「生産性」という言葉がやたらと使われるようになったが、
具体的にはどういう数値のことをいうのかというと、
政府の定義では「1人当たりの粗利」であるということになっているようだ。
(厳密には、生産性は「粗利-人件費以外の雑費」で計算するらしい)
粗利 ≒ 売上ー仕入 ≒ 利益+人件費+税金
(納税すると生産性の計算に+の寄与となるあたり、さすがお上の定義である)
しかし、そういう指標で評価すると、以下のようなケースについては
どうなんだろうか?
(私の実体験)
【こないだ、機械を買おうと思って、中華製の機械を見ていた。
中国人は能率を重んじるので、1台だけとかのしょぼい取引を嫌う。
だから1台だけだと2割ほど割高になるのだけど、どうやら
本体100万円+輸送費40万+税30万=計170万くらいで買えるっぽかった。
このくらいなら、2割差は許容できる(むしろ税金がクソ)。
ただ、何度か経験したが、輸入はとにかく手配が面倒なのだ。
なので、一応国内の機械販売業者にも電話してみた。そして、
あれこれ聞かれてやっと見積書が来たと思ったら、上記の中華と
ほとんど同じ海外製品が、なんと2100万(税別)だという。
つまりこの業者は、機械を約170万で買ってきて、それを2100万で
売っているのだから、粗利率は92%にもなる。
さすがに92%では、仕入れ値を知ってる人は誰も買うわけがないから、
この会社は「およその仕入れ値を調べることができない人」だけを
相手に商売をしていると言える。】
よほど無知な人しか買わないという業態である以上、この会社のやって
いることは限りなく詐欺に近いものである。
こいつらの言い分としては、おそらく「少し調べればわかることを、何も
調べようとしないような情弱は食われて当然だ。騙されるほうが悪いんだ」
てなところだろう。
人間は、頭の悪い奴ほど、自分より頭の悪いカモを捜したがるものだ。
まったくもって愚かなサルである。
(参考までに、割高で有名な財閥系総合商社でさえ、ピンハネは5割である。
5割は高いが、そのかわりどこの国からでも、どんなものでも買ってきてくれる。
買えるものが少ない弱小商社がこれに対抗するのであれば、ひとまず
ピンハネは2~30%だけにしておき、そのかわり機械を複数台契約して2割ほど
安く仕入れるとか、一定の販売数を保証するというリスクを負うことで、
どうにか合計4~50%の粗利を確保するしかない。これならば、ピンハネが
少ないぶん、あえて信用の小さい弱小を選ぶ客もいるはずである。
この会社がそれをしないのは、そもそも継続する気がないからである)
しかしこの会社は、もし「一瞬だけやって数個売れたら即退却」という方法を
取るならば、生産性という指標がけっこう高いものになる可能性がある。
(1個も売れなければ生産性はビリだが、売れれば上位1%に入り得る。
あらゆる小博奕に勝つ方法は、この「勝ち逃げ」という方法である)
日本政府は、国内の会社がこういう小博奕会社になってほしいのかと言えば、
それはさすがにNOであろう。
それなのに、国が「生産性=粗利」という定義をしたがるのは何故か。
おそらく「1人あたり人件費」が大きくなる方向に導こうと
無理矢理こんな指標にしたのだと思われるが、
それならこれまで通り「1人当たりの給与」で定義すればよかったわけで、
新たに定義する意味はまったくなかった。
他には、シンプルに「1人当たりの売上高」という定義もできるわけだが、
それだと利益率が低いところも肯定されてしまうから、
これは使いたくなかったのだろうな。
てことで、政府はかなり苦し紛れに「生産性」を定義したっぽいけど、
一見なにか意味があるように見えて、実は何の意味もないということが
少し考えただけで明らかになってしまう。
ちなみに、かつて読んだドラッカー氏の本では、生産性とは
「同レベルの生活を維持するために必要な、国民(または人類)の平均労働時間」
で定義していたが、これなら何の矛盾もないと思う。
ドラッカーさんの定義であれば、他人から強奪することは生産性に寄与しない。
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ドラッカーさんの定義であれば、確かにどこにも「間違い」はない。
しかし、この手の議論でいつも思うのだが、
「労働時間が少ないほどいい」というのは個人の主観でしかなく、
特にS型の人にとっては「ありがた迷惑な押しつけ」になりやすい。
わかりやすい例でいえば、Seを第一機能とするESTPは、自分の体力こそが
売りである。体力勝負の人が労働時間数を制限されたら、
能力を発揮するのが非常に難しくなってしまう。
ぶっちゃけ、「一日12時間×週7勤務」の体力仕事であっても、
N型の人は死ぬだろうが、ESTPにとっては余裕であろう。
それほど、体力というものには個人差がある。
ESTPにとっては、他人が休んでるときこそが差のつけ時であり、
人より多く稼ぎたければ働き、別に金に困ってなければ自分も休む
というだけのことだ。
長時間働けば早く死に、休めば寿命が延びるだろうが、
それも個人の選択だ。他人がとやかくいうのがおかしい。
それよりも現実として問題なのは、Ne-Si型の人間があまりに時間の概念に疎く、
無駄な仕事を増やしまくって、12時間かけても終わらないという状態に
持って行ってしまいやすいということではないだろうか。
「同じ仕事を完了するのに要する時間」は、
本来なら去年より短くなっているのが進歩であるはずなのに、
日本では往々にして、去年より長くなってしまうことがある。
このような現象が生じる原因は、日本人が新たにルールや手続きを作ることに
ばかり熱心で、古くなったルールや手続きを捨てるという手順をおろそかに
しすぎているために、ルールと手続きのゴミ屋敷となってしまうからであり、
このような非効率の原因を作っているのはNe-Si族ということでまちがいない。
で、これに反発するSe-Ni族はというと、
反発するのは当然だと思うのだが、その対抗手段として
彼らは他人から強奪するという方法しか思いつかないので、
結局はNe-Si族と同じくらいアホである。
Se-Ni型の若者が金融小博奕に走りたがる現象も、この表れである。
もともとSe-Ni族は時間の概念に優れ、政治家になるのが得意なのだから、
古くなったルールを廃止するという本来の仕事に精を出せばよいだけなのに、
なぜかそれはせず、税金からカスリを取ることに夢中である。
税金から奪えるカスリが減ってくると、今度は嘘と権力を使ってむりやり
しょうもないイベントを開催し、そこからカスリを取ることにご執心だ。
残念ながら2021年も、ドラッカーさんが言う
「政治の分野は、200年前からまったく進歩してない」
という言葉の正しさを、再認識させられるのみであった。
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まあそんなようなわけで、国に期待するのは今後も無理というものだ。
自分周辺の生産性をあげたければ、ローカルな場所で
「ルールを1つ作ったら、かわりに何か1つ廃止する」
あるいは
「新たにルールを作る際は、その有効期限を必ず設定する」
という習慣をつけ、手順のゴミ屋敷にならないよう気をつけつつ、
昨日と同じ仕事を今日は早くやれるよう、地味に改善を繰り返すしかない。
そのために、N型とS型は、たまに仕事を交換するとよいのかもしれない。
S型の仕事をすると、N型はシステムを改善したくなる。
N型の仕事をすると、S型は早く現実化したくなる。
てことで、いいことが起こるかもしれない。(起こらないかもしれない汗)