INTP5w6による性格タイプ雑記ブログ

MBTI&エニアグラムのよもやまブログ

物理と数学、どちらがお好き?

(※記事が長すぎたので導入のESTJの話は省略)

 

さて、ESTJには上記のように答えたが、

このアホブログを見に来る人はINTPだったりすることも多そうなので、

勉強適性が16分類中1位(本当かよ?)と言われるINTP向けに、

もうちょっと真面目な答えも書いてみようと思う。

 

ESTJとのやり取りで焦点となったのは質問者と回答者の「意思」であったが、

この話は実は物理の勉強と関係が深いと思う。

というのも、物理ができない人には、

「なぜこの方法では解けないのかを知りたがる」

という共通傾向がみられる場合があり、

そしてこの背景には「物理と数学の違い」というものがあると思うからである。

 

(※以下、あくまで学生レベルの話であって、ぶっとんでる亜空間数学

  とかの話ではないので、その範疇で読んでもらいたい)

 

数学というのは、答えは1つでも、問題を解く方法はいくつも存在する。

例えば図形の問題であれば、古典幾何で解こうと方程式で解こうと、

あるいはベクトル行列で解こうと、

はたまた教科書に載ってない技で解こうと、定規で測って解こうと、

どれでやっても問題ない。まともな数学の先生なら、どんな解法でも

答えさえ合ってればマルをくれるであろう。

ただ、そもそも数学はただの道具なんだから、答えが合ってるかどうか

なんてことはぶっちゃけどうでもよくて、

「速やかに3種類の答案を書くことができる」

という技能に意味があると考えるほうが正解に近いのではないかと思う。

 

しかし物理はそうではない。

物理の答えは1つだけであり、解法も1つしかない。(←あえて断言してみる)

というのも、もし物理で解法が2つあるように見える場合は、すでに何かの

理解が間違っている可能性が非常に高いのだ。

従って、物理の答案には「解答に至るまでの道筋」なんて書く必要がなく、

答えが合っているってことは特定の一本道を通ってきたに決まっているのだから、

答えだけしか要求されない解答用紙になっていてもべつに変ではないかもしれない。

 

このような背景を理解しておらず、物理で間違った答えを出した方法について

「おかしいな、この方法でも解けるはずなんだが」

「いったい何が間違っているんだろう?」

という思考回路になってしまう人は、おそらく物理を好きになれないと思う。

 

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さて、ここからちょっと一般論的な話を。

 

数学というのは、しょせんは人が考え出した概念だ。

ある意味、「社会科とかアートとかみたいなもの」が何%か混じっている

と言っても過言ではないと思う。

だから私は、数学を理解することにはあまり意味がないと思う。

というか、理解しただけでは何の役にも立たないので、

私は学生にとって数学の最も良い勉強法は、たぶん「模写」であると思う。

 

たとえば電動ドライバーを使うのに、

「このような道具を使うための一般的指針は何か?」

なんて考えてもしょうがないだろう。

もし大工がそんなことを考えてたら、とてつもない無能になってしまう。

それと同じだ。

大工の見習いが、親方が道具を使うときのやり方をよく見てマネして覚える

のと同じように、数学はとにかく模範解答のマネをして、それっぽい答案を

よどみなくスラスラと書けるようになればよいのである。

 

なおスラスラと書くためには、答案の最後の行までの全体像が最初から頭に

浮かんでいなければならず、そうなるようにまずは答案の完成形を超具体的に

脳内デッサンするという練習をする必要がある。

たくさんの工具を上手に使えることは、大工の優秀さの指標の1つである。

 

一方で、物理はどうか。

物理の対象は自然界であり、自然は人間が作り出したものではない。

従って、法律などの社会科やアートとはまったく異なる。

人間がどう思考するかなんて、自然様は知ったこっちゃない。

 

物理の勉強とは、

「今わかっているデータと、今わかっているとされている法則は何か」

ということをひたすら明らかにしていくという、たいへんおもしろくて

地味な作業である。

従って、自分で勝手に考えた謎の法則とか持ち出したら正解できないし、

法則をあいまいに理解したまま暗記したりすると、とんでもないことになる。

 

ということで話を戻すが、私は

数学は意思を持たなければ学べないが、物理では意思など不要であり、

 物理の答案は1種類しかないんだから理解することしかできない。」

ということが言いたいのであり、

もっと言えば

「物理では意思を持つ権利を持っているのは自然様だけであり、人間の

 意思などただのゴミなので永久に考慮しなくてよい点が素晴らしい。

 ああ物理万歳!」

ということが言いたいわけである。

 

ただ一方で、

これは別の視点から見れば、

数学は【何が何でも〇〇したい】みたいな人間的な意思の臭いが

 全然匂わないクールな世界だが、

 物理は【生きるとは取捨選択することだ】みたいな人間的な意思の臭いが

 ぷんぷんと匂ってくる、暑くるしい世界である。

 従って、”死神を見たことはないが死の瞬間にだけは本当は死神は存在して

 いるかもしれず、そうでないとは言い切れない”みたいな未決余地の状態を

 好む人はおそらく数学が向いており、

 その逆に、”たとえ誰が何と言おうとも自分は死の瞬間にのみ成り立つものや

 目を閉じたときにだけ現れる世界のことを自己の考察範囲から生涯永久に除外

 するという決意を翻す意思は1ミリもない”みたいな確たる願望を持っている人は

 おそらく物理好き」

という、なんか上記と真逆のような見方もできるかもしれず、

どの時点での「意思」をとるかによって捉え方が違ってくるかもしれない。

 

このへんの思考傾向を考察するのがタイポロジーであると思うが、

物理は「物体の振る舞いを支配している必要十分な法則は何か」をひたすら

明確化するという作業であり、「支配式」なんて言葉が普通に飛び交うような

世界であるから、わりとT8っぽい思考回路が混じった学問かと思う。

 

てことで、話がとっ散らかってしまいましたが、

要約すると私は数学よりも物理が好きですというお話でした。

 

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余談:オバケの話

 

ところで、私は幼少の頃に「オバケが怖くて、風呂で頭を洗う時に目を閉じる

のが怖くて仕方ない」というよくある不快状態に陥りがちな子であったため、

それをなくすためにある思考を何度もトレースして自分に叩き込んだ。

当時の言葉でどのように言っていたかは忘れたが、内容としてはだいたい

こんな内容だったと思う。

「目を開けた瞬間に死神がいたら死ぬということは、つまりそのときは死ぬこと

 が決定しているのだから考えても意味がなく、そのようなことを考えるために

 せっかく食べた晩御飯の栄養が使われるのはお母さん対して申し訳ない。

 それよりも、こないだ風呂に入っている人が突然死ぬ確率の話をお父さんに

 教えてもらったとき、その数字をイメージしたとたんになぜか死神の顔

 ギャグ漫画みたい見えてきたという不思議な脳体験をいつでも自在に再現

 できるようにするほうが断然お得である。」

 

このような思考方法は、ひょっとすると自己保存メインのINTPにはありがちかも

しれないが、当時(小学校1年生くらい?)の私が一生懸命考案したことは、

これを一度きりの思考ではなく、「何度もトレースして全体像を頭に叩き込む」

という後の数学学習的方法を取り入れて道具化したことであった。

これはまあまあのヒットだったと思う。

おかげで私は墓場の肝試しも平気なくらいにオバケを克服できたのだが、

その代償として

「一番怖いのはオバケや死神ではなく、意思を持った生き物だ。

 特に怖いのは犬だ。奴らは群れたがり、しかも逃げると追いかけて

 くるという意地悪な性格を持っている。奴らは性根が腐っている。

 2番目に怖いのはゴキブリだ。奴らは常に僕の̻死角に入ろうとする

 確たる本能持っている。まったくとんでもない虫だ。

 奴らに確率は通用しない。全員死ねばいいのに。」

という副産物的考え方も叩き込まれてしまい、

やがて最も怖いのは人間に決まっているということにも気付くようになり、

私の中で現在のような内向的で防衛好きで隠遁的な性格が少しずつ形成

されていったのである。