前に書いたDIYのアニメを、毎週楽しみに見ている。
たいへんおもしろく、私はすでに大ファンである。
しかし、このアニメにはおかしい点がある。
キャラの設定に一貫性がなさすぎるのだ。
(おもしろいと言っておいて結局けなす(?)あたり、さすが私である)
一例をあげると、たとえばタクミンという名のキャラは、もともとは
「中学では孤立して友達がいなかった子」という設定で、
だからこそ主人公の誘いに乗ってDIY部に入ったはずなのだが、
今ではそんな設定など「どこ吹く風」って感じでガン無視され、
どこからどう見てもISFJみたいなキャラになっている。
そうすると、
「この性格で友達がいなくて孤立とか、あるわけねえだろ」
みたいなことになるわけだが、他のキャラにも同様のことが
起こっていて、「あれ?なんか入部した理由が崩壊してない?」
みたいな状態になって、あちこちで辻褄が合わなくなっているのである。
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まあ作品の悪口みたいなことは言いたくないので個別の話はこのへんにしておくが、
一般論として、私は性格分析において、その人の「言葉」や「仕草」などは
あまり考慮に入れない。
言葉や仕草などいくらでも偽れるからであり、人の性格が表れるのは、
何と言ってもその人の「長期行動履歴」である。
人は言葉や見かけの行動は変化できても、性格自体は大きく変化できない。
(だから長期の行動履歴が性格と不一致になることはほぼ皆無である)
ところが創作の世界においては、現実にはない「性格のメタモルフォ―ゼ」を、
なしくずし的に許容するものが半数ほど存在している。
そしてまた、
【性格が一貫してようが一貫していなかろうが、面白いものは面白い】
とでも言わんばかりに、性格メタモルフォーゼの作品には人気があったりもする。
というか、性格をメタモルフォーゼさせないと物語は普通に「当然の帰着」
である結末へ一直線に進行し、一瞬で完結してしまって連載にならないという
悲しい事情もあるのだろう。
(特に恋愛ものは常にその危機にあり、いかにして「引っ張る」かの世界である)
そのため、たとえば記憶喪失だのPTSDだのショック性人格崩壊だの、
適当に非現実的な理由をつけてキャラの性格を魔界転生させるほうが作品が長持ちし、
トータル的に人気を得やすいみたいな怪現象が起こってしまう。
DIYものの場合は、そもそもが工作という現実作業が舞台条件であるため、
どこかに架空要素を入れるなら、それはもはや性格しかないのかもしれんな。
ちなみに、性格転生が比較的少ないと感じる某「巨人化漫画」は、
別の意味で「もうええわ!」ってほどに引っ張られており、
もはや人をバカにしているとしか思えないレベルになっている。
私はきっと、物語のそういうところ(=作者の都合で展開が決まってしまうこと)
が根本的に好きじゃないのだろうと思う。
でもまあ、それはそれとして、私はDIYのアニメを「おもしろい」と感じており、
これもまた、私にとっては疑いようのない事実である。
できればくだらない引っ張りはせずに、きちんと完結させてやって欲しいと思う。