会社と社員の仲を引き裂けばそのぶん利潤が生まれるが、

 学習塾「横並びを目指している学校教師なんかに教わってたら、

 本来伸びるはずのものでさえ縮んでしまうのがオチですわ。

 僕なら今年じゅうに1年ぶん飛び級できるようにしてあげまっせ?」

 と言って教師と生徒の仲を引き裂けば儲かることになる)

 

私の父の稼業であった不動産関係とかも、まあそうだわな。

サザエさんちみたいに人がいっぱい同居してる家は豊かになりやすいから、

つまり余剰を蓄積している可能性が高い。ならば、

「舅とか姑とか親とか超うざいでしょ?一人暮らししたら?最高に自由やで?」

と言って離散を促せば、家族はそのぶん費用がかさむ。

すなわち、吐き出した金は誰かの売上となり得るわけである。

 

 

こんな調子で、誰かと誰か(できれば大集団)を引き裂いて崩壊させる仕事は、

対象が余剰を蓄積しているケースが多いので、

「蓄えを吐き出させるおいしい商売♥」になりやすい。

 

・不動産売りたい → 家族を離散させればアパート増える♥

・裁判売りたい → 遺産をもらった兄弟とかの仲を引き裂けば裁判増える♥

・テレビ番組売りたい → 一家団らんを崩壊させればテレビ時間増える♥

・仕事紹介したい → 会社と社員をケンカさせれば案件増える♥

・恋人紹介したい → 男女が憎み合う方向に仕向けるほど案件増える♥

・勉強教えたい → 学級を崩壊させれば授業増える♥

 

そうやって考えると、今の私の商売というのはひょっとして

・物を売りたい → 研究者と御用商社の仲を裂けば需要増える♥

ってことだったりして。

 

(製造における私の口説き文句は

 「な?買うよりも作れる人間になる方が断然楽しいうえに、結局は早道やろ?

  買うほうが効率的とかいうのは、浅すぎる考えやで。

  買い物なんて、普通にストレスフルな無駄作業でしかない。

  自分が本当に欲しているものを買える確率は、

  世間が思っているよりもずっと低いんやで。」

 ってことだから、なんとなく学習塾と似てるかもしれん。

 なぜなら寺子屋の時は、

「自分が知りたいことを、他人から教えてもらおうと考える奴はアホやで。

 それは自分で探すんや。探せるようになる方法を学ぶのがhiza塾や!」

 みたいなことを言っていた。これはあながち間違ってないような気がするが、

 そう言いながら教える仕事をするというのはたいへん矛盾している。)

 

一方でサービス事業のほうは、

・サービス売りたい → 親切な人と厚かましい人の仲を裂けばよい♥

って感じだったような気がするが、

これはもともとが親密な関係とは言い難いので、豊かさの蓄積がない。

つまり、破壊のしがいがなく、あんまし儲からない♥

って感じだったかもしれんな。

(そのかわり初動から簡単に売りやすかったような気がする)

 

 

こうして考えると、モラル的には今の商売のほうがうんこかもしれんけど、

そのぶんだけサービスより儲かるかもしれんわな。

でもまあ、そんなの最早どうでもいいことやけどな。

私が何よりも問題だと思っていることは、

本来は「山賊さえいなければサービスでも間違いなく飯は食える」はずなのに、

山賊どもがポリコレを盾に法律をいじくりまわして人汁を吸おうとするたびに、

その汁の10倍の無駄が生み出されて全体が疲弊していくってことだからな。

 

(奴らは10億円パクるのを隠すために、いちいち100億を使いやがるのだ。

 そうして90億が灰になり、うんこみたいな法律と建物が負の遺産として残る。

 だったら最初から10億を強盗してくれたほうがまだマシなくらいだ。

 奴らの行動は、カネを盗むために必ず火を放っていた黄巾賊と非常に

 似ていると私は思う)

 

余談だが、そういやもうすぐライドシェアというサービスが解禁(?)になるらしいな。

現在は必要なタクシー免許がなくてもやれるようになるってことで、

これについてカドカワの松野社長(解禁賛成派)が

「あんな金さえ払えば誰でも取れる免許なんて、意味ないやろwww」

みたいなことを言って司会の人に叱られていた。

松野氏の言うことはたぶん間違っていないのだが、今まで山賊が

「市民の安心安全のために絶対必要な免許です!免許を取らない人は逮捕します!」

とか言って何百万人もの人に手続き労役を課して免許汁を吸いまくってたのに、

今になって急に「やっぱあんな免許はぜんぜん必要じゃないからナシでええですわw」って

言ったら、そりゃあ今まで付き合わされた人がキレるわな。つまり未来が間違っているの

ではなく過去が間違っているのだが、山賊が過去に盗んだ金を返さないから事態が進まない。

 

 

ところで、動画の人がしばしば言っている「競争の勝者」っていうのは、

なんとなく大企業の勝ち組社員とかを想像する人が多いかもしれないけど、

本当はずばり徴税周辺のことだ。

(まあ大企業も政府寄りの企業という意味ではそこそこ徴税寄りだけどな)

 

政治は本来は市場を支えるインフラ側のはずなんだが、現実には

どうやっても人汁族の巣窟になることを避けられず、

これが永遠に解決しない社会問題の根源なわけである。

(田舎の人間関係がうっとうしいのも、「政治の手先みたいなスネオジジイが威張って何かを強制する」

 という現象に起因するものが大半だろ? そして親が子にスネオ指令に従うことを求めるから

 だんだん家庭までうっとうしくなってくるわけであって、本来は家庭がうっとうしかったわけではない

 

同時に動画主が言っていることは、

破壊可能な人間関係が枯渇して、吸い上げられる養分が減ってきてる」

ということでもある。

中間層の衰退というのは、つまり豊かさの余剰の枯渇だ。

山賊の本拠地である首都が潤っていられるのも、地方から人口を吸い上げる

ことができてこそだったが、それができなくなると国は一大事になる。

 

私としては、国とかは勝手に滅べばよいので心底からどうでもよいが、

山賊が悪あがきのためにますます重税をかけてくるのは目に見えている。

(末期の袁術がそうしていたのと同じようにな)

 

ではどうするか。

正解は知らんが、変化が速いので備える時間は少ない。

ちなみに私は「バランス」が重要だと思う。

私の嫌いな言葉を使えば、リスク分散というやつかもしれない。

カネとモノ、どちらかに偏りすぎると危険だ。

今の世間はカネに頼り過ぎているので、もう少しモノに寄る必要があると私は思う。

私よりも頭のおかしい動画の紹介(時限)

しばらく前から私は、

腐った奴ら(=働かない袁術ども)が腐った法律を悪用し、

善良な勤勉族から徴税という略奪行為を堂々と行うのを

「心の底から許せない!!」

と繰り返し述べてきた。

 

その怒りたるや、

「もし腐った山賊が一匹残らず死んでくれるのなら、僕は核戦争を歓迎するぞ!」

だの

「もしアホじゃない誰かが軍事革命を起こすなら、僕は全財産を寄付するぞ!!」

だの言いまくるほどの勢いであったため、

私は周囲から

「あいつは言動がキチガイすぎる。

 もしや、精神がやられたのではないか?

と心配されてしまうほどであった。

 

しかし実際のところは、私は頭が狂ったのではない。

私は煮えたぎる怒りを抱きながら、脳みその限界まで考え抜き、

そしてすでに有効な作戦を、ちゃっかり考えついていたのだ。

 

てゆうかむしろ、おぼろげながら突破口を考えついたからこそ、

愚痴めいたことを述べていたとも言える。

私の遠大な計画が「大まじめ」であることを知ってもらうためには、まずは

袁術への怒りがいかに深いかを、周囲に知っておいてもらわねばならんからな。

 

 

私の作戦は、それなりに成果を出しつつあるような気がする。

その証拠に(?)、わが社は先月もまた最高売上を更新した。

こう言うと「結局は金が目的なのか?」と思われるかもしれないが、そうではない。

七w6の私は、どうしてもカネが目盛りにしか見えない研究者気質だからだ。

 

私がむかつくのは、徴税山賊が多くの金を持っているからではない。

働かない山賊が法を悪用して、働く人々を踏みつけにし、

他人の作物を平気で略奪することを合法化しているのが許せないのだ。

 

それゆえ私の目的は、勤勉なT6族から金を収奪する袁術ども(董卓でもよい)に

徹底抗戦できるチームをT七・T6族の結集によって作りあげ、彼らに

「徴税山賊なんぞより、七w6のほうが何万倍も役に立つわ!」

と言わしめて、袁術に反旗を翻してもらうことである。

 

T6はお人好しなので、徴税は悪ではないと思っている人が圧倒的に多い。

徴税を悪だと理解してもらうためには、私の考え方のほうが

明らかに幸福な結果を生むことを体感してもらう必要がある。

それが私にとっての抗戦である。

 

作戦の内容については、ここでは述べないつもりであった。

そんなことを説明したって、価値観の異なる種族から

「やっぱ七w6って最悪な生き物やな。終わってるわ。」

とか言って叩かれるだけで、

私にとっても会社にとっても、何の益もないことだと思ったから。

 

だがしかし、作戦を述べないと仲間を集めることができない。

このアホブログの目的は

「ネットから変人のおっさん(orおばはん)を一匹だけ釣り上げて、仲間にすること」

なのだから、作戦の秘匿は目的と矛盾することになる。

 

これは秘密主義と言われるT七族にはたいへん悩ましい点で、

私はアホな駄文記事を何度か書いてはみたのだが、

結局どれもイマイチ納得がいかず、

せっかく書いても公開中止というのを繰り返していた。

 

だが昨日、衝撃的な動画を発見した。

なんと、私と同じようなことを考えていた人がいたのだ!

というか、動画主は私よりもはるかに前から考えていたと思われ、

私がうまく言語化できずに漠然と考えていたことを、

その人はほとんど完璧に言語化して、長い論文にしていた。

そして、すでに何十万人という賛同者を獲得していたのだ。

(よくもまあ、こんなキチガイ思想で人を集めたもんだ。

 おそるべし。私はようやく3人目の賛同者を得たばかりだというのに)

 

 

この動画を私の仲間の一人に見せたところ、

「これ、あんたの作戦とほとんど同じ考え方やね。

 でもあんたの説明より百倍わかりやすい。

 あんたから何十時間も説明を聞いてようやく理解した内容が、

 この動画ならたった1時間でぜんぶわかったわw」

と言われてしまった。

悔しいが、私もまさに同じ感想である。完敗です。

 

 

まあそんなわけで、

どうやら私の作戦は、たいして珍しいものではなかったようだ。

もし珍しい作戦であれば、私という邪悪な人間は

「誰にも教えず、俺達だけが幸せになるために実行しようぜ♥」

とか言いまくるようなロクでもない人間なのだが、

すでに他者によって広く公開されているならば、

もはや秘匿する意味もないだろう。

 

ということで、動画を紹介しよう。

あらかじめ言っておきますが長いです。ひとつ30分もあります。

 

そして、誰もが賛同するような内容ではないです。

しかし私や私の仲間は、この動画の内容を

真剣かつ具体的に、遂行しつづけているのであります。

 

【なぜ革命が起きないのか?】

www.youtube.com

 

 

【なぜ社会に必要な仕事をしている人ほど報酬が低いのか?】

www.youtube.com

 

 

 

長いのでいちおう簡単に超意訳しておく。

 

◆個人の自由=「正しさ」

      =無駄な競争や手続きにリソースが空費されまくる仕組み

      =勝者は豊かになるが、全体的には貧しくなる方向へ進む

  身近な例:

   貨幣空間というのは他者責任の温床であるので、いちいち「このケーキには卵が含まれています」

   とかの表示をしないといけないし、あるいはたった2%の軽減のために「人用と同じ製法でも、

   キャットフードは軽減税率にはなりません。しかし食紅を塗装に用いる場合は軽減となります」

   とかの超くだらない納税手続きを多数の経理担当者が行うために全国で莫大な経営資源が浪費される。

   ゆえに、国が正しさを追い求めれば追い求めるほど、社会は無駄満載の貧乏社会になっていく。

 

◆集団協力=「豊かさ」

     =無駄な競争や手続きのロスがなく、余剰備蓄を作りやすい

     (ただし殿様の子はバカでも殿様という「正しくない世界」である)

  身近な例:

   貨幣空間と違って、家族や友達間では物事を他人のせいにするとしばかれるため、ばかばかしい

   茶番や手続きのために資源が浪費されたりしない。結果として収入は増えずとも無駄がなく、

   生活に金がかからない(実際、集団生活するほうが明らかに生活コストが下がるものである)。

   ゆえに、正しさのない環境は余剰資源を作りやすい環境となる。ただし、集団では当然ながら

   わずらわしい人間関係が伴い、個人の自由というものが阻害されやすい環境である。

  (なお愛情空間では貨幣を介さずに交換が行われるため山賊は税金をかけづらい)

 

 

さて、このアホブログ読者諸兄は、どう思われましたかね?

 

ちなみに私は、ベーシックインカムとかどうでもいいです。

 

動画主は

「自由=正しい=貧しい」 ⇔ 「集団=正しくない=豊か」

の絶対的公式を示したうえで、

「このような考え方の延長上に、正しくないベーシックインカムがある」

と言っているようで、まあその方向への展開も理解できなくはないのだが、

そのための金を集めたり配ったりする人達が中抜きをしないとは考えにくいし、

正直な思いとして、私は日本が世界の中で勝とうが負けようがどうでもよい。

(20代くらいのころは、そうでもなかったんだがな)

 

動画では「人口が増えない=正しさの追求のせい=正しくない政策が必要」という理屈で

主に人口問題解決のための手段としてベーシックインカムの話がされているけど、

私はインドみたいに人大杉の状態がいいこととは思えないし、増えすぎたら減るのが自然の摂理だと思う。

つまり、「人口を増やすという目的を持つならばベーシックインカムが必要」という理屈は間違っていない

のかもしれないが、私はそもそも「人口は増えも減りもしないことがベスト」と思っているので、

そうまでして人口を増やしたいと思う気持ちが理解できないのである。

日本は過去に人口4倍増という愚をやってしまった(4倍は世界水準よりだいぶ高い)のだから、その反動で

人口が減る期間があるのは仕方ないことのような気がするんだがな。

(福祉については、その期間は若者が老人を養うのを放棄すればいいだけのような)

でもまあ、このへんは人によって考え方が違うみたいなので、深追いしないことにしよう。

 

 

 

というわけで、私は動画の内容(理屈)にはほぼ全面的に賛同なのだが、

私がやっていることはベーシックインカム活動ではない。

私の願いは国を救うことではないのだ。(てゆうか国とかむしろ滅んでほしい)

 

では何かというと、以下のような「ヤンキー猟師村」の結成実現である。

賢明なアホブログ読者諸兄であれば、ここではエニア「セクシャル」の

考え方が随所にちりばめられていることに気付くであろう。

 

 

【ヤンキー猟師村のルール】

 

(1)私とともに、週七ブラック労働をやりたいおっさん(おばはん)を募集する。

   募集といっても、甘ったれた他責じじいとかは絶対に仲間に入れない。

   先住の役員全員に「ド根性」を認めさせた者のみを仲間に加える。

   (なお、おっさんおばはんとは、子育てを終えたor終えつつある世代のことを指す)

 

(2)ヤンキー村の内部では競争は許されず、全員が平等である。

   ゆえに村の収益を配分する場合は、役職や年次によらず

   同額を山分けするものとする。

   ヤンキールールでは「平等」は絶対である。そして逆に言うと、

   山分け配分に値しない人物は、最初から仲間じゃないことになる。

 

(3)村への滞在時間は規定されるが、時間帯は自由であり自分で勝手に決めてよい。

   村では滞在時間のうち半分を最低時給での時給労働時間として扱い、

   残り半分は役員活動時間として扱う。

   役員活動の部分は労働出資と認め、相当する株式を譲渡する。

   なお役員になることを拒否する者は、最初から相手にしない。

 

(4)上記3で労働出資をする場合は、保有株式が所定の均等比率に達する

   までは分け前はゼロである。なぜなら正統のヤンキーワールドにおいては

   分配方法は「山分け」しか存在せず、こざかしい部分配分だの比例配分

   だのは即却下されるのが当然だからである(比例は公平だが不平等だ)。

   早く分け前が欲しいのなら、死ぬ気で稼いで一刻も早く株を揃えるしかない。  

 

(5)参加者は全員、別途自分の会社を持つことを義務とする。

   そして参加者は互いに雇用しあうものとし、もし誰かが村内で

   ナメた「権利」なんか主張した場合は、残り全員がそいつの会社で

   労働訴訟を起こしまくって報復を行うものとする。

   (かの岡田斗司夫氏も山賊への皮肉をこめて「ダチを先公に売るような奴はカス」

    表現していたが、カスは必ず後悔させてやるのが教育というセクシャル産物である)

 

(6)参加者は、上記1-5を完璧に合法に行うための知識習得を義務とする。

  (ただのヤンキーなら違法も上等なのかもしれないが、我々はあくまで

   「ヤンキー法人」であって、法人は合法であるからこそ法人である)

 

(7)ヤンキー村では、腐った山賊への対抗のために一致団結して協力をする。

   そもそも、政治や行政の腐った山賊どもは、なぜバカのくせに強いのか?

   それは、身内同士で庇いあうヤンキーだからだ。

   そんな山賊に対抗するには、我々も機動力を備えたヤンキー海賊に身を堕とし、

   山賊とのブラック対決を制するしかない。

   なおブラック対決とは、先に裏切りが生じたほうが負けの勝負である。

 

(8)村内では、「せいじやくにんきゃくしゃいん」を合言葉とする。

   これは村の敵となるものを定義した言葉である。

   村では山賊はもちろん、バカすぎる客や社員もすべて敵だ。

   ヤンキールールは、仲間うちの愛と友情と信頼だけがすべてだ。

   幼稚な海賊ごっこに興じる自分を恥じつつ、しかし全力で仲間を守れ

 

(9)我々の航路上で発見した「弱そうな競合他社」には競争を仕掛け、

   申し訳ないがすべて撃沈するものとする(海賊だから)。

   我々は勝てそうな敵にだけ襲い掛かる、卑怯な賊だ。

   じっくり観察して、油断をついて奇襲して漁場を奪え。

 

(10)以上のような考え方から、我々が作るべき製品がどのような

    製品であるべきかは、おのずと方向が決定される。

   「客はバカであり敵であるが、我々の製品を選んだ点だけは利口である」

    といえる製品を作れば、それらはきっと売れるだろう。

    なぜなら、時代の流れに沿っていると思うからだ。

 

 

 

というわけで、ヤンキー村では「参加の自由」という個人メリットは

保証されるが、それ以外の個人メリットは圧倒的に制限される

村の稼ぎの大部分は再投資に回されるので、生活費は最低限度しかもらえない。

質素倹約ができないような雑魚は、最初から参加が無理であろう。

逆に言えば、このような正しくない条件に耐えられる人間の集う村は、

そこそこ強いに決まっているとさえ言えるかもしれない。

 

 

INTPである私は、もともと豊かになることなど目的としてはいなかった。

少しばかりの利益を得て、「自分の金で好きな研究をする」という

ささやかな楽しみを実現したかっただけだった。

 

税金さえなければ、こんなのは誰でも実現できることだった。

仕事や商売をがんばれば、誰でも少しばかりの余力を得ることができた。

(お上のピンハネさえなければ、利益率10%は誰でも余裕で達成できることである)

しかし現代では、それはもう無理だ。

果てしない税金と労役が課され、余剰の資源(=お金+時間+エネルギー)が少なすぎる。

山賊はあらゆる人間活動に関所を設け、無意味な労役や免許税をかけてくる。

 

とはいえ、ぶつぶつ文句ばかり言ってるなど、INTPの性に合わない。

幸い、INTPにとっては狭い領域での競争に勝つことはそんなに難しいことではない。

品質やコンセプトで圧勝しつつ、手続きや広告などの無駄も行えばよい。

そうすれば、「カネさえ払えば何でも買える」と信じ込んでいる魚達は、

無意味に高くなった商品を買うだろう。そうして備蓄を失っていくかも

しれない。そりゃそうだ、家族や友達と作れば200万で作れていた家を、

わざわざ2000万で買うような行動を強制されつづけているのだからな。

(その差額の半分以上が山賊のエサとなる仕組みである)

 

でもまあ、それがいいとか悪いとかは、もう知ったこっちゃない。

なにしろ客は敵だからな。勝手に不幸になればよろしい。

ただ、我々の製品は我々と同じ道へ向かうための道具にもなるものだ。

それを活用できるかどうかは客次第であり、それ以上は関与しない。

 

 

我々はこのような活動を積み重ねて、ようやく山賊と対決できる。

嫌な奴でも「勝てば官軍」、それが盗賊マインドだ。

頭の悪い世間は、ひょっとしたら「努力家」の我々を賞賛すらするかもしれない。

我々はそうやって力を蓄え、「山賊の施しなんぞ要らんわ」と言えるだけの

防備を固めて、はじめて山賊との「裏切り耐久勝負」に参加できるのである。

 

上記の作戦は、私のこれまでのエニア考察と特攻精神から導かれた結論である。

腐った奴というのは、キレイな戦いに負けたって何とも思わない。

腐った奴は、腐った戦いに負けることを一番嫌がるのだ。

腐った敵には、そいつが一番嫌がることをやりまくるのが特攻だ。

自分だけキレイでいようと思ったら、もうその時点で負けている。

だから腐った奴に嫌がらせをしたいならば、

自分が相手以上に腐っていることを見せつけることが解なのである。

巨人のアニメ完結。その感想

人食い巨人のアニメが最終回を迎えたらしいので、見に行った。

途中、とてつもなく間延びして10倍速再生が必須のアニメであったが、

最後の数話はまあ許容範囲内であった。

 

以前も言っていたことだが、

私はこのアニメを見て、ふたたび確信したことがある。

それは、エンタメというのは

「自己保存」・「セクシャル」・「ソーシャル」

3つの要素を兼ね備える必要があるということだ。

 

 

巨人のやつの場合は、最も特徴的なのはセクシャルである。

しかし、だからと言って自己保存やソーシャルを捨ててもよい

というわけではない。

視聴者というのは、「それはそれで別腹」な生き物なのだ。

 

以下、巨人のやつについて、

エニア的な観点から感想を述べる。

(ネタバレ注意)

 

===============

 

セクシャル的要素:

 

この作品には、2や8をこじらせた登場人物が多く登場する。

特に以下の3人は、完全にキチガイの領域である。

 

① エニア2をこじらせた登場人物(その1)

 残虐非道な王様にモラハラされまくりの奴隷(兼愛人)の娘(ユミル) は、

 その王を守るために自らの命を捧げた。

 そして死後も王を想い、2千年ものあいだ砂漠で巨人を作り続ける。

 「あの奴隷女も少しは役に立ったな、グハハ」とか言っていたモラ王は

 もうとっくに死んでいるのだが、彼女は王の依頼を遂行し続けている。

 つまり、この娘は完全に2をこじらせているのである。

 世の中には一定数いるんだよね。ダメンズしか愛せない女が。

 

② エニア2をこじらせた登場人物(その2)

 客観的に納得しがたい理由でもって、特定の男を追い回す女がもう1人。

 彼女(ミカサ)は、さしたる理由もなく、

 まるで”刷り込み”を受けたヒヨコのように

 「オール・アイ・ニード・イズ・エレン。エレンこそ私のすべて!!」

 とか言いながら命がけでエレンを守護しつづけるイミフな女である。

 最後は自らの手でエレンの首を斬り、その生首にキスをする。

 マイ・ファースト・アンド・エターナル・キス・イズ・ウィズ・生首。

 彼女もまた、完全に2をこじらせていると言える。

 (※このようなキティ女ばかり登場するのは、ひょっとして作者自身が2をこじらせて

   いるからではないかと私は想像する。)

 

③ エニア8をこじらせた登場人物(主人公)

 人食い巨人の島から出て自由になるために、粉骨砕身の努力をする主人公エレン。

 しかし島からの脱出に成功した後は急にエラそうになり、

 「俺、外のやつ全員ブチコロすことにしたわ。それって俺の自由だよね?

 とかいって、巨人の大群を率いて人類を踏みつぶすという暴挙に出る。

 

 同時にエレンは友人たちに向かって

 「お前らには、俺を制止する自由を与えてやろう。

  俺を制止したかったら、俺を殺してみろ。

  なに?できないって?勝てるわけないって?

  そんな雑魚カスには、何一つとして実現できやしない。

  お前ら、気合を入れろ。俺を目指して奮起しろ!!」

 とか言って、友人達に「俺殺し」をパワハラ強要する始末。

 完全に8をこじらせていると言ってよいだろう。

 (作中でも、「あいつは自由の奴隷だ」とか言われていた)

 

 なお、結果的に友人らは人類の8割が死亡した時点で

 ようやく主人公の制止に成功する。

 もしスター倫や毛沢糖がこの作品を見たら、

 「ワシもいっぱいコロしたけど、エレン様にはかないませんわ」

 と言うかもしれない。

 

 

ということで、この物語は2と8をこじらせた登場人物たちが

キティな人間関係(対人執着)を振り回しながら暴れまくる物語である。

 

なお、こういうセクシャル主軸の物語は、昭和の時代にけっこう流行った。

復讐のために戦い続けた主人公が宇宙の果てでラスボスに出会うと、

「なんとびっくり、ラスボスは主人公の父親だった!」的なやつね。

上記は昭和で使い尽くされたパターンだけど、

でも愛とか復讐とかって、「永遠性」とか「不変な感じ」とかがあって

なんとなく物語的な相性がよさそうでしょ?

だから、セクシャル要素は物語の背骨にしやすいんだと思う。

(個人の感想です)

 

 

自己保存的要素:

自己保存の要素として重要なのは、

・設定(物語内部の世界ルール)=T1

ギミック(装備等の細かい仕様)=T七(5)

匂わせ、謎解き(伏線回収)=T4

 

まあだいたいこの3つであるが、

世界ルールが適当だと目的が雑になってしまい、特に自己保存組が激怒する。

だから巨人のやつは、しつこいくらいにワールドルールを設定している。

(序盤のルール説明の上手さは秀逸であった)

 

また、T七要素である「ギミック」の目玉商品である立体機動装置にも、

たいへん細かい仕様が設定されており満足である。

 

しかしいかんせん、

匂わせ(伏線回収)についてはしつこすぎるというか、

「しょうもないクイズを解くという労働を、なんでやらされなきゃいけないの?」

という思いがしばしば募ってきたので、ちとやり過ぎではないのかと私は思った。

(個人の感想である)

 

 

ソーシャル的要素:

アニメにおけるソーシャル要素は、なんといっても「日常化」である。

戦争物語の登場人物たちは、みな恐怖におののきながら戦場へ向かう。

しかし、すぐに慣れてしまう(T6)。(←T6は慣れるの早すぎ)

そしてすっかり慣れてしまった後は、なぜか戦闘中に

「フフ、このスレッガー様に勝てると思うのかい?ニヤリ」

とか

「ひゅー、助かったぜ。愛してるよセイラさん。チュッ♥」

とかみたいに、登場人物全員が

かなり(相当に)恥ずかしい、イキったセリフ(T3)

ばかり言うようになっていくのである。

 

また、この巨人のやつが特にそうであったように、

ソーシャル物は間延びして時間の進行が遅くなる(T9という傾向がある。

ちなみにこれは、昭和の野球マンガで最もありがちな現象であった。

序盤は1話=1試合って感じでテンポ良く進んでいくのだが、

だんだん1話=1イニングになっていき、

しまいには1話=1球投球に近づいていくのだ。

この段階に来ると、主人公が「うおおおおお」と叫ぶだけで

見開き2ページが消費されてしまうのがデフォになり、

もう少し複雑な「かめはめ波~」の6音を発声したければ

最低でも12個のコマ割り(約6ページ)が必要となる。

 

ソーシャル物がこのように間延びしがちとなる間接的背景としては、

脇役を脇役として使い捨てるのが忍びない(T9

というのがあるかもしれない。

例えば間延びアニメで人が死ぬときは、

刀を振り下ろすシーンがなぜか突然コマ送りになり、

「第〇〇番目の登場人物(モブキャラ)の生い立ちストーリー

とかが挿入されてしまうことがある。

私からすれば、

「いや、そいつは今から死ぬんだから、そいつの話はもう不要では?」

っていうことになるのだが、

そういうゲジゲジ冷血漢のような考え方はソーシャル族には通用しない。

 

とまあ万事がこんな調子で、ソーシャル物語というのはとかく「寄り道」が多い。

そしてこのような寄り道を実現するツールとして時間リモコンというのがあり、

「時間リモコンを使うと、スロー再生や一時停止や巻き戻しが可能となる。

 ソーシャル物語の作者は、多数の人間のエピソードを詰め込むための

 便利ツールとして、時間の進み方を操作できるリモコンの保有特権を有する。」

という謎ルールが適用されるため、話がちっとも進まなくなることが多い。

 

この現象について私は、宇宙船がブラックホールに近づけば近づくほど時間の

進み方が遅くなるという現象と、たいへんよく似ていると思っている。

(個人の感想である)

 

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というわけで、

こじらせキャラ満載の巨人アニメでした。

 

私としては、「セクシャルこじらせ」や「匂わせ謎解き」については

文句を言いつつも許容できるというか一部おもしろくさえあったんだが、

「ソーシャル間延び」がさすがに無理すぎたので、惜しい作品でした。