INTP5w6による性格タイプ雑記ブログ

MBTI&エニアグラムのよもやまブログ

ドワンゴ vs FC2

またまたミーハーな話題で恐縮だが。

ドワンゴ川上量生氏が、FC2やNHK党と揉めているようだ。

 

もともとは、川上氏がFC2の高橋氏に裁判で勝訴したことから始まっており、

そしたら高橋氏と縁(友達?)のあるガーシーが脅しをしてきて、

しまいにはNHK党の党首も絡んできている、みたいな。

 

素人観察だが、構図としては以下のような感じか?

 

 西軍:川上氏INTP+ひろゆき氏INTP

 

 東軍:FC2高橋氏(7w8?4w5?)+NHK党ガーシー(+箕輪)

    +NHK党首立花氏ENTP(+ホリエモンENTP)

  

(※東軍の箕輪というのは、ホリエモンの家来である)

 

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(FC2について)

 

FC2といえば、有名なのは「違法エロ動画」だ。

会社の本拠地を海外に置けば、日本の警察は手を出せないというのを

早い段階で実演して見せた経営者とも言える。

 

高橋氏が川上氏と揉めたのは、「ブロマガ」という言葉の商標をめぐって裁判し、

川上氏が勝って、日本の裁判所は「FC2はドワンゴに1億円支払え」という

判決を下したというもの。

 

まあ今となっては、「ブロマガ」なんていう死語みたいな言葉に何の意味が

あるのかよくわからん感じだが、日本で裁判すれば、そりゃこうなるだろう。

高橋氏としては、裁判にならないように適当なところで妥協しとけば

よかったと思うんだが、そうしないのが高橋氏なんだよなあ・・・。

(単なる有利不利の話なのに、なぜか「メンツ」とか「正義」の話にしてしまう)

 

FC2のエロ動画はたしかに国内では「違法」だったのだろうが、

国民に深刻な害を与えたというわけでもない。なぜなら、

国はFC2を締め上げたところで、外国のエロサイトを締め出すことは

全然できていないからだ。

(もし国がFC2を締め上げたいなら、海外サイトも締め出さなければ、

 「外国を利するための法律なのか?」という話になるのは当然である)

 

高橋氏は「国のメンツをつぶした」というどうでもいい罪によって、

執拗に国から攻撃されている。そんな孤軍奮闘の状況であれば、

「日本の腐った法律を使って攻撃してきた川上は許せん。奴は日本政府の手先だ」

というような心情になるのも、まあ理解できる。

ただ理解はできるが、国民の多くは、高橋氏にそれほど同情的ではないと思う。

 

なぜなら日本国民の大部分は、

「腐った日本政府と戦うFC2高橋氏を、全力で応援しよう!」

とか思っているわけではなく、むしろ

「腐った政府とエロ業者が、しょうもない意地の張り合いしとるわ」

くらいにしか思っていないからだ。

 

だから揉め事の解決としての裁判をした川上氏を逆恨みするのは筋違いだし、

高橋氏は不利な裁判を避けるために「ちょっとドワンゴ有利」くらいの条件で、

さっさと妥協しとけばよかった。

川上氏も日本のアホな法律は大嫌いなタイプなのだから、

もめるより味方にしたほうがお得だったのにね。

 

 

ところで、これは私の個人的な感想になるが、

FC2のビジネスモデルは、わりと「善なるもの」だったと思う。

 

エロ動画を始める前、FC2は「FC2ブログ」というサイトを運営していたが、

これは「広告の出ないブログサイト」であることが特徴だった。

ではどこで収益をあげていたのかというと、FC2は

ブログ主が【アフィリエイトをしやすい環境】を提供して、

その対価としてアフィ収益の一部をピンハネする

というモデルであったと理解している。

 

苦労してあげた収益をピンハネされてしまうアフィリエイターから見ると、

FC2ブログはろくでもないサイトだったのだろうか?

それは私にはわからない。

しかし、

【当たり前のように広告を表示しておきながら、ブロガーには1円も支給しない】

という他のブログと比べると、

FC2のほうがよほど良心的であると私には見えた。

だからエロ動画を始めた後でさえ、私はFC2を好意的に見ていた。

(たとえ法律に反していようと、それは日本の法律の問題に見えた)

 

まあこのへんは、T4寄りとT6寄りで意見が分かれそうなところであるが、

「クリエイターの収益確保(T4)」と「有害表現(有害広告)の氾濫防止(T6)」

という難しい両面問題について長年あれこれ考えてきた川上氏も、

きっとFC2ブログのことは「一理あるやり方だ」と認めていたのでは

ないかと想像する。

 

私としては、FC2もドワンゴもどちらも好意的に見ていたので、

両者が争うのは実に悲しいことである。

むしろ両者が手を組んで、日本のアホ政治と戦ってほしいくらいである。

・・・と言っても川上氏は「そんなのやらない」って言うだろうから、

むしろ高橋氏はひろゆきと組んでガーシーを攻撃すればいいんじゃないのか?

これなら、きっとNHK党の立花氏も大喜びのはずなんだが。

 

ガーシーは、「国外に本拠を置く日本人」の地位を危うくさせる存在だから、

腐った法律に断固対抗する高橋氏ひろゆき氏の両氏にとって、

きっと共通の敵になり得ると思うんだが・・・。

高橋氏にとっては、それ以上に日本の法律が憎いということなのかもな。

 

(なお川上氏は法律を嫌いつつも逆らう気はないから、仲間にならないと思う)

 

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NHK党について)

 

私はいつもNHK党に投票していたのだが、

今回の参議院選挙ではNHK党に入れなくてよかった。

もし投票してたら、「お前みたいな奴がカーシーを当選させた」

って言われるだろうからな。

 

それにしても、NHK党はNHKだけを攻撃してればいいものを、

なんでこう、つまんないことばかりやるかね・・・?

 

「ルールを悪用してみせることで、ルールを改変させる」

みたいな感じなのかもしれんが、

さすがに呼ぶ奴がうっとうしすぎて、いつもNHK党に投票すると

周囲から人格を疑われてしまう。

腐ったNHK総務省)を糾弾するという目的なら、

たいへん素晴らしい野党なのにな。

 

立花氏がちゃんとNHKにトドメを刺した後でなら、

もしその後に奇妙なことを始めたとしても、

私は周囲に「前も結果的に良くなったでしょ?」と言えるんだが、

現状ではNHKの体質はまったく変わってないから、

彼に投票すると白い目で見られる。

 

この状況で立花氏が話題集めだけの人を呼ぶと、

I型やI型寄りの考えを持つ人にとっては

 「NHKを腐らせたのはE型。そんなNHKを攻撃してるのもE型。

  そもそもE型がいなければ、何も問題はなかった」

というE型問題のほうが強調されて、なんかうんざりしてしまう。

 

NHKを攻撃する側も守る側も、どっちも税金で食ってるって、

さすがに茶番過ぎるだろ・・・。

税金にたかる毛ダニ達は、本当にいい加減にしてほしい。

一部のFP型は人の言うことをよく聞く(K首相の話)

近衛文麿(このえふみまろ)という人をご存じだろうか。

昭和12年~16年10月まで首相だったおじさんです。

その次の首相は、有名な東条英機でした。

 

ご存じの通り、日米開戦(真珠湾攻撃)が昭和16年12月8日だから、

「対米戦争を開始したときの首相は東条英機

です。

そして、東条氏のマンガみたいな話し方やギャグな容姿から、

「きちがい東条が戦争をおっぱじめた」

という認識の人が、非常に多かったりします。

 

しかし、冷静に考えてみればわかることですが、

10月18日に首相になった人が、個人の一存で戦争を決意し、

12月8日に実行するなんて、できるわけがありません。

物事には準備というものが必要だからです。

(最低でも半年はかかります)

 

実際に戦争を起こした、というか「もうやるしか道がない」という状況を作ったのは、

その前に結構長期で政権者であった近衛文麿という人でありまして、

興味のある人は、少し調べてみれば「たしかに」ってなると思います。

 

(ここまで一般論)

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(ここから私のたわごと)

 

で、なんで私が近衛文麿なんていう地味なおっさんの話を

持ち出したかというとですね、

この人がねー、岸田首相に激似なんですよね。

こう書くと、

「なんだ、ただの政権批判か。しょーもな」

と思われるとまずいので、

あくまで性格分類的な話ということで、ちょっと別の話をします。

フランスのルイ16世の話です。

 

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ルイ16世は、マリーアントワネットの夫だった人です。

奥さんと一緒にギロチン処刑されたのですが、

奥さんのほうがはるかに有名であるあたり、

この人も地味なおっさんであったことがわかると思います。

 

で、この人も、近衛文麿さんにめっちゃ似てるんですよ。

 

ルイ16世は、内向的でおとなしい性格でありながら、

なぜか国際会議には精力的に出てました。

そして、そのたびに大金を出資して、拍手喝采されてました。

しかしその裏で、国内はめちゃくちゃだったのです。

(てゆうか家庭もめちゃくちゃ)

 

彼は算数ができないので、ありえないお金を外国にあげてしまいます。

諸外国はルイ16世のことを

「アホやこいつwww」

と思いながら、

「あいつ、言いくるめればいくらでも金出すぞ」

ということで、大人気でした。

 

ルイ16世は、べつに目立ちたがりでもないし、

ヒーローになりたがる性格だったわけでもありません。

むしろ、

「政治とか算数とか、難しいからやりたくないです」

というのが本音の、地味な性格でした。

でも王だから、政治も算数もやるしかありません。

でないと、お母ちゃんに怒られてしまいます。

 

そこで、ルイ君は考えるわけです。

「なんか国際会議みたいのに出て、適当にお金出しとけば、

 めっちゃ政治してるっぽく見えるよ・・・ね?

 会議でしゃべるとか本当は嫌だけど、それをがんばったら、

 あとはゲームしててもいいよ・・・ね?

と。

 

そして、その本心が見透かされるとやばいので、

会議から帰った後は、国民にも

「フランスは国際平和に貢献する。親愛なる民のために!」

とかなんとか、どうとでも取れる美句をならべてみると、

また拍手喝采になって、お母ちゃんから

「ルイちゃん、今日は立派だったわよ!」

と褒めてもらえるわけです。

 

※ただし本人は、べつに立派になりたいとか思ってません。

 そのとき彼の頭にあることは、だいたい

 「おなかへった」「ねむい」「うんこしたい」

 のどれかであって、叱られなくてよかったと安心してるだけです。

 

このような性格の君主は、歴史上に何人か登場します。

基本的には、

「人の言うことを聞く」(というか自分で考えるの無理と知ってる

という性格なので、

周囲にまともな宰相がいれば、まあどうにか耐えます。

やばいのは、周囲もアホだった場合です。

ルイ君の場合は、不運にも、奥さんが同じタイプのアホでした。

 

ルイ君は、最初はお母ちゃんの言うことを聞いてましたが、

横からマリーさんが「そんなのテキトーでいいじゃん」とか

「おかし食べたい」とか言いまくるので、

だんだんルイ君も

「たしかに。財政とかどーでもええわw おれのプリンどこ?」

みたいになって、相互感化で本来の性格特徴が加速していきます。

それで、国民に怒られてしまったのです。

 

(ここまで、ルイ16世の話)

==========

(ここから、また日本の話)

 

で、キッシー(岸田首相)なんですけどね。

キッシーがフミマロ君やルイ君にそっくりなのは、

まあ私の主観ですけど、おおむね間違ってないと思います。

 

となると、問題は、

「彼の周囲がどんな人か?」

ということです。

 

ねちねちと小言をいう安倍パパ(TJ型)がいなくなって、

キッシーはいまや自由の身、糸の切れた凧です。

 

もしキッシーにFP型の補佐がついたら、急激に相互感化して

ヘタに自分の頭で考えるようになってしまい、

今さえよければいいんだ的に、じゃぶじゃぶ金を使うかも。

まあさすがにFPの補佐は考えにくいですが、

ありそうなのは、ジャイアンみたいな補佐がつくことです。

 

もしジャイアンみたいな補佐がついたら、

いわゆる「パシリ」の才能を持つ彼は、けっこうやばいです。

ジャイアンから

「おうキッシー、みんなにアンパン買ってこいよ。お前の金でな。」

って言われると、キッシーはほいほい買いに行くでしょう。

もちろん、自分の金でなく税金でですが・・・。

(実はルイ君の散財も、半分くらいこんなパターンでした)

 

てことで、キッシーは地味に見えて、実はかなりの破壊力を秘めた

逸材だったりしますよという、どうでもいい政治の話でした。

ナンパが義務だった先輩の思い出

前回の記事を書いて、

むかし会社の先輩だった「義務ナンパ師」のことを思い出した。

 

以前書いた、わりと尊敬してたINTPの班長が退職したあと、

かわりにENTPのおじさんが班長になったのだが、

そのとき2年先輩のINTJ4w5(5w4かもしれん)も、

一緒に班員に加わった。

 

同じINTJでも、私はINTJ5w6とはたいへん気が合うのだが、

INTJ4w5(5w4)とは大変気が合わないらしい。

この先輩も、最初からまったく嚙み合わなかった。

 

先輩は、なんかしょっちゅう部長の悪口を言っており、

心底から部長を憎んでいるようだった。

私としては、たしかに部長は異常者だったけど、

別に憎むほどでもないというか、

むしろ「部長アホすぎて笑えるw」って思っていたので、

つくづく感性が違うんだなって感じだった。

 

で、先輩はこうやっていろんな上司(職位が上の人)をボロクソにけなすのだが、

それら上司当人と話す時は、びっくりするくらいヘコヘコと腰が低く、

ひきつった愛想笑いをしながら、遠慮がちに話す。

(よく知らんけど、こういうのを「裏表」というのか?)

わりと好き嫌いを露骨に表わしてしまう私としては、衝撃的だった。

 

そして奇人の極めつけだったのは、趣味の「ナンパ」である。

先輩は、一緒に出張に行くと必ず、電車の中でそのへんの女性に声をかけるのだ。

で、女性と親しく談笑することに成功すると誇らしげとなり、

嫌われると「あー、くそ、失敗した。最悪だ」

とか言って、相当落ち込んでいる様子。

 

ちなみに私のほうは、電車(往路)の中ではたいてい、

自分が書いた資料を何度も読み返しながら、

客先に上手に説明するための最後の予習をしていた。

(ごく普通のマジメ君であった)

 

しかし先輩はそういうことは一切せず、ナンパをするのである。

私としては、最初は

「え?それ今やるん?」

て感じで引きまくっていたのだが、そのうち

「ひょっとして先輩は、僕のクソマジメな態度をバカにしたいのか?」

とも思うようになった。

 

私は、もし先輩が一言でも私の予習行動をバカにする発言をしたら

必ず3倍返しで人格否定して死にたくなるようにしてやろうと、

例の【内面先ギレ法】を使って砲撃準備していたのだが、

結局先輩は私の予習をバカにするような発言をすることはなく、

いつも通りに電車ナンパをして、

「くそっ、うまく行かなかった。無視された・・・。くそう・・・。」

とか言って、ぶつぶつ言いながら落ち込んでいたのである。

 

私は思った。

どうやら先輩は、別に予習とかマジメとかをバカにしたいわけではなく、

ただ単に、電車に乗ったらナンパをするというのを「自己ミッション」

として定めていて、隣に私がいようといなかろうと、そのミッションは

必ず実施するという決まりになっているだけのようだ。

(だったら最初にそう説明してくれや・・・説明なしにそんな異常行動を

 されたら、何か別の意図があってやってるのかと思うやんか)

 

ちなみに、出張に上司(職位が上の人)が同行する場合は、

先輩はナンパはせず、必ず予習復習をする。

例によって引きつった愛想笑いを浮かべながら上司に話しかけ、

客先から指摘を受けたときの答え方などを質問している。

 

このことからわかることは、私は上司とは別のカテゴリーに

所属する人間とみなされており、私は上司とは別の、

〇〇という存在なのである。

(〇〇に入る言葉が何なのか、私にはよくわからない。

 同僚?後輩?それとも「上司以外の人」?)

 

ちなみに私は、隣にいるのが誰であろうと、

電車(新幹線)の往路は必ず予習をして、

復路は必ず「駅弁+4コママンガ」を買い、

食べながら読んでいた。

(復路は皆パラダイスで、ビールを飲んでいる人が多かった)

 

そういえば、電車の中における私と先輩の違いは、

復路において、より顕著だったかもしれない。

なぜなら、往路は事務員さんがまとめて並びで切符を取るが、

復路は各自で取るので、一人で座ることも可能だったからだ。

 

私と先輩の違い

 

私: 隣にいるのが誰であろうと、往路は予習、復路は駅弁&漫画。

   復路は必ず誰か仲間の隣に座る。上司の隣でも全然OK。

   別部署で話してみたい人がいたら、「一緒に座ろ」と誘っていた。

 

先輩:隣に人がいようといなかろうと、往復ともナンパをする。

   ただし、隣に上司がいる場合は決してナンパをしない。

   復路は一人で席を取ることが多い。上司の近くが嫌みたいだった。

 

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後に長期駐在の出張となって、電車に乗る機会が減った。

すると先輩は、今度は「夕食を食べる店でナンパをする」

と決めたようで、せっせと活動していた。

そのうち、なんか見知らぬ女性と親しくなり、

意気投合して付き合い始め、しまいには宿に連れ込んでいた。

(というか宿で同棲してた。ちなみに先輩は妻子持ちだった)

 

私は誰が誰と不倫してようがどうでもいいが、

社宅で彼の奥さんと顔を合わせる可能性も無視できず、

社員が泊まる宿に連れ込むのは、結構ウザかった。

 

先輩は社員が集う定食屋とかにも女を連れてくるので、

いい加減うっとうしいと思った私は、先輩に

「あのね、今、仕事の話をしてたんですよ。

 もちろん時間外なので仕事優先ではないですけどね、

 べつに女の話が優先というわけでもないですよね?

 先輩は、ずっと女の話ばっかじゃないですか。

 たまには他の話題の時間も尊重しましょうよ。

 僕は女やセックスの話が嫌いで、仕事の話がしたいんですよ。」

と伝えた。

 

そうすると先輩は、「ごめんね」とか言っていたが、

私のいないところで

「hiza君に妬まれちゃったかな~」

とかほざいていたことを、後に知った。

 

私は、何でも「モテ」とか「人気」とかに変換したがる大阪文化が嫌いすぎて、

がんばって大阪を脱出した人間である。

だから先輩の「妬まれちゃったかな」発言にはかなりムカつき、

機会があればフルボッコにしてやろうと準備していたが、

私はまもなく研究係になって先輩と縁が薄くなり、

戦争をすることはなかった。

 

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先輩は、あまり出世欲がない人だった。

先輩が上司に媚びるのは、消極的に媚びているだけで、

全体的に逃げ腰な感じで、出世のためではないように見えた。

(むしろ私の方が社内の有名人に馴れ馴れしく近寄っていた)

ただ先輩は、出世欲はなくても、

「自分は優秀だと思いたい、無能だと思われたくない」

という気持ちが強かったように見えた。

 

私は、将来自分が主設計者になれるかどうかは気にしていたが、

それ以外の面では、自分が有能かどうかは、さほど重要じゃなかった。

なぜなら、その会社には優秀な人がたくさんいたからだ。

このような環境では、兵士の能力うんぬんより、

チームとして成果を出せるか否かのほうが、結果に大きく響く。

そこでは個人の能力など、どうでもいいのだ。

 

いや、「どうでもいい」はさすがに言い過ぎだな。

どうでもよくない。

チームにアホは要らない。

アホが1人でもいたらチームは壊れる、これ重要。

 

ただ私が言いたいのは、

私はチームに入れてもらえて任務を果たせるだけの優秀さがあれば

それでじゅうぶんと考えており、

自分が他のチーム員よりも優秀でありたいと考えるのは、

チーム活動では邪道だと思う、ということだ。

 

(だからチーム員と自分を能力比較したがる人は、好きじゃなかった。

 もし周囲から有能だと思われたいなら、無能だらけの会社へ行くほうが

 合理的なんだから、他の会社へ行けばいいのにと思っていた)

 

一方で先輩は、自分がいかに頭が良いかを、

しばしば嫌味な方法でアピールしていた。

たとえば、

相対性理論は、自分の担当と関係なくても理解しといたほうがいいよ。

 この会社の人は古典物理ばかりで、頭が古いんだよねー。

 相対性理論は難しいって?そんなことないよ、簡単だよ。」

とか、

キーエンスはすごい会社だよね。

 これこれとか、斬新だよね。発想がすごいよね。

 比べてこの会社は・・・ダメだね。終わってるね。」

とか。

(他にも100個くらいあったが省略)

 

私は、先輩が会社をディスる発言を聞くたびに、

 (先輩は自社の製品には興味ないくせに、

  自分の能力にはやたら興味あるよね。

  でも、その能力とやらは、いつどこで使うつもりなの?)

と思っていたが、

そのときは別に対立してなかったので、言わなかった。

 

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このような先輩のことを、前回の話から思い出した。

そして、長い間謎だったことが、1つわかった。

 

先輩は心底から「いろんな女と関係を持ちたい」のであり、

それこそが生きる目標であったのだということを。

 

私が先輩を嫌いだったのは、

私が仕事を楽しむために入った会社で、

ずっと女の話ばかりしてるから。

 

私にとって、先輩は邪魔だった。

女の話は、外で友達を作って、好きなだけ話せばいいのに、

何故か先輩は、いつも上司の顔色を伺って、残業ばかりしている。

そして上司の目を盗んでは、また女の話をしている。

いったい何がしたいんだ、こいつは?

上司も人間なのに、上司なら騙しても平気なのか?

そんなふうに思っていた。

 

今でも、先輩のような人が社内にいたら、

私はやっぱり「邪魔だなあ」と思うだろうと思う。

 

ただ、「いろんな女と関係を持ちたい」という願望については、

実はそれほど珍しくもない願望なのだと、まあ理解した。

 

先輩は、望み通り、いろんな女性と親しい時間を過ごす力を身に着けたようだ。

言っちゃ悪いが、たぶんもともとは、よっぽどモテなかったのだろう。

しかし努力の結果、彼が親しく談笑した女性の数は、

きっと日本人の上位1%に入っているだろうと思う。

(彼は自己ミッションの遂行を徹底してたからね)

そこは尊重してもいいかなと思うようになった。

 

今なら、3回に1回くらいの割合なら、女の話でも笑って聞ける気がする。

でも残り2回は、できれば「斬新シリーズ」の話にしといてほしいな。

私は斬新シリーズは嫌いではない。

「それに比べて、この会社の人達はダメだね」

みたいなイヤミ風味さえなければ、何の問題もない。

 

あ、でも、「イーロンすげえ」みたいな崇拝話はパスしたいな。

私は、誰が作ったかはどーでもいい、という価値観だから。

でも電気自動車の話なら、いくらでも聞くぞ。

電気自動車を過大評価はしないけど、深センであちこち見学してきた

くらいだし、興味がないわけじゃない。

 

このへん、もし先輩もエニアグラムを知ってたら、

先輩とはいろいろ合意できたような気がするな。

なんだかんだ言って、彼は願望の実現力があったからな。

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自己保存/セクシャル/ソーシャル

エニアグラムに、「本能のサブタイプ」というのがある。

 

人間の本能には

「自己保存」「セクシャル」「ソーシャル」

の3つがあり、人はどれかをメイン、どれかをサブとして使い、

残る一つは「盲点」となっているという説だ。

 

そしてエニアグラムはもともとT1~T9の9個があるから、

それぞれ本能のサブタイプ(メイン分類なら3種類、順列分類なら6種類)

を組み合わせると、人間を27種類 or 54種類にわけて見ることができると。

 

でも、前から書いてきた通り、

私は、この説に非常に懐疑的であった

 

 

・・・いや、たしかに、

「自己保存」「セクシャル」「ソーシャル」

みたいなのは、

どれを重視してるとか、どれが得意とかで、大きな傾向差があると思うのよ。

でも、なんかおかしいと思うわけよ。

 

例えばT3・T6・T9って、要するに「群れる人」ってことやん?

これと「ソーシャル」って、意味がかぶってない?

意味がかぶってるものを掛け合わせて27個だ54個だっていうのは、

なんか根本的な矛盾があると思わずにいられない。

独立変数と従属変数がごちゃ混ぜやん、的な。

 

 

このことがあって、私はエニアグラム自体に

「ぬぐいきれないオカルト感」を感じていたのだが、

昨夜、このことを1枚の表でカンペキに表している図を見つけた。

 

↓↓↓ これだ! 

 

 

おお、なんてわかりやすい図だ。

これですよ、私が言いたくて、

でもアホだからよくわかっていなかったことは。

誰が書いたのか知らんけど感謝、心の底からスッキリしました。

 

 

この表はですね、要するにですね、

「自己保存」・・・自分自身の生命を維持すること

「セクシャル」・・・1対1の人間関係を適切に構築すること

「ソーシャル」・・・3人以上の人間関係を適切に構築すること

という事柄に大きな傾向差があること認めたとしても、

だからといって27種類とか54種類とかにはならず、

「18種類で十分」ていうことなわけです。

 

これって、

MBTIは対要素が4つなのに、2*4!=48種類じゃなくて16種類

っていうのとすごく似ていると思う。

そしてMBTIは、48種類じゃないことこそがミソだと思う。

(そこに重要な拘束条件が隠れていることを示唆してるからね)

 

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てことで、めっちゃスッキリしたところで、

私はこの図を厚紙に印刷して、30分くらい眺めていた。

 

あまりにおもしろいので、自分でも作ってみたりした。

(なんか*印の部分に不規則感があっておもしろい)

 



ところで、こうして絵を書いていて、

私は自分自身について、はっきりと気が付いた。

 

どうやら私は、この図における黄色(=自分のサブ色)に

すごく嫌な印象を持っている。

 

特に、相手の盲点の色が黄色(私のサブ色)だと、

じわーっと嫌な印象がこみあげてくる。

 

盲点「青色」・・・相手の盲点が自分の盲点と同じ

         → 「ダメダメどうしで仲間だね!」って感じ

盲点「緑色」・・・相手の盲点が自分のメイン色

         →「微妙だけど、まあしょうがないよね!」って感じ

盲点「黄色」・・・相手の盲点が自分のサブ色

         →「なんか嫌いなタイプはすべてここに含まれとる」って感じ

 

なお、印象は「盲点の色」だけでなく「メイン」の色によっても影響を受けている。

私は、私のサブ色をメインに持つ人には、

「集合体としての印象がよくない」と感じている気がした。

 

しかし個々の人物に対しては、「盲点の色」の影響が大きいと感じ、

すなわち盲点の色が黄色の人に嫌悪感を感じたのだが、

なぜか2つくらいの例外(私の場合は6w7と5w4)には

良い印象を持っていたりして、いまいち意味不明なところもあった。

 

今後、他の人にもこの絵を見せて、印象を聞いてみるとしよう。

・集合体への印象は、「メインの色」が自分のサブ色だと悪印象なのだろうか?

・個々の人物への印象は、「盲点の色」が自分のサブ色だと悪印象なのだろうか?

・例外の数は皆2つなのだろうか?

・同じダメ同志でつるむとラクだけど、それだとダメが加速する感じがするかどうか?

など。

 

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「私を嫌う人」について考察。

 

私は、普段はべらべらとよくしゃべるのだが、

4人以上の集団になると、とたんに置物のように静かになる。

(合コンの頭数として使えないタイプ。協調性がきわめて欠如している)

 

ところが大人数の前でマイクを持った場合は別で、

場所がフォーマルであればあるほど、相手が多ければ多いほど、

私は本日の1番笑いをゲットしようとする、「ウケ狙い気質」である。

 

「サブがソーシャル」の人は、きっと私みたいな奴はムカつくんだろうな。

(※なぜなら、スベったら場の雰囲気を壊す危険があるのに、個人の利得の

  ために場を危険に晒しているわけだからな・・・。

  合コンでは1ミリも使えないし、つくづく「自分だけ」のヤツ・・・。)

 

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一方で、私も、「盲点セクシャル」の人に言いたいことがある。

 

私の考えでは、1対1の関係構築とは、

「対等な関係」とか「相互信頼」とかを、

こつこつと作っていくことに尽きる。

 

もっと平たい言葉でいえば、

「強制しない」「嘘つかない」「疑わず、疑われず」

みたいなのを地味に積み重ねることで、

どうにか破局を避けようとする試みと言ってよいかもしれない。

 

阿佐田哲也(別名色川武大直木賞)の名著麻雀放浪記」では、

 「よく憶えておきなさい。博奕における人間関係はね、

  ボス・おヒキ(手下)・カモ(敵)の3つしか無いのよ。」

という名セリフが登場する。

名ゼリフたるのは、これがある種の公平性を持っているからだが、

ここには【構成人員が入れ替わっていく】ことが前提条件に含まれている。

(最初は誰かのおヒキ→将来は別の人のボス、という流転が前提)

 

一方で、私の言う1対1の関係構築とは、

互いに【替えのきかない相手】とみなし合い、

もっとラクに長期の関係を築きましょうやという意味であるので、

つまり「博奕の関係」とは対極にあるものなのである。

 

私は、「博奕の関係」を全否定するつもりはない。

博奕の関係は、私は好きじゃないが、恐らく刺激的であり、

これも「1対1の関係」の在り方のひとつなのであろう。

(※セクシャルメインの人は、博奕と継続をうまく使い分けているふしがある)

 

私は、博奕の関係がいけないと言いたいのではなく、

「博奕の関係」と「1対1の関係」の区別がついていない状態

が最悪であるといいたいわけである。

 

両者の区別が明確についておらず、

「博奕的刺激」も中途半端、「1対1の継続」も中途半端という人は、

いったい何がしたいのか意味が分からず、

親しく付き合う相手としての需要がなくなっていくのが常だからだ。

 

このことは、「博奕」と「1対1」を対比すると、よくわかる。

 

たとえば

「お前は俺の派閥に入るか、それとも敵につくか?」

みたいな脅迫と強制に満ちた見苦しいボスザル争いなどは、

1対1の人間関係とはまったく真逆のものである。

 

(派閥争いには劇的なドラマがあるので、多数の人と裏切り裏切られの

 愛憎劇を楽しみたい人には、こういうのは最高なのだろうな。

 ただし、そういうのは必ず自分の金でやってくれということで。

 すぐに公金でやりたがるからな、ドケチのボスザル野郎は。)

 

 

また同じく、

「異性にモテたい」みたいなのも、やはり「1対1」とは真逆の行為である。

なぜなら「モテる」というのは、不特定多数の異性から好かれることだからだ。

 

よく言われるように、

・身長の高い男はモテる

・端正な顔(平均顔)の男はモテる

・お金や地位を持っていればモテる

・スポーツや勉強や芸術ができればモテる

などは、不特定多数の異性からモテるための、いわば王道である。

(ろくに話したこともない異性が、たくさん寄ってくる)

 

しかし、1対1の関係を得るという目的から言えば、

多数の異性からモテる必要性は、まったくもって無い。

というか、むしろ逆効果でしかない。

 

馬券というのは、買うのが1枚だけでも、

それが的中してれば何の問題もないし、

かつ、無駄なエネルギーや時間を費やさなくて済むのだ。

 

この文脈で言うと、過度のオシャレをするということは、

不特定多数の人から注目されるには良いツールであるが、

異性と1対1の関係を構築するという目的においては、

わりと最悪の選択になり得る。

 

たとえば、うねうねした髪の毛を持っている人は、

ストレートの髪に魅力を感じることが多いであろう。

でもいくらストレートが好きだからといって、

自分にストレートパーマをあてるのはナンセンスであろう。

なぜなら、ストレートパーマをあてた自分に寄って来るのは、

うねうね髪の異性ばかりになってしまうからだ!

(なんという本末転倒だろうか。でも相手もパーマしてたら当たるな・・・)

 

てことで、本末転倒なオシャレさえしなければ、

少々背が低かろうが、顔がお粗末だろうが、

変な声だろうが、馬券はおおむね誰でも普通に当たる。

そのような特性を好きな人が寄ってきて、

かつ、相手は自然と自分の好みになっているという、

素晴らしき自然の法則にのっとっているからだ。

(馬券は、余計なことをするからハズレるのだ!)

 

まあ百歩譲って、どうしてもオシャレを楽しみたいならば、

ターゲットの異性に「どんな格好が好みか?」と聞き、

その通りにするほうがよっぽど合理的であると私は思う。

 

・・・って、

このような話題が世界一似合わない私が、

なぜこんな話をしているのだろう?

 

でも、本家のセクシャル(メインがセクシャル)の人は

こんな「人に嫌われること」を無駄に発言してくれないので、

私は発情性自己制御不能症(仮)に苦しむ人たちのために、

本家の代わりにイヤミを言っておいてあげることにします。

 

イヤミを言われるのが嫌な人には申し訳ないけど、

私は「バカだねー」って言われるのが好きなので・・・どうか悪しからず。

政治はダブルバインド

ダブルバインドという言葉がある。

二重拘束という意味で、多くの人が嫌う状況だ。

 

たとえば課長から

「どうしてこうなったのか説明しなさい」

と言われて回答すると、横で聞いてた係長から

「つまらない言い訳をするな!」

などと言われてしまったりするような状況のことだ。

(じゃあどうすればいいの?的な)

 

 

w6型で著しく協調性に欠ける私は、ダブルバインドされると

相手が客であろうが上司であろうが敵意まる出しで猛抗議するため、

仕事においてダブルバインドされることは少なめだったかもしれない。

 

しかし、最大のダブルバインドである「政治」については、

私もすっかりお手上げで、ただ傍観しているだけの、お粗末な状態である。

 

こないだは、E型の人から参議院選挙に行ったかと聞かれ、

行かなかったと答えて咎められてしまった。

私は「いやー、面目ない」としか言えなかった。

 

(もし行ったら、きっといつも通りNHK党に入れてしまってたので、

 「今回は行かないほうがマシだったのでは?」と言おうか迷ったが、

 アホな言い訳すんな!と叱られてしまいそうなので黙っておいた)

 

 

しかし、私のように「お手上げ」の結論に至ってしまった人間が多くなるのは、

ある種の必然のように思えてならない。

なぜなら、日本の国民が政治について考えると、おそらく以下のAまたはBのような

ダブルバインドな状況となるからだ。

 

(A)政治に対して「消極的」な生き方をする

  → 政治家が「選挙で選ばれた私の考えは、すでに国民の審査を経ている」

    とか言って調子に乗り、ますます税金を吸いまくる

  → クソむかつく

 

(B)政治に対して「積極的」な生き方をする

  → 身近な人から、

    「政治の悪口なんか言ってる暇あったら、もっと仕事とか頑張ればいいのに」

    とか言われて、無能扱いされる。

  → クソむかつく

 

というわけで、

(A)(B)どちらのスタンスを取っても、結局はむかつく状況となるわけだ。

 

実際問題、もし身近な人が

「勤め先ではへっぽこ社員、家庭では邪魔者扱い」

みたいな状態でありながら、

なぜか政治についてだけ熱く語っていたとしたら、

それを見た多くの人が

「おいおい、そんなこと考えてる場合じゃないやろ」

というツッコミを入れたくなるものであろう。

 

(※こういうのを「影響の輪」と呼ぶらしい。

 自己が影響を及ぼせない領域(輪の外)のことにエネルギーを使いすぎると、

 周りから「おもろない奴」と思われて、男女両方からモテなくなる現象のこと)

 

 

一般に、日本においては、

日常会話に政治の話など持ち出すのは「野暮」とされる。

特にサービス業の業界では、接客に際しては

「選挙・宗教・プロ野球」の3つの話題は避けよ

が鉄則であると、ずっと言われてきた。

(意見が食い違いやすく、高確率で客を不愉快にさせるから・・・らしい)

 

ところが、長らくアメリカに住んでいた人の話を聞くと、話がだいぶ違ってくる。

アメリカの人達は、政治や宗教の話をゴリゴリ持ち出してくるという。

もちろん意見が食い違うので、険悪な雰囲気になることもある。

 

しかしそこはE型、多少険悪なムードさえも、彼らにとっては娯楽なのだ。

社交性がありすぎる人にとっては、

「言葉を交わさないこと」こそが最悪であって、

議論したりケンカしたりすることは、何もないより良いのである。

 

==============

 

私は、ずっと前から思っていた。

アメリカという国は、つくづく政治が得意な国だなあと。

いや、もちろんうまくいっていないことも多々ある(すごく多々ある)のだが、

しかし彼らは、あーだこーだとケンカしながら物事を決めるのが、

根本的に好きなのだ。

人同士が干渉し合って、ボロクソにけなし合って、

ヤジウマも集まりながら、カオスのように決定していく過程を、

まるで娯楽のように楽しんでいる・・・ように見える。

 

また、「アメリカ=政治が得意」と思わせる理由は、他にもある。

たとえば、

1,ルイン好きー氏と不適切きわまりないことをした苦倫トン氏が、

  その後も当たり前のように続投し、現在も尊敬されていること。

  (日本だったら・・・以下略)

2,大統領制が機能しているように見えること

  (日本は「派閥」だの「院政」だので首相が決まってしまう)

などである。

 

こう書くと、「隣の芝生は青く見える」現象だと言われるかもしれず、

実際その通りなのかもしれないのだが、

アメリカの強さの秘訣はどこにあるんだろう?」と

長年考え続けた私としては、

彼らの政治好きがその一因のように思えてならないのである。

 

(※世間では、アメリカの強さの秘訣として

 「世界語である英語を使っている有利さがあるから」とか

 「通貨の基準がドルになってるから」とか

 「移民によって人口増加を維持してるから」とか、

 いろんなことが言われており、

 まあたしかにその通りなのだろうけど、

 私は彼らの「政治好き」と「兵器量産力」にも注目してきたのである)

 

また、上記1,2よりも大きな理由として、

 

3,アメリカ人とよく似たE型人材を好んで集めている日本のT自動車が、

  「個々の社員はアホっぽいのが多いのに、全体としてはカシコイ」

  という状態であり続けた。

 

というのがある。

英語だからとかドルだからとかは、T自動車には関係ない。

しかし、彼らはずっと強かった。

そして私は、それが【集団意思の決定方法】にあるような気がしてならなかった。

 

まあアメリカやT自動車の話は、今後はどうなるかわからないし、

しょせん部外者である私の感想にすぎないので、

個人のたわごととして流してほしいんだけどな。

 

それでも、日本で「政治=ダブルバインドということは、

残念ながら、たぶん間違ってないように思うんだよな・・・。

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目に歯で応じても構わない

さまよう刃という小説をご存じだろうか。

何の罪もない最愛の娘が、

どうしようもないクズに集団で強姦され、

その様子をビデオ撮影され、そして殺された。

そのビデオを見た父親が血の涙を流し、

3人の犯人を自らの手で極刑にすべく、復讐を誓うという話だ。

 

この小説を読み、父親に対して

「どういう理由だろうと、暴力はいかん」

という感想を持つ人は、あまりいないと思う。

(私はむしろ、「犯人をラクに死なせすぎなのはいかん」と思った)

 

=====

 

さて本題であるが、

さまよう刃の父親は、【暴力に対して暴力で応じた】から、

誰も悪く言わないわけである。

 

では、もしこの小説が、

【詐欺に対して暴力で応じる】

だったとしたら、どうだろう?

 

おそらく批判の手紙が編集部に届くだろう。

世間というのは、そういうものだ。

だからこそ、この小説は仇として強姦魔という暴力犯を設定したわけだ。

でなければ本を出せない。

 

 

しかし冷静に考えれば、

【詐欺に対して暴力で応じる】

のは、本当に悪いことなのだろうか?

 

私個人の考えであるが、

私は、まったく悪いことと思わない。

 

かねてから言っているように、他人から奪いたがる奴

というのは、確実にこの世に存在する。

そして他人から奪う方法は、大別して、

 1:足元を見て奪う。(例:パワハラ、権力、村八分、etc

 4:騙して奪う。(例:ねずみ講、カルト宗教、似非科学、etc

 7:暴力と脅迫で奪う。(例:893、総会屋、etc

の3種類である。

 

これら3つを、区別する必要ってあるのだろうか?

いや、ない。

奪うという目的が同じなんだから、単なる手段の違いだ。

1に対しては、必ず1で報復しないといけないって、誰が決めた?

ハムラビ王か?

もしそうだとしたら、ハムラビはアホだな。

 

考え方としては、非常にシンプルだ。

1,4,7は、目的が強奪にある時点で、すべて同じものなのだ。

だから報復は、1,4,7のいずれの方法を用いてもよい。

奪ういうことは、それほどまでに大きな罪なのだ。

これが分からない奴は、本物のアホである。

 

=======

 

この話に関連して、いわゆる「復讐劇」として、

こないだおもしろい映画を見た。

例のロバートデニーロの映画(なんか気に入ってもうた)なのだが、

【腐れ弁護士のせいで14年間刑務所に入った男】が、

刑務所で猛勉強して、出所後に復讐をするというストーリーである。

 

この場合、デニーロはどう復讐するのが正しいか?

弁護士を14年間刑務所へ入れることが正しいか?

それとも、デニーロが刑務所でやられたように、

4人の男に何十回もカマを掘らせればよいのか?

 

そうではないだろう。

別に同じものをお返しして差し上げる必要はない。

プレゼントとは形式ではなく、心がこもっているかどうかだ。

だから復讐をするときは、心をこめて、

考え得る最大の不幸をお返ししてやればよいのである。

もちろんその方法は、1,4,7のいずれを用いても構わない。

 

=========

 

私は、表面上はマトモな人間のように振舞っている(w6)ので、

周囲から、子供のイジメについて相談を受けたりすることがある。

そういうときは、私はいつも、以下のように答えている。

 

「それは簡単です。いじめっ子を油断させ、金属バットで

 背後から全力で殴れば、まあまちがいなく勝てますよね。

 これが卑怯かどうかは、ご判断にお任せします。

 ただ僕は、罪を恐れるほうが恥だと思いますけどね。

 罪を恐れたら、罪を恐れない奴に必ず負けますから。」

 

「僕自身は、金属バットで人を殴ったことはないです。

 でも小学生の頃に、敵が下り階段に差し掛かるタイミングを狙い、

 全力疾走で助走して、背後から跳び蹴りをしたことはあります。

 そいつは数メートル吹っ飛んで、階段の一番下まで落ちました。

 そして泣きわめく敵を、僕は特別硬い靴で、渾身の力で蹴り続けました。」

 

「この話のミソは、足(脚)という道具を使った点です。僕は子供のころから

 今みたいな体型で、あまり力がなかったんですけど、手よりも足のほうが

 パワーがあるから、足をとことん活用すれば勝てるんじゃないかなと思ったんです。

 ただ、このときは先々のことを考えて脚や靴という武器を使いましたけど、

 暴力の道具として腕力を使うか、棒を使うかは、どうでもいいことなんですよ。」

 

「この事件で、僕はひどく叱られましたけど、敵は僕を恐れたみたいでした。

 一寸の虫にも五分の魂ということを、はじめて理解したのでしょうね。

 それでやっと気が晴れて、僕は自信を保つことができました。

 これをやっていなかったら、僕は陰気な性格になっていたと思います。

 勇気を出してよかったと、今でも思っています。」

 

と。

 

この私の助言を聞いて、実際に子供にバットを持たせた人はいない。

しかし聞いた大人自身が、事なかれ主義の危うさについて考え、

何かしらのアクションを起こす覚悟を持ってくれたような気がする。

 

「奪う奴」が奪っていくのは、金や健康や生命だけではない。

足元野郎は、「意志」というものを奪っていく。

暴力野郎は、「自信」というものを奪っていく。

そして詐欺野郎は、愛する人を奪っていくのだ。(←個人的に最も許せん)

 

これらを奪われたくなかったら、

たとえ批判されても、たとえ罪に問われても、

やらねばならないこともある。

そう解釈してくれることを願い、

私はいつも、金属バットの話をしている。

 

まあ、ちょっとキチガイ入ってると、自分でも思うけどね。

私以外にもいると思うな、こういう考え方の人は。

 

もし「話はわかるけど勇気が出ない」という人がいたら、

口に出して「特攻する」とつぶやいてみることをお勧めします。

捨て身の攻撃に成功すると、最高にすがすがしい気分になれます。

もはや勝とうが負けようが、どうでもいいくらいに、です。

すべてを「引き分け」に持ち込む、それが特攻なのです。

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ネットスラング

某銃撃事件で、犯人の名前を検索したら、

「顔がチー牛」という記述が何度も出てきた。

で、チー牛って何だ?と思って検索したら、

以前見かけた画像が出てきて、どうやら

「チーズ牛丼を注文してそうな陰キャ

という意味のネットスラングらしい。

 

く、くだらねえ・・・。くだらなすぎる・・・。

これ、ただのイジメ用語じゃねーか。

暴言家の私でも、これはなんかドン引きだった。

 

このことで、私はちょっと憂鬱になり、

「日本のネットって、ここまでクソやったんか・・・」

みたいな気持ちになって、かなりゲンナリしたのだが、

ふと「チー牛 おもしろくない」で検索してみると、

大量の検索結果がヒットして、どうやら私と同じように思う人も

相当に多いことが分かり、ちょっと安心した次第である。

 

===========

 

というわけで、冷静になったところで考えてみたのだが、

この言葉を好んで使う人は、「ブサイクで愛嬌もないI型」

が嫌いで、サゲたいわけだよな。

 

そういう人は、きっと「人の外見なんてほっとけよ」と言われてしまう

だろうが、それでも主張したがる理由と言うか根拠として、

「自分は他人が作ったキレイな景色を見てるくせに、

 他人には良い景色を与えていないからズルい」

みたいな計算が、根底にあるんじゃないかなと思った。

 

私はそういう考え方が嫌いなのだが、

「あの人だけズルい」

の思考パターンを持つ人はめちゃくちゃいっぱい存在してるから、

いちいち抵抗するのもめんどくさいわな。

だから批判を受けない程度にだけ、適当に合わせる(w6)。

 

この話は、世間でよくある例でいうと、街並み条例とかの類かな。

 

「キレイな街並みにボロ小屋を作ると景観が乱れて地価が下がるから、

 ボロ小屋を作るのを禁止するルールを作ろう。

 ついでに、屋根は赤色以外は禁止にしよう。

 てゆうか、いっそのこと、建物はすべて委員会で審査しよう。」

 

みたいなことを言い出す町内会長気質の人間が一定数存在して、

実際にその種の条例が作られている町は、世界中に数多く存在する。

チー牛の件は、それを人体にも適用したみたいな感じかもしれんな。

 

こうして建物の話に置き換えてみるとはっきりするけど、

これって、ぶっちゃけE型のデフォ思想だよな。

押しつけがましいというか、なんと言うか。

つくづく群れの生物って感じ。

 

それに対して、I型は、基本単独の生き物だからな。

街並みを美しくするために皆で外観を統一しましょうとか、

あんまし思わない生き物だろうな。

 

私なんて、そもそも街並みを見て美しいと思うことなど、ほとんどない。

汚いか汚くないかは見るけど、町なんてただの人工物にしか見えない。

しかし私は、世の半数のE型がそうしたいなら、適当に合わせる。

屋根の色が赤だろうと青だろうと、どうでもいいから、

E型が赤にしましょうと言うなら、合わせてやってもやぶさかではない。

 

・・・ん?待てよ?

「やぶさかではない」って正確にはどういう意味だ?

 

調べてみたら、やぶさかとはケチのことで、

「やぶさかではない」=「努力や費用を惜しみません」

という意味のようだ。

 

ってことは、違うな。

私は「やぶさかる」ぞ!

ミニマムなら合わせてやっても差し支えないが、

コストが一定ラインを超えると、私は暴れまくる。

 

そういえば私は、かつて「ネクタイ」というものが嫌いで、

「こんなアホ丸出しの首輪をつけて肩が凝るなんて、究極の愚行だ。

 こんなものを、なぜ金を払ってまで着けねばならんのだ。

 俺は意地でも着けないぞ!」

とか言って、会社員時代はずっと着けていなかった。

 

ところが会社員じゃなくなると豹変し、

私はダイソーで百円のネクタイを見つけて大量に買い、

「たった百円で常識人に見えるなら、超お得やん!!」

とか言って、毎日ぶらさげていた。

美味しんぼの山岡みたいな着け方ではあったが)

 

つまり私は、ミニマムのコストならE型の犬文化を

「しょーもな」と思いつつも合わせるのだが、

もし万札が出ていくレベルになると私はとたんに憤慨し、

海原雄山ばりのキチガイモードで

「こんな腐った犬ルールを作ったのは誰だあ!!!」

みたいなことを叫びまくって、

裁判も厭わぬ勢いで揉め事を起こしまくる人間なのである。

 

でもまあしかし、私も歳をとって、多少は丸くなった。

最近は、ちょっとだけコストの枠を広げつつあるのだ。

ひとつ例を言うなら、「花」だな。

私は最近、安い花をたくさん買って、会社の周りに並べることにした。

こうすることで、私は町の景観向上に貢献しているのだ(エライ私)。

もちろん、あくまで「花って安いわりにラブリーだよね」という電卓計算が

あってのことであり、もし花が高かったらやらないのだけどな。

 

総じて言うと、たぶん私は、犬ルールに対して大変「やぶさか」な人間である。

そういう意味では、私もチー牛キャラと共通のケチ思想を持っていそうである。

しかし、いちおう半数がE型という社会に住んでいるのだから、

私も半分だけは譲歩(w6)しているつもりである。

 

==========

 

ということで、最初の「チー牛」の話に戻ると、

このチー牛のキャラクターは、

「外観のために使う資源(=時間+お金+エネルギー)をケチり過ぎ」

と、E型から非難されていると見ることができる。

(エネルギーには、顔をにこやかに保つための筋肉操作エネルギーも含む)

 

そう言われると、我々はI型だけの社会に住んでいるわけではないので、

外観に多少のコストをかける必要は、まあ、あるのかもしれんわな。

 

でも私は、それをE型が言うのは理解できなくもないのだけれど、

I型がチー牛の外観を非難するのは、なんかおかしいと思ったんだよな。

 

だって、世のI型の多くは、もともと共有スペースの充実など、

あまり重視していないだろう。ましてや赤の他人の外見など、

心の底からどーでもいいというのがI型のデフォのはず。

だから私は、I型が多いであろうネットから

外観が微妙なI型をバカにする動きが出るとは、予想外だった。

 

ただしかし、よく考えたら「キモオタ」とかも、その類のものだったかもしれん。

なんか絵を描いてまでサゲたがるやつがいるのに引いただけで、

別に今までと同じと言えば同じだわな。

(てゆうか、そもそも陰キャという言葉のほうがむかつくしな)

 

ネットでキモいI型が非難されやすい背景としては、

「おまえら、I型の評価を下げるんじゃねえぞ!」

っていう意味も、ひょっとしたらあるのかもしれんな。(くだらないけど)

 

あと、I型でもF型は結構「景色好き」だからな。

IF型の半数くらいは、ひょっとしたら

「家の外に出るときは、外観にコストをかけるべきだ」

という犬的意見に、賛成するかもしれんな。

(私は逆に、家の中での外観を保てる人を尊敬するけどな)

 

てことで、私もあと300円くらいなら、

外観にコストをかけてやってもいいかもしれんな。

300円でも、月当たりにすると、9000円もの出費である。

ぎりぎり万札に届かないから、まあこのへんが最大限の譲歩だな。

(いや、やっぱ4500円くらいが妥当かな)

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